(「シリーズ『北海道より大きいカナダの島』【20】」からの続き)
蛍光灯に照らされた夜行電車のボックスシートでほとんど眠れずにいると、途中の駅で乗り込んで前の席に腰かけた男性と世間話が始まった―。北海道より大きいカナダ東部の島、ニューファンドランド島で南東部にある主要都市セントジョンズと南西部ポルトーバスクの東西883キロを結んでいた鉄道の本線を駆けていた夜行急行列車の展示を眺めていると、地球の反対側にある日本での四半世紀近く前の情景が思い出された。
▽かつては狭軌で北米最長の鉄道
セントジョンズにある鉄道博物館「レールウェイ・コースタル・ミュージアム」は、ニューファンドランド島に1988年まで残っていた鉄道を紹介している。うちセントジョンズ―ポルトーバスク間の本線は1898年に全面開業し、支線を含めるとピーク時には総延長1458キロと東京―鹿児島中央間の営業キロに相当する路線を抱えていた。
線路の幅はJR在来線と同じ1067ミリの狭軌で、博物館は「狭軌としては北米最長の鉄道だった」と説明していた。
▽良い漁場について情報交換?
博物館の一角では、本線を走っていた夜行急行列車の車内を再現している。寝台車と食堂車の様子は前号でお伝えしたが(「シリーズ『北海道より大きいカナダの島』【20】」ご参照)、その傍らには割安な価格で乗車できた座席の客車がどのような光景だったのかも見ることができる。進行方向または反対を向いたクロスシートを、1両当たり最大50席設けていたという。
アウトドアの服装の乗客2人に見立てたマネキンが座席に向かい合って腰かけている。うち1人は釣りざおを抱えているので良い漁場について情報交換している場面かもしれない。
この展示を眺め、新大阪駅(大阪市)から新宮駅(和歌山県新宮市)までかつて走っていたJR西日本の夜行快速電車の通称「新宮夜行」での四半世紀近く前の車内を思い出した。当時は勤務先の初任地の松山支局に在籍しており、休日に大阪で友人らと会った後に「学生時代以来となる夜行電車に乗ろう」と思い立って「青春18きっぷ」を片手に1人で衝動的に新宮快速に飛び乗った。
▽まるで通勤電車
新宮夜行は旧日本国有鉄道時代に急行として活躍した電車165系を使っており、背もたれが直立したボックス座席に腰かけた。午後10時45分ごろに新大阪駅を出発して貨物線を通って大阪環状線に入ると西九条、弁天町、新今宮、天王寺の各駅に止まった。
すると勤務後に一杯飲んで大阪府南部や和歌山県へ戻る帰宅客らが次々と乗り込み、席は埋め尽くされて立っている客であふれた。まるで通勤電車のような混雑だ。
大阪府南部の鳳駅や日根野駅などで多くの客が降り、日をまたいで着いた和歌山駅では乗っていた車両では立っている客はいなくなっていた。
▽「えらい電車に乗った」と実感
背もたれが直立した座席が寝にくいのは乗り込む前から覚悟していたが、和歌山駅に着く前の放送で停車駅が延々と読み上げられるのに耳を傾けて「えらい電車に乗ってしまった」と実感した。停車駅が多いということは途中駅で降りそびれる客が出るのを防ぐため、蛍光灯が車内を煌々と照らし続け、停車駅が近づくたびに案内放送が流れることを意味する。乗客が減っても安眠できる環境には到底なりそうにない…。
午前0時半すぎに箕島駅(和歌山県有田市)に着くと、「すみません」と言いながら男性が向かいの席に座った。私も相手を見てお辞儀をすると、男性が「今、高校時代の恩師と飲んできたんですよ」と余韻に浸るように話しかけてきた。
私が出発した駅名を手がかりに「もしかして高校野球の強豪の箕島高校ですか?」と返すと、男性は待ち受けていたように「そうなんですよ。僕も野球部で(高校野球大会の頂点の)甲子園に出場して、今飲んできたのは尾藤(公、びとう・ただし)監督(当時は前監督、2011年死去)なんですよ」と呼応した。
▽元高校球児のレジリエンス
男性は高校2年生の時に甲子園に出場し、ポジションは捕手だったと言っていたと記憶している。「甲子園でプレーする様子がテレビで全国放送されたのだからすごいことですよね」と話すと、男性は「録画した当時のビデオは今でも持っていますよ」と言ってこう続けた。「今は長距離のトラックを運転しており、大変なこともあります。でも高校時代の(野球部での)練習のきつさに比べると何でも乗り越えられますね」
男性の言葉が想起させたのが「Resilience(レジリエンス)」という英単語だ。「弾力性」や「回復力」などと和訳される。人生で逆境やつらい場面があっても、レジリエンスがあれば乗り越えることができる。男性は高校球児として「猛烈に練習した」ことでレジリエンスをつかみ取ったのだ。
箕島高校を卒業した西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)の元投手、東尾修氏のことなども談笑し、男性は途中駅で降りていった。私はその後もほとんど眠りに就くことができず、午前5時10分に終点の新宮駅に着いた。新大阪駅から約6時間25分の道中が幕を閉じた。ほぼ徹夜状態で新宮駅から3キロほど歩いた海岸で、寝ぼけ眼で一望した太平洋の大海原が忘れられない。
新宮夜行は区間短縮を経て2000年に廃止されただけに、思い立って新大阪駅で乗り込んだのは「乗り鉄」として正解だったのだろうとは思う。ほぼ徹夜状態でも3キロ歩いて太平洋を眺めようとする気力を持ったのは、私のささやかな「レジリエンス」なのかもしれない。甲子園に出場した元高校球児に比べると、余りにもスケールが小さいが…。
(「シリーズ『北海道より大きいカナダの島』【22】」に続く)
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)