カナダにある北海道より大きな島へ向かうため、私はアメリカ(米国)の首都ワシントン近郊のロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港(DCA)から乗り継ぎ空港のカナダ東部モントリオールへ飛んだ。利用したエア・カナダのアプリに表示された機種名には「Mitsubishi(三菱)」が表示されている。三菱重工業のグループが開発を目指してきた国産初のジェット旅客機MSJ(三菱スペースジェット)は事実上の開発凍結に追い込まれたのになぜか―。
▽聖火輸送が期待されたMSJ
MSJは、2008年にMRJ(三菱リージョナルジェット、19年に現名称へ改称)として開発が始まった。標準型の座席数が88席と小型のリージョナルジェット機ながら居住性が良い機内空間を確保し、米国プラット・アンド・ホイットニー(P&W)の燃費性能が優れたジェットエンジンを搭載するのを売りとした。初めての国産ジェット旅客機の開発となり、国産旅客機としては旧日本航空機製造(解散済み)のプロペラ機「YS―11」以来、約半世紀ぶりとして大きな脚光を浴びた。
YS―11は東京五輪が開かれた1964年に製造が始まり、東京五輪の聖火輸送を担った。それだけにMSJの初号機納入先のANAホールディングス元幹部は受領が当初予定の2013年から繰り返し延期後も「20年東京五輪・パラリンピックまでには何とか間に合ってほしい」と期待を込め、聖火輸送にも「実現できればいい」と期待をつないだ。
▽累計1兆円を投じながら…
MSJは15年11月に初飛行を果たした。航空機メーカー世界2強の一角のボーイングの工場がある航空の本場・米国西部ワシントン州のグラント郡国際空港を拠点に試験飛行を繰り返し、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)で1年延期された東京五輪・パラリンピックに初号機納入が間に合うことへのいちるの望みを持つ向きもあった。
ところが三菱重工の泉澤清次社長は20年10月30日、6度にわたって納入時期を延期し、開発費が累計1兆円規模に上ったMSJについて「いったん立ち止まることにした」と事実上の開発凍結を宣言した。
▽突如浮上した「三菱」旅客機
三菱重工は、機体納入に必要となる安全性などを航空当局が証明する「型式証明」の取得に向けた作業は続けると表明。しかしながら、21~23年度の予算はわずか200億円。米国の試験飛行の拠点を閉鎖し、試験機の3号機の登録を抹消するなど「手じまいムードが漂っている」(航空関係者)とささやかれる。そんな中でMSJとは別の「三菱」を名乗るリージョナルジェット旅客機が飛ぶようになったのはなぜなのか?
▽三菱ブランドの理由
三菱重工はMSJの納入を始めた場合に課題となっていた機体の保守を手がける拠点を確保するため、カナダの航空機メーカー、ボンバルディアから50~100席規模のジェットエンジンを機体後方に2基備えたリージョナル旅客機「カナダエア・リージョナル・ジェット(CRJ)」事業を20年6月1日付で買収した。設立された全額出資子会社の「MHI RJアビエーショングループ」がCRJの保守や改修などの機能を譲り受けたのに伴い、それまで「ボンバルディアCRJ」と呼ばれていた機体が「三菱CRJ」に改称されたのだ。
▽「ゆくゆくは」MSJも?
外国で乗り込もうとしているのが「三菱」を冠した機体なのはどこか親しみを覚えるのは確かだ。ただ、勤務先でMSJの開発について長く取材し、ニューヨーク支局時代に試験機が米国西部ワシントン州のグラント郡国際空港に到着する様子を目の当たりにした者としては「乗り込むのがMSJだったらいかに感動的な展開だろうか」とも思う。
三菱重工が「MHI RJ」の発足時にしたためた「CRJシリーズ、そしてゆくゆくは次世代リージョナルジェットである三菱スペースジェットファミリーを含むグローバルな航空機業界への包括的なサービスとソリューションを提供します」とのメッセージが実現する日は果たして「ゆくゆくは」訪れるのだろうか?
(「シリーズ『北海道より大きいカナダの島』【2】」に続く)
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)