旅の扉

  • 【連載コラム】「“鉄分”サプリの旅」
  • 2021年7月5日更新
共同通信社ワシントン支局次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎

あべこべなLRTの行き先表示 米国屈指の犯罪都市ボルティモア【6】

△行き先表示に「クロムウェル」と記したボルティモアのLRT=メリーランド州(筆者撮影)zoom
△行き先表示に「クロムウェル」と記したボルティモアのLRT=メリーランド州(筆者撮影)

 (「米国屈指の犯罪都市ボルティモア【5】」からの続き)
 アメリカ(米国)東部メリーランド州ボルティモアのインナーハーバー地区にある次世代型路面電車(LRT)の停留所で、目当ての電車に乗り遅れた。周辺には観光名所が建ち並ぶ「安全地帯」だが、凶悪犯罪発生率4位の都市の素顔を知る旅なのでパスした。次の電車が出発するのが30分後と知って肩を落としたが、なぜか直後に電車が近づいてきた。

△次に停車するのが誤って「ノース・アベニュー」になっている車内の液晶表示=メリーランド州で筆者撮影zoom
△次に停車するのが誤って「ノース・アベニュー」になっている車内の液晶表示=メリーランド州で筆者撮影

 ▽行き先は反対方向
 大リーグアメリカン・リーグに所属する球団「ボルティモア・オリオールズ」の本拠地の球場「オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ」に隣接したLRTのカムデン・ヤーズ停留所。目的地であるボルティモア・ワシントン国際空港(BWI空港)に向かう電車を逃し、次の出発は30分後という。
 ところが、先頭車両に行き先を「NORTH AVENUE(ノース・アベニュー)」と記した電車がプラットホームに近づいてきた。1992年に開業したボルティモアのLRTは南北に結んでおり、ノース・アベニューはカムデン・ヤーズから七つ先にある停留所だ。二つ先の停留所で係員に「1時間半後まで来ない」と教えられた一部運休中の区間に含まれているのに、なぜ走るのだろうか?
 ボルティモアのLRTでは一部停留所を通過する速達タイプは運行していないが、もしかすると一部停留所を通過する変則ダイヤで運転だろうか?それとも、約1時間半にわたる“休憩”後に、再び北へ走り出すのだろうか?

△ボルティモアの市街地を走るCSXトランスポテーションの貨物列車=メリーランド州(筆者撮影)zoom
△ボルティモアの市街地を走るCSXトランスポテーションの貨物列車=メリーランド州(筆者撮影)

 ▽路線図にない行き先
 すると、到着した電車から利用者が次々と下車し、その大勢が球場の傍らに止まっていたLRTの不通区間と結ぶ代行バスに乗り換えた。電車内に乗客の姿は見当たらなかったが、行き先は北端にある「ノース・アベニュー」のままだ。
 私のほかにホームにいた男性も、電車の側面にある行き先表示を訝しがって眺めている。次の瞬間、表示が「CROMWELL(クロムウェル)」に変わった。男性は行き先表示を指差しながら「よし、クロムウェルになった」と私のほうを見ながら説明し、納得した様子で電車に乗り込んだ。
 私も反射的にうなずいたものの、クロムウェルってどこだ!?
 ボルティモアのLRTは南端の区間が二股に分岐しており、西側の路線がBWI空港、東側へ向かう路線はグレン・バーニーがそれぞれ終点だ。慌ててスマートフォンでインターネットを検索して路線図を確認したものの、クロムウェルという停留所はどこにも見当たらない。

△ウエストポート停留所の車窓。奥にはクルーザーや釣り用の船舶が並んでいるのが見える=メリーランド州(筆者撮影)zoom
△ウエストポート停留所の車窓。奥にはクルーザーや釣り用の船舶が並んでいるのが見える=メリーランド州(筆者撮影)

 ▽なぜ「グレン・バーニー行き」と書かない?
 そこでスマホで見つけた路線図の画面をいったん閉じ、LRTを所管するメリーランド州運輸局の公式ホームページの路線図を開けた。すると、グレン・バーニーの停留所名の下にあるカッコ内に「旧クロムウェル」と申し訳程度に記されていた。
 行き先表示も現在の停留所名の「グレン・バーニー」と記し、その下に「旧クロムウェル」と補足するのが筋ではないか。おそらく、開業当初から運行しているスイスのABBが製造した車両の行き先表示は名称変更後の「グレン・バーニー」に対応していないのだろう。だが、行き先表示がことごとく実際と異なるというのは地元以外の利用者泣かせだ。
 私はグレン・バーニーではなくBWI空港へ向かうため、BWI空港行きの電車を待てば1本でたどり着くことができる。ただ、カムデン・ヤーズであと二十数分間待ち続けるのもおっくうなため、二股に分岐する手前のリンシカムまで乗っていくことにした。

