(「連載『隠れた鉄道天国カナダ』第6回」からの続きです)
今年で発刊110周年を迎えたルイス・モード・モンゴメリの小説「赤毛のアン」の世界に触れて、牧歌的な雰囲気にひきつけられる読者は日本人を含めてとても多い。舞台となったカナダ東部プリンスエドワード島はそんなイメージにそのまま応えてくれ、観光客を温かく迎えてくれるのは住民だけに限らず、癒やしを与えてくれる動物たちにあふれていた。東京と名古屋を鉄道で往復するのに例えるのならば、往路で「赤毛のアン」の名所巡りという東海道新幹線のような“黄金ルート”を往路で満喫した私は、復路は癒やしの動物との出会いという中央線のような“通好みのルート”を選んだ。
▽「インスタ映え」のヤギが歓迎
最大都市シャーロットタウンの北西にあり、東京ドーム25個分に当たる広さ約120ヘクタールの農場「アイランド・ヒル・ファーム」を訪れた。赤い納屋に入ると、夫とともに農場を所有するフローレンス・サンダースさんが大勢のヤギを従えて出迎えてくれた。100頭を超えるヤギを飼育しており、あれよあれよという間に色とりどりのヤギが足もとに集まってくる。
サンダースさんから「この子は私のお気に入りなのよ」と紹介され、歓迎してくれたのがホルスタイン柄のような白と黒の毛色をした6歳のメス「ベラ」だ。来場者に愛嬌を振りまく人なつっこい性格の“看板娘”で、ベラを抱きかかえようという「#Bellahugs」というハッシュタグを持つ。私もベラと一緒に記念撮影してもらって「インスタ映え」体験を楽しんだが、長所は格好の記念撮影相手ということだけにとどまらない。
「ベラは1日に6リットルから8リットルものミルクが出るの。普通のメスのヤギは1日3リットル程度だから、その2倍以上なのよ。ヤギのミルクはとても良質で、飲むミルクとしてだけではなく、ヨーグルトにもなるし、土産物で売っている石けんにもなるから大助かりよ」とサンダースさんは経営者の一面をのぞかせた。
▽食肉批判にも毅然
農場を観光名所として売り込むのにとどまらず、結婚式を開いたり、ヤギと一緒に楽しむヨガ教室を開いたりとサンダースさんの新事業に積極的な姿勢は話題を呼んでいる。その一つとして論議を呼んだのが、ヤギの10頭に1頭の割合でシャーロットタウンの飲食店向けの食肉用に供給している事実が明るみに出てからだ。
サンダーソンさんの交流サイト(SNS)には、「子供たちが農場でヤギを好きになり、親切にするように教えた後、一転して必要なく殺すのでは示しがつかない」といった批判の声が寄せられた。
物腰が柔らかなサンダーソンさんだが、この点に対しては毅然と反論する。「私たちは全てのヤギを飼うわけにはいかないし、次世代を担う子供がどこから食べ物が供給されるのを学ぶことは意義があると思うわ。私も自分で飼ったヤギを実際に食べてみたのよ」
食肉用に供されるのは、主に9カ月から2歳までのオスという。メスはミルクの生産のために必要で、子供を含めて幅広い人気を誇る“看板娘”のベラは「もちろん対象外」だそうだ。
▽子ヤギにビールは禁物!
「次は子ヤギにミルクをやりましょう」と、サンダースさんの案内で別の納屋に足を踏み入れた。すると、台の上にメスのヤギがおり、後方で子ヤギが懸命に乳を飲んでいる。子ヤギは三毛猫のような体色で、まるで人形のような愛らしさだ。
しかし、乳をやっているメスのヤギと色合いが異なる。「このメスのヤギは体色が違いますが、本当にこの子のお母さんなのですか?」と尋ねると、サンダースさんは自分の唇に人さし指を当てて「これは乳をやっているヤギには内緒よ」とつぶやいた。「本当は違うヤギの子供以外なので、台の上で子ヤギのほうを見ないように乳をやっているの」
やがてメスのヤギから引き離された子ヤギにミルクを与える時が来たが、渡された瓶にはビールの醸造所が記されている。子ヤギにビールを与えるのはもちろん禁物だ!
