(シリーズ「「カナダの世界遺産でクルーズ体験」【10】」からの続き)
「あそこに見える(アメリカのチョコレート大手)ハーシーの工場が閉鎖され、マリフアナ(大麻)の工場に転換したんだ」。カナダ東部オンタリオ州の世界遺産リドー運河沿いにあるスミスフォールズを自動車で走行中、運転手の男性の言葉に絶句した。カナダでは医療用にとどまらず嗜好用も大麻の所持、使用が合法化されているのは確かだが、映画「チャーリーとチョコレート工場」の主人公チャーリー・バケットは憧れのチョコレート工場がもしも「大麻工場に変わったんだよ」と言われればさぞかし落ち込むことだろう。地元の子どもたちもきっとそうだったはずだ。ところが、その先にはミステリー小説も顔負けの大どんでん返しが待ち受けていた…。
【カナダの嗜好用大麻の合法化】カナダのトルドー政権の肝いりの法律として嗜好用大麻の所持、使用を認める法律は2018年6月21日に成立し、同年10月17日に施行された。大麻使用を国家として合法化したのは南米ウルグアイに続き2カ国目、先進7カ国(G7)では初めてとなった。医療用大麻はそれまでに合法化されていた。
ジャスティン・トルドー首相は嗜好用が合法化される前に「子供たちが大麻を入手したり、犯罪者が(大麻販売で)利益を得たりするのが簡単すぎる状態だ」と問題視し、管理を強化して密売をなくすことで未成年者の入手を難しくすると説明した。
カナダの法律は嗜好用大麻に関する規定で、成人は30グラム以内の大麻を所持したり、他の成人と共有したりできると定めた。成人の規定は地方政府によって異なり、1988年冬季オリンピック(五輪)が開かれたカルガリーがある西部アルバータ州、穀倉地帯で知られる中部マニトバ州、主要都市の一つのモントリオールがある東部ケベック州の成人年齢は18歳、オンタリオ州を含めた残る7州と3つの準州全ては19歳としている。
日本は大麻の所持と取引などを大麻取締法で禁じ、処罰の対象としており、日本国外でも適用されることがある。
▽甲子園球場4個分の敷地
スミスフォールズのオンラインメディア「ホームタウン・ニュース」によると、ハーシーにとって米国外で初めての工場となったスミスフォールズの工場が開業したのは1963年6月。スミスフォールズに白羽の矢が立ったのは「十分な労働力を確保でき、製造に必要な牛乳と水の供給が豊富なことと、鉄道が近くを走っているため」だという。
敷地面積は阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)の4個分に相当する約16万平方メートルあり、八つの建物が設けられた。チョコレートバーやココア、チョコレートシロップなどを製造し、当初の1日当たりの生産能力はチョコレートバー20万本分だった。
▽過去最高の見学者の翌年に悲劇が…
一般の見学者を受け入れ、土産物店も設けた工場は地元の人気観光スポットとなり、開業から35年近くが経過した1998年2月には300万人目の来場者を達成。ホームタウン・ニュースは「98年8月13日には見学者を乗せたバスを86台受け入れ、1日の最高記録を達成した」と説明する。
反響の大きさに鑑みてハーシーは土産物店の拡充といった積極的な投資を進め、2005年の見学者数は45万人超と過去最高を更新した。
ところが、翌年の2006年に悲劇が襲う。工場検査で食中毒を引き起こす菌の一つのサルモネラ菌が見つかり、工場は一時休止に追い込まれた。その後再開したものの、ハーシーは07年2月に経営再構築の一環でスミスフォールズの工場を閉鎖し、生産機能を人件費が割安なメキシコへ移すと発表した。
▽“後釜”は大麻メーカー
ハーシーは2008年12月にスミスフォールズの工場の操業を終了。この年はリーマン・ショックが起きて世界的な不況が襲来し、カナダドルが外国為替市場で高騰したことも響いて「08年11月下旬の工場の稼働率はわずか10%だった」(ホームタウン・ニュース)。工場の閉鎖に伴って650人を超える従業員が解雇された。
“後釜”がなかなか決まらない中で、13年9月に工場跡地への進出を発表したのは「Tweed(ツイード)」ブランドで製品を展開する大麻メーカーのキャノピー・グロースだった。当初はハーシーの工場跡の一部で医療用大麻を生産していたが、嗜好用大麻が解禁されるのをにらんで16年から17年にかけてハーシー工場跡の他の施設も購入して拡充。大麻の愛用者拡大を目指して18年8月には工場見学の受け入れも始めた。
ハーシーが使っていた生産設備の多くはアジアやアフリカを含めて幅広い相手先に売却されたが、残っていたチョコレート製造設備は「大麻入りチョコレートの生産用に再利用された」(ホームタウン・ニュース)という。
▽大どんでん返し
「ところが、大麻工場はどうなったと思う?」。乗っていた自動車が工場を通り過ぎた時に運転手の男性が尋ねてきた。
私が「嗜好用の大麻が解禁されて生産を急ピッチで増やしたのではないのですか」と答えると、「確かに生産は増やしたけれども、業績が悪化して工場を手放さなくてはいけなくなったんだよ」と打ち明けた。
確かに赤字続きのキャノピー・グロースは2023年にスミスフォールズの工場を閉鎖し、従業員800人を解雇することを決定。23年の1年間の23年12月期決算は最終的な赤字額を示す純損失が32億7815万カナダドル(約3600億円)に上った。嗜好用大麻の需要が期待したほど伸びずに業績が低迷したため、スミスフォールズの工場を閉鎖して売却することで資金を捻出しようとしていたのだ。
「それで大麻工場が閉鎖し、今度は何の工場になるのですか?」という私の質問に対する男性の答えに腰を抜かした。
「ハーシーが工場を買い戻すことになったんだ」
ハーシーは約5300万カナダドル(約58億円)で工場を買い戻し、一時は大麻を手がけていた工場が“元の鞘”に戻るのだという。
カナダ放送協会(CBC)によると、スミスフォールズ町のショーン・パンコウ町長は「ハーシーは45年間、ここにいた素晴らしい企業市民だった」と強調。工場を買い戻したことで「彼らが再びそうなると確信しています」と期待を込めた。
おそらく大勢いるであろうチャーリーのような子どもたちが憧れるチョコレート工場がカナダ東部の小さな町に舞い戻り、再び根付くことを大いに期待したい。
(シリーズ「「カナダの世界遺産でクルーズ体験」【12】」に続く)
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)