旅の扉

  • 【連載コラム】「“鉄分”サプリの旅」
  • 2022年11月14日更新
共同通信社ワシントン支局次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎

北米最東端の灯台管理人、島内の事故当事者と名字が同じ理由 シリーズ「北海道より大きいカナダの島」【22】

△カナダ東部ニューファンドランド島のスピア岬灯台のドーム状の部分(2022年7月、筆者撮影)zoom
△カナダ東部ニューファンドランド島のスピア岬灯台のドーム状の部分(2022年7月、筆者撮影)

 (「シリーズ『北海道より大きいカナダの島』【21】」からの続き)
 北米の「最東端」とうたった岬にある灯台は、2世紀にわたって同じ名字の管理人にゆだねられていた。北海道より大きいカナダ東部の島、ニューファンドランド島の主要都市セントジョンズから車で約1時間離れたスピア岬灯台でこの名字を聞いた時、私は島内で起きた事故の当事者と同じであることに気づいた―。

△スピア岬にある北米「最東端」と記した石碑(7月、筆者撮影)zoom
△スピア岬にある北米「最東端」と記した石碑(7月、筆者撮影)

 ▽北米最初の日の出地点
 国定史跡「スピア岬灯台」は大西洋の大海原を一望でき、時期によっては氷河が沖合に来ることもある人気観光スポットになっている。「スピア岬 最も東の地点」と北米最東端なのを誇示する石碑も置かれた北米で最初に日の出を迎える地点だ。駐車場に隣接したブースで8・50カナダドル(約900円)を支払えば、入場して観光ガイドを受けることができる。
 出迎えてくれたのは緑色の制服に身を包んだトム・クロムウェルさん。国定史跡のため政府機関の国立公園管理局「パークスカナダ」がスピア岬灯台と一帯を管理しており、クロムウェルさんは「私はパークスカナダの職員です」と自己紹介した。

△スピア岬沖では石油・ガス採掘用船舶も航行していた(7月、筆者撮影)zoom
△スピア岬沖では石油・ガス採掘用船舶も航行していた(7月、筆者撮影)

  ▽初代灯台は1836年完成
 「それでは丘の上まで歩いて行きましょう」と長い階段を昇り始め、たどり着いたのは白壁の小屋にドーム状の灯台部分を載せた2階建ての建物だった。これは1836年に完成した初代の灯台で、入り口に着くと「ニューファンドランド島に現存する最古の灯台です」と教えられた。

△旧スピア岬灯台付近から見た周辺の景色(7月、筆者撮影)zoom
△旧スピア岬灯台付近から見た周辺の景色(7月、筆者撮影)

 ▽7代にわたって管理
 クロムウェルさんは「スピア岬灯台は2世紀にわたってカントウェルさんに管理されてきました」と説明した。「灯台が完成後に、当局は初代のケントウェルさんに管理業務を委嘱しました。その後も子孫が受け継ぎ、1997年に灯台の運営が無人化されるまで7代にわたって続いたのです」と世襲だったと明かした。

△旧スピア岬灯台の建物(7月、筆者撮影)zoom
△旧スピア岬灯台の建物(7月、筆者撮影)

 ▽遭難した船の救助も
 公の仕事である灯台管理が世襲された背景を尋ねると、「人里から離れた場所で暮らす必要があったので代わりになり手がいなかったことや、子どもに灯台をどのように管理するのかを伝える帝王学を伝授できた利点もあったようだ」と教えてくれた。
報酬などの収入はかなり高水準だったとされるが、「命の危険を冒し、遭難した船を救助するために海へ向かった」というから激務だったのは間違いない。

△ニューファンドランド島の主要都市セントジョンズの「シグナルヒル」。丘の上にある建物が「カボットタワー」(7月、筆者撮影)zoom
△ニューファンドランド島の主要都市セントジョンズの「シグナルヒル」。丘の上にある建物が「カボットタワー」(7月、筆者撮影)

 ▽デジャブだった理由
 管理人の「カントウェル」という名字を聞き、セントジョンズの名所、カボットタワーで1918年に起きた爆発事故の当事者と同じ名字なのに気づいた(「シリーズ『北海道より大きいカナダの島』【9】」参照)。当時管理人だったマイケル・カントウェルが大量の火薬を格納していたカボットタワーでパイプを吸おうと火を付けたため爆発して建物は大きく損傷し、カントウェルも数日後に息を引き取った。
 クロムウェルさんは「そうです」とうなずき、「カボットタワーを管理していたカントウェルは、スピア岬灯台を管理していたカントウェル一族の親戚だったのです」と明かした。カボットタワーは原形をとどめないほど壊れてしまったものの、旧スピア岬灯台は稼働当時の姿をとどめている。灯台がどのように運営されていたのかを知るべく、建物の中に足を踏み入れた。
 (「シリーズ『北海道より大きいカナダの島』【23】」からの続き)
 (連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)

共同通信社ワシントン支局次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎
1973年4月東京都杉並区生まれ。国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒。1997年4月社団法人(現一般社団法人)共同通信社に記者職で入社。松山支局、大阪支社経済部、本社(東京)の編集局経済部、3年余りのニューヨーク特派員、経済部次長などを経て、2020年12月から現職。アメリカを中心とする国際経済ニュースのほか、運輸・観光分野などを取材、執筆している。

 日本一の鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。東海道・山陽新幹線の100系と300系の引退、500系の東海道区間からの営業運転終了、JR東日本の中央線特急「富士回遊」運行開始とE351系退役、横須賀・総武線快速のE235系導入、JR九州のYC1系営業運転開始、九州新幹線長崎ルートのN700Sと列車名「かもめ」の採用、しなの鉄道(長野県)の初の新型車両導入など最初に報じた記事も多い。

共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS」などに掲載の鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/culture/leisure/tetsudou)の執筆陣。連載に本コラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)のほか、47NEWSの「鉄道なにコレ!?」がある。

共著書に『平成をあるく』(柘植書房新社)、『働く!「これで生きる」50人』(共同通信社)など。カナダ・VIA鉄道の愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。FMラジオ局「NACK5」(埼玉県)やSBC信越放送(長野県)、クロスエフエム(福岡県)などのラジオ番組に多く出演してきた。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の元理事。
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