トラベルコラム

  • 【連載コラム】イッツ・ア・スモール・ワールド/行ってみたいなヨソの国
  • 2019年2月19日更新
夢想の旅人=マックロマンスが想い募らず、知らない国、まだ見ぬ土地。
プースカフェオーナー/DJ:マックロマンス

次はロンドンで会おう

カムのベース、サウスポー仕様のリッケンバッカーとオリジナルのピック。zoom
カムのベース、サウスポー仕様のリッケンバッカーとオリジナルのピック。
カム・キャンベルと出会ったのは何がきっかけだっけ?

30年も前のことだからね。記憶もあいまい。当時、僕がいそうろうしていたハイストリートケンジントンの屋根裏に奥さんと2人でやってきて、飲んだり吸ったり吐いたり、まあ要するにロックンロールだよね。そういうやつ。
これを「勇姿」と呼ぶzoom
これを「勇姿」と呼ぶ
カム・キャンベルはベースプレーヤー。セックス・ギャング・チルドレン(すごい名前だよね。)という、イギリスを代表するゴス・バンドのメンバーで、知的なマスクもさながら、サウスポーでトレードマークのリッケンバッカーを奏でる姿はセクシーで多くの女性ファンを魅了してた。

僕の方はロサンジェルス出身のゴスバンド、クリスチャン・デス(こちらもまあまあすごい名前だよね。)でベースを弾いていて、同時期にロンドンをベースに活動していて、同じアングラなエリアにいて、同じベースプレーヤーで、比べられることもあったかもね。ライバルとまではいかずとも、存在はやはり気になってたと思う。

デモテープを聴かせてくれてね。カムのベースってのが普通のエレキベースなはずなのにまるでフレットレス弾いてるみたいにエッジのない奇妙なベースラインなんだな。ジャズなんだ。ゴスなのに。彼は新しい演奏法を編み出したんだと得意げだったけど、僕は正直驚いた。「負けた」と思ったね。負けた。これは真似できない。

僕がミュージシャンをやめたのにはいろんな事情が重なっているのだけれど、カムのベースを聴いたのもやめた理由のひとつではある。この世界では自分はいちばんにはなれないって、わかってしまったわけだ。何をやるにしてもさ、やっぱりいちばんじゃないと意味がないんだよね。志だけでも。
長い時間が流れたが、変わらぬものもある。zoom
長い時間が流れたが、変わらぬものもある。
音楽をやめて帰国して、何十年か後になって、カムが癌を患っているというニュースを耳にした。あまり良くないって話だったけど、僕に何かできるわけもなく、そのまま時間が経って、そのうちにSNSなんかが普及するようになって、かなり弱ってはいるけどどうにか生きてるってことは知っていた。でも正直、もう一度会えるとは思ってなかったかも。僕は東京にスタックしてるし、歩くのもやっとの体で飛行機に乗るなんて自殺行為だもんね。

そしたら何と東京に来るって言うじゃんね。しかもあのリッケンバッカー持参で、ライブもやるって。で、都内のロックバーに有志が集まったってわけ。ゴス界においてはビッグニュースだけど、もちろん一般には話題にもならない。それでいいんだ。たかがロックンロールだもの。

カムの体がズタズタなのはひと目見るだけでわかった。手術に失敗したとかで、声帯も声もない。モノは食べられないし、投薬があるから外出時間にも制限がある。ライブの途中で何度も気を失いそうになって、ハラハラしたけど最後まで演奏し切った。ずいぶんヤレたけどさ、目の輝きは30年前と同じだった。

次はロンドンで会おうと僕たちは約束して別れた。今回はカムがトーキョーに来たからね。次は僕が彼を訪ねていく番だ。
追記:2021年4月3日、緊急入院した先の病院でカムが亡くなったと彼の妻のミカから連絡があった。2019年に僕が渡英した時は、体調不良で再会を果たせなかった。次に会うのはロンドンでも東京でもないところになっちゃったね。
プースカフェオーナー/DJ:マックロマンス
マックロマンス:プースカフェ自由が丘(東京目黒区)オーナー。1965年東京生まれ。19歳で単身ロンドンに渡りプロミュージシャンとして活動。帰国後バーテンダーに転身し「酒と酒場と音楽」を軸に幅広いフィールドで多様なワークに携わる。現在はバービジネスの一線から退き、DJとして活動するほか、東京近郊で農園作りに着手するなど変幻自在に生活を謳歌している。近況はマックロマンスオフィシャルサイトで。
マックロマンスオフィシャルサイト http://macromance.com
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