(「シリーズ『北海道より大きいカナダの島』【19】」からの続き)
「“鉄分”サプリの旅」というコラム名にもかかわらず、鉄道の話題で“鉄分”補給ができないのは看板倒れに受け止められてしまうかもしれない。実は北海道より大きいカナダ東部の島、ニューファンドランド島ではかつて、南東部にある主要都市セントジョンズと南西部ポルトーバスクを東西883キロにわたって結ぶ鉄路を夜行急行列車が駆けていた。セントジョンズにある鉄道博物館では当時の列車の車内が再現されており、乗務員の様子がまるで家政婦が主人公のテレビドラマの一場面のようで足が震えた―。
▽駅舎跡が博物館に
鉄道博物館「レールウェイ・コースタル・ミュージアム」は、かつてセントジョンズの玄関口だった石造りの立派な駅舎跡の建物に入居している。入場料は大人8カナダドル(約840円)だ。
ニューファンドランド島では、英国の植民地だった1881年に鉄道建設が始まった。建設主体が資金難から破産に追い込まれるなどの紆余曲折を経て、セントジョンズ―ポルトーバスク間を結ぶ本線が98年に全線開業した。
▽狭軌で北米最長の鉄道
本線のほかに支線も建設された鉄路を旅客列車や貨物列車が往来し、博物館は「鉄道が内陸部の鉱業や林業の開発でも大きな役割を果たした」と強調する。
ピーク時には総延長1458キロと東京―鹿児島中央間の営業キロに相当する路線を抱えた。線路の幅はJR在来線と同じ1067ミリの狭軌で「狭軌としては北米最長の鉄道だった」と説明を受けた。
▽カナダ連邦加入後、SLからディーゼル機関車へ
夜行急行列車は長年にわたって蒸気機関車(SL)が客車を引いていた。だが、ニューファンドランド島が1949年にカナダ連邦に加わったのに伴い、鉄道を引き継いだカナディアン・ナショナル鉄道(CN)は、53年から60年にかけてディーゼル機関車を53両導入してSLを置き換えた。
ディーゼル機関車の中心勢力となった「900クラス」は最高出力1200馬力のディーゼルエンジンを搭載しており、力強い走りを見せた。
列車は島とカナダ本土との行き来にも利用され、ポルトーバスクではカナダ東部ノバスコシア州ノースシドニーと結ぶ旅客船と乗り継ぐことができた。
▽2段式寝台で好まれたほうは…
博物館の一角で再現した寝台車は、2段式のベッドになっている。日中は対面式の座席として使っている腰かけと背もたれを引き伸ばすと、下のベッドになる。上のベッドは壁面に収納されており、車内で乗客の手伝いをする乗務員のポーターが「手前に引っ張り出してベッドメーキングをした」(博物館の説明)という。
子ども部屋に二段ベッドを置くと、どちらが上のベッドで寝るのかで兄弟げんかの種になることがあると聞く。しかし、大枚をはたかないと乗れない寝台車の利用者は「大部分が窓からの景色を楽しむことができ、通路に出やすい下段のベッドを好んだ」とされる。
長旅だったため、日中は乗客が退屈しないようにポーターが座席にテーブルとして使える台を用意し、トランプを配ったという。
▽食堂車はまるで「家政婦は見た!」?
旅行中の目玉だったのは、「上質な味の食事と卓越したサービスで定評があった」という食堂車だった。窓に沿って対面になった4人掛けと2人掛けのテーブルが計24席あり、美しく敷いたテーブルクロスの上に白亜の陶磁器でできた皿や、フォークやナイフ、スプーンの銀食器が並べられた。
朝食にはオムレツやハムを提供し、昼食は島の特産品のタラのムニエルや羊肉の料理を提供。夕食にはステーキや、焼いたウミマスなどを味わうことができ、食後にはアイスクリームなどのデザートも饗された。
面白かったのが接客などを差配するスチュワードが、まるでテレビドラマ「家政婦は見た!」で故市原悦子さんが演じた主人公である家政婦のようなポーズで厨房から食事を楽しむ乗客をのぞき込むようなポーズを見せていたことだ。といっても、依頼主の秘密を探ろうとするドラマに登場する家政婦とは異なり、乗客の様子を注意深く見守り、細心の気配りをしていたのであろうが…。
(「シリーズ『北海道より大きいカナダの島』【21】」に続く)
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)