(シリーズ「「カナダの世界遺産でクルーズ体験」【4】」からの続き)
カナダの首都オタワを流れるオタワ川沿いでひときわ目立つのが、小高い丘に石灰岩で造られた近代ゴシック復興様式で築かれた連邦議会議事堂だ。現在は大規模改修工事中の下院議場で2003年3月に当時のカナダのジャン・クレティエン首相は、イラクへの大規模軍事侵攻を強行したアメリカ(米国)のジョージ・ブッシュ(子)大統領に背を向けて「参戦を拒否する」と宣言した。米国が「言うことを聞かないと嫌がらせをする厄介な大国」(カナダ外交官)なのを百も承知で国民の命を優先したクレティエン氏の「とても難しい決断」は、それから20年超を経た今も輝き続けている―。
【カナダ連邦議会議事堂】かつてイギリス(英国)の植民地だったカナダ連邦は1867年に建国し、議会は上院と下院の二院制となっている。首都オタワに初代の連邦議会議事堂の主な建物が1859年から1866年にかけて建設され、議場などに使われた。1916年2月3日に火災が起き、職員が機転を利かせて鉄製の扉を閉めたため守られた図書館など一部を残して灰燼(かいじん)と化した。近代ゴシック復興様式の現在の議事堂は1922年に完成し、シンボルとなっている「平和の塔」も1927年にできあがった。老朽化のため2019年に始まった大規模改修工事は2031年まで続く予定で、改修費用は計45億~50億カナダドル(約5千億~5500億円)に達すると見込まれている。
議事堂本館の改修工事中、上院は旧オタワ・ユニオン駅舎の建物に、下院は議事堂西側の建物にそれぞれ仮設で移転している。代わりに近くのスパークス通り沿いにある建物の1階にある連邦議会について発信する展示施設「連邦議会―没入型体験」では映像と光、音を駆使して議場の雰囲気を疑似体験できるようになっている。無料で見学でき、所要時間は約45分だ。
会場では議事堂の建物の構造や特色が分かる展示とともに、カナダの歴史に残る名演説や成立した法律を紹介している。私は特に強い印象を受けた名演説が、1993~2003年に首相を務めたクレティエン氏が政治生命を懸けて下院で訴えた言葉だ。
▽スタンディング・オベーション
イラクのサダム・フセイン政権が大量破壊兵器の開発を進めていると主張し、侵攻ありきで動いたブッシュ(子)米国政権に背を向け、クレティエン氏は「軍事行動が国連安全保障理事会の新たな決議なしで実施されるのならば、カナダは参戦を拒否する」と強調した。
すると、政権与党の自由党の議員だけでなく、新民主党などの野党議員も立ち上がって拍手するスタンディング・オベーションで応じた。クレティエン氏の決断が冷静かつ的確であり、スタンディング・オベーションで応えた大勢の議員の評価が正しかったことは歴史が証明している。
大統領在任中に2001年9月の米国中枢同時テロが起きたブッシュ(子)氏はイラクのフセイン政権が大量破壊兵器を保有しているとの誤った分析を信じ込み、フセイン氏は大量破壊兵器を使って米国を攻撃すると警戒感を募らせていたとされる。
米国が強行した2003~11年のイラク戦争とフセイン政権崩壊後の混乱によってイラクでは数十万人が犠牲になったとされる。4千人を超える米兵が命を落とし、2兆ドル(約300数兆円)を超える出費となった米国の「大失敗」は火を見るより明らかだ。
▽靴を投げられたブッシュ元米大統領
しかも血眼になって探しても大量破壊兵器は見つからず、ブッシュ氏がイラクを侵攻した大義名分は完全に崩れ落ちた。2009年1月に通算8年の大統領職から降りるのを控えていたブッシュ氏は08年12月にイラクの首都バグダッドを電撃訪問し、記者会見に出席したところ、当時の放送局記者が「別れのキスを受け取れ、この野郎!」と罵声を浴びせながら履いていた左右の靴をブッシュ氏に向かって投げつけた。
この一見すると過激な行為は、多くのイラク国民の反米感情を鮮明に伝えていた。知り合いの米国民は「イラク戦争は、ブッシュ氏が自身に献金と票をもたらした軍需産業を潤わせるために起こした謀略だったのではないか」と疑いの目を向けているほどだ。
▽笑みが物語る確信
これに対し、正しかったことを歴史が証明したのがクレティエン氏の政治判断だ。クレティエン氏は2023年10月にカナダの放送局、CTVのインタビューでイラク戦争への参戦拒否が「とても難しい決断だった」と振り返り、最大の貿易相手国である米国との取引に支障が出ることを恐れた企業から「極めて強い懸念を聞いていた」とも打ち明けた。
「謙虚な人柄」(カナダ政府関係者)とされるクレティエン氏は、自身の先見の明を決して自慢することはなかった。だが、その後に見せた笑みは心の内にある確信を物語っていた。自身の決断がカナダおよび国民にとって最善だったことと、もしも逆の選択をしていれば敬意を持って耳を傾けてもらえる日が訪れていなかったことを。
(シリーズ「「カナダの世界遺産でクルーズ体験」【6】」に続く)
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)