△ウエストポート停留所の川側とは反対の車窓には、古いタウンハウスが並んでいた=メリーランド州(筆者撮影)zoom
△ウエストポート停留所の川側とは反対の車窓には、古いタウンハウスが並んでいた=メリーランド州(筆者撮影)

 ▽格差社会の象徴
 電車の進行方向の南向きの座席に腰掛けた。出発すると高架区間に入り、車窓からはボルティモアの市街地を走るCSXトランスポテーションの貨物列車が走る様子が目に入った。
 ふと次に止まる停留所が気になって車内の液晶表示を見ると、次に停車するのが「ノース・アベニュー」になっている。折り返す前に先頭車両に表示していた誤った行き先で、この電車が通らない反対方向の停留所名だ。
 折り返す前の行き先表示も、車内の液晶画面の案内も、まるで漫画「ドラえもん」に登場する触ったものが何もかもあべこべになってしまうひみつ道具「アベコンベ」で触れ回った後のようなあべこべぶりだ。
 二つ先のウエストポート停留所の手前で「これがボルティモアなのか!?」と目を疑うような景色が目に入った。左側の車窓に広がっていたのは大西洋へ注ぐパタプスコ川のダイナミックな流れで、富裕層が休暇を楽しめるクルーザーや釣り船などが係留されているウオーターフロントの保養地と呼ぶべき趣だ。
 ところが、右側に視線を移すと古めかしい2~3階建ての集合住宅「タウンハウス」がところ狭しとばかりに密集している。左手を向けば富裕層の憩いの場が広がり、右手を眺めると暮らし向きが必ずしも楽ではない低所得層の手狭な住宅が建ち並んでいる様子は、米国で深刻化している格差社会の実態を如実に映し出していた。

△車内にある扉を開けるためのボタン=メリーランド州で筆者撮影zoom
△車内にある扉を開けるためのボタン=メリーランド州で筆者撮影

 ▽米国の1%の富裕層が総資産の32%を握る
 米国の中央銀行に当たる連邦準備制度理事会(FRB)が6月21日に発表したデータによると、米国で最上位1%の富裕層が2021年1~3月期に保有していた資産額は計41兆5200億ドル(約4610兆円)を握る。これは米国全体の総資産の32・1%を占め、この割合は現行集計を始めた1989年7~9月期以降で最高となった。
 一方、下位50%の資産額は計2兆6200億ドル(約290兆円)と全体の2・0%にとどまる。“不動産・カジノ成り金”のドナルド・トランプ前大統領は連邦所得税の上限を39・6%から37%に引き下げるなど、自らのような富裕層をより潤す我田引水を進めた。さらに、新型コロナウイルス流行後はFRBが事実上のゼロ金利政策といった大規模な金融緩和策を実施しており、株価が歴史的水準に跳ね上がったのも富裕層の資産が膨らんだ。
 米国の格差社会を目の当たりにしてため息をつきながら電車に乗っていると、緑が多い郊外の住宅街を進んでリンシカム停留所に着いた。この電車はグレン・バーニー行きのため、この停留所で分岐するBWI空港行きに乗り換える必要がある。
 ボルティモアのLRTは全ての停留所に停車する仕組みだが、下車する利用者は扉の横にあるボタンを押して自分で扉を開ける必要がある。
 ダイヤによると15分後にBWI空港行き電車が来るはずだ。しかし、ここで計算外の出来事がもう一つ待ち受けていた…。
 (「米国屈指の犯罪都市ボルティモア【7】」に続く)
 (連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)

共同通信社ワシントン支局次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎
1973年4月東京都杉並区生まれ。国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒。1997年4月社団法人(現一般社団法人)共同通信社に記者職で入社。松山支局、大阪支社経済部、本社(東京)の編集局経済部、3年余りのニューヨーク特派員、経済部次長などを経て、2020年12月から現職。アメリカを中心とする国際経済ニュースのほか、運輸・観光分野などを取材、執筆している。

 日本一の鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。東海道・山陽新幹線の100系と300系の引退、500系の東海道区間からの営業運転終了、JR東日本の中央線特急「富士回遊」運行開始とE351系退役、横須賀・総武線快速のE235系導入、JR九州のYC1系営業運転開始、九州新幹線長崎ルートのN700Sと列車名「かもめ」の採用、しなの鉄道(長野県)の初の新型車両導入など最初に報じた記事も多い。

共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS」などに掲載の鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/culture/leisure/tetsudou)の執筆陣。連載に本コラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)のほか、47NEWSの「鉄道なにコレ!?」がある。

共著書に『平成をあるく』(柘植書房新社)、『働く!「これで生きる」50人』(共同通信社)など。カナダ・VIA鉄道の愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。FMラジオ局「NACK5」(埼玉県)やSBC信越放送(長野県)、クロスエフエム(福岡県)などのラジオ番組に多く出演してきた。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の元理事。
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