(「シリーズ『北海道より大きいカナダの島』【8】」からの続き)
カナダ東部の北海道より大きな島、ニューファンドランド島の主要都市セントジョンズの住民が「街のシンボル」として胸を張るのが「カボットタワー」だ。貫禄があるゴシック様式の石造りの建物だが、管理している政府機関の国立公園管理局「パークスカナダ」の職員は「元の姿をとどめているわけではない」と驚くべき過去を明かした―。
▽かつては激しい戦闘の舞台
国定史跡「シグナルヒル」のハイキングコース「女性たちが見渡す遊歩道」の階段や坂道を上がると、海岸線を一望できる尾根が続いていた。ハイキング客が談笑しながら歩いたり、スマートフォンで記念撮影をしたりと平和な光景が繰り広げられている。
だが、セントジョンズの“玄関口”に位置するシグナルヒルは、かつては軍事防衛拠点としての性格を持っていた。プロイセンとオーストリアの対立を軸とした七年戦争(1756~63年)では、植民地争奪を巡って英国とフランスが激戦を繰り広げた舞台となった。シグナルヒルには大西洋に銃口を向けた大砲を置いており、昔日の様子を再現している。
▽北米上陸400年を記念
シグナルヒルにとどまらずセントジョンズの“顔”となっているカボットタワーの名前は、北米大陸発見者のジョン・カボットに由来する。カボットの北米上陸から400年を迎えたのと、当時のビクトリア英国女王の在位60年を記念して1897年から建設され、1900年に完成した。
設計図には、タワーの隣に建設する天文台も描かれていた。ところが、天文台は建てられずじまいだった。
▽大西洋横断無線通信の受信に成功
完成翌年の1901年にはグリエルモ・マルコーニが世界で初めて大西洋横断無線通信の実験をし、約3500キロ離れた英国コーンウオールから送られたモールス信号をシグナルヒルで受信に成功した。
カボットタワーの屋上には、帆船の甲板にあるような棒「マスト」が垂直に立っている。現地で案内をしてくれたパークスカナダの男性職員は「マストに旗を揚げ、セントジョンズに入港しようとしている船舶に信号を送っていました」と説明してくれた。
▽パイプを吸った次の瞬間…
「カボットタワーは1900年に完成した原形なのですか?」と質問すると、職員は首を振ってこう答えた。「1918年にマイケル・カントウェルという当時の管理人が、大量の火薬を格納していたカボットタワーで、よりによってパイプを吸ったのです。火を付けた次の瞬間、何が起きたのか想像できるでしょう」
猛烈な爆発が起き、壁に積まれていた石が吹き飛ぶとともに出火して建物は大きく損傷した。カントウェルは病院に運ばれたが、数日後に息を引き取った。
▽北京から1万230キロ、東京からは…
カボットタワーの下には駐車場を備えた大きな広場があり、垂直に立てられた棒に矢印の形の看板が縦に八つ取り付けられていた。看板には世界の首都の距離が記され、矢印が首都の方角を向いている。インドのニューデリーから1万180キロ離れているのを示した看板の前では、男性が「僕はここから来たんだ」と言いながらセルフィー画像を撮っていた。
中国の北京(距離1万230キロ)や、名前が長いことで知られるスリランカのスリジャヤワルダナプラコッテ(距離1万2390キロ)も見つけた。東京からの距離も気になったが、残念ながら「Tokyo,Japan」と記した看板はなかった…。
(「シリーズ『北海道より大きいカナダの島』【10】」に続く)
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)