困惑する私の様子を眺めると、サンダースさんは笑いながら瓶の“謎”を解き明かしてくれた。「最初は皆、驚くけれども、このシールに張られたビール醸造所とは提携しているの。ミルクを与えることでビールを飲みに行ってくれれば、良い観光ルートになるわ!」
私が安心して子ヤギに「なんちゃってビール」を与え、ヤギの石けんなどを土産に購入し、その後で醸造所を訪れて本物の地ビールを味わった。サンダースさんの巧みな経営戦術にすっかり乗せられていた。
▽甘えん坊が一転、忠犬ハチ公像の姿勢に
ハチミツをブレンドしたワイン「ミードワイン」の注目が高まっている中、ミードワインを手掛けるワイナリー「アイランド・ハニー・ワイン・カンパニー」が昨年開業した。鉄分が豊富なプリンスエドワード島名物の赤土と畑が織りなす広大な土地にあり、店に入ろうとすると巨大なフロアマット状の毛皮が敷かれている。
「いや、ずいぶん盛り上がっているな」と目を向けると、毛皮が転がって仰向けになって「おなかをなでて」というまなざしを向けてきた。オーナーの愛犬「アビー」で、見知らぬ人間の私にも全く警戒心を見せずに甘えてくる。私は愛犬家だが、実家のダックスフンドもなつくには歓心を買うためにずいぶん餌付けした。それに比べてアビーは、いともたやすく初対面の相手にも心を開く。
オーナーのチャールズ・リプニスキさん、ローラ・リプニスキさん夫妻にミードワインを試飲させていただいた際に「入り口にいる犬はとてもかわいいですね」と水を向けると、チャールズさんは相好を崩してこう語った。「アビーはもうすぐ4歳になりますが、子供を含めて誰に対しても優しいので人気があるんですよ。うちのことを紹介してくれるSNSに載っている写真も、ワインよりアビーのほうが多いほどです」
かくいう私もアビーの写真を本稿に自然と載せているのだから、ヤギのベラの向こうを張るような恐るべき求心力だ。
ただマスコットの役目を果たすだけではなく、本業に貢献しているのもベラと同じだ。「うちのブドウ農場はヒツジに雑草を食べてもらうのですが、夜になるとコヨーテが現れて食われてしまうのが悩みの種でした。ところがアビーを飼うようになってからは番犬として農場の見守りをしてくれるので、ヒツジが襲われることがなくなったのです」
そう言ってチャールズさんが店の外に出て、寝転がっていたアビーに“番犬モード”の指示を出した。するとアビーはまるで東京の渋谷駅前にある忠犬ハチ公像の姿勢で座り、しっかりしたまなざしで遠くを監視する姿勢に一変。ところが、指示が解除されたとたんに、チャールズさんの前で仰向けになって甘えた。このギャップもまた、アビーの魅力を倍加させているようだ。
▽私の朝食を知らずに近寄るウシ
ヒツジと言えば、プリンスエドワード島で道沿いにヒツジの群れがいる牧場を見つけ、立ち寄ってフェンス越しに敷地内をのぞいた。ヒツジは不審者の来訪に警戒しているのか、私とは距離を保ったままだ。ところが、2頭のウシがこちらに歩いてくる。
ヒツジを守るために不審者を追い払う牧場の「見張り役」なのか、それとも「今は営業時間外だから後で来なさい」と教えにきたのか?
それらの想定とは正反対で、とても人なつっこいウシだった。一緒に記念撮影するとばかりに「カメラ目線」を向けてくれるサービスぶり。このウシも「インスタ映え」のターゲットになっているのに違いない。残念ながら立ち寄った時間に牧場は開いていなかったが、営業時間外にのぞきにきた来場者も歓迎してくれる気さくなウシは、牧場の人にも来訪者にもさぞかしかわいがられているに違いない。
ラッキーだったのは、このウシが乳牛のジャージー種だったことと、このウシが30分前に私が口にした朝食に気付いていなかったことだ。有名シェフのマイケル・スミス氏が経営する人気のオーベルジュ「ジ・イン・アット・ベイ・フォーチュン」で前日に饗されたフルコースの夕食を完食できず、ステーキを客室に持ち帰って朝に平らげたばかりだったのだ。
もしも私の朝食のメニューを知ったら、愛嬌たっぷりのウシも「自分が次の番になったら困る」と一目散に逃げていたに違いない(苦笑)。
(「連載『隠れた鉄道天国カナダ』第8回」に続く)
(連載コラム(「“鉄分”サプリの旅」)の次の旅をどうぞお楽しみに!)