トラベルコラム

  • 【連載コラム】イッツ・ア・スモール・ワールド/行ってみたいなヨソの国
  • 2012年12月24日更新
夢想の旅人=マックロマンスが想い募らず、知らない国、まだ見ぬ土地。
プースカフェオーナー/DJ:マックロマンス

モスクワ 初恋を追いかけて

Photo by Takashi Akimotozoom
Photo by Takashi Akimoto
ロシア文学に憧れた時期があったでしょ?ないかしら。僕はありました。文学そのものに影響されたと言うよりも、何かその手の雰囲気にね。「ロシア文学を嗜むオレ」みたいな自分になりたかったんだと思うんです。冬はハイネックのセーターの上からダッフルコート着て、マフラーまいて、日曜日は図書館に通って、長髪で、基本もの静かなんだけどデートの時は気の利いた冗談を言ってガールフレンドを笑わせて、、。そんなイメージですね。頭の中に描いた架空のかっこいい自分に近づくべく、ドストエフスキーとかトルストイなんかを手に入れては一生懸命ページをめくるのですけど、全然ダメでしたね。どうにもこうにも言葉が頭に入っていかないんだ。

だいたいにして長いんです。ストーリーが。集中力が続かないんだ。ああ僕は憧れの文学青年にはなれないわ。って諦めかけた時に、ふと見つけたのがツルゲーネフの「初恋」。この手にしては珍しいショートストーリーで文庫本にして200頁にも満たない。これでプレッシャーから開放されたからか、面白いようにすらすらと読めるんです。ストーリーは大人になった主人公が10代の頃の初恋の体験を回想する形で展開して往くのですけど、「初恋」ってタイトルから想像できるような青く淡い恋のお話ではありません。重くて暗いの。主人公は全編を通してずっと苦しんでいるんですけど、その心臓を掻きむしられるような苦しみの中にある美しい旋律が読む者の心を振動させるんです。
「初恋」の舞台は19世紀のモスクワ。行ってみたいですね。タイムマシンに乗って過去に戻ることはできませんが、飛行機でモスクワを訪れることはできます。実は僕、一度だけ行ったことがあるんだな。ちょっと事情ありですけど。このエピソードは他でも喋ったことがあるので、聞いたことのない人のために細部は端折ってお話ししますね。知ってる人はスルーして下さい。

ロシアがソビエト連邦だったころのお話。僕は日本で休暇を取って、当時活動の拠点だったイギリスに戻るところだったんですけど、ワケあって入国できず、空港の施設(留置所のようなところです。)に何日か収容された後、日本に強制送還されることになりました。その時に乗ったエアラインがアエロフロート、ご存知ロシアの航空会社です。ロンドンを出発してモスクワにストップオーバーして日本に向かうという北回りのルート。強制送還なのでパスポートは帰国までキャビンクルーに預けられます。パスポートなしで飛行機に乗るってのはなかなか不安なものです。

そしてモスクワに着いた時、そんな僕の不安は的中。僕のパスポートはクルーから現地スタッフに手渡され、僕の身柄はそのスタッフに委ねられるます。小太りの中年女性で、航空会社の制服みたいのを着ていたのですけど、どういう役回りの人なのかはさっぱりわかりません。言われるがままに彼女の後をついて歩き、空港内をあちこち連れ回されて、ふと気がつくといつの間にか税関の外、つまり僕はパスポートなしでソビエトに入国したことになります。いくら何でもこれはまずいだろと思っていたら案の定、連れて行かれた銀行の窓口のような場所で、所持金のほとんど全てを踏んだくられるという結末です。こっちはもうビビりまくってますから相手の言うがまま、あちらからすれば扱いやすいカモだったでしょう。

財布が空っぽになってしまうと僕は用済み。そのままモスクワ川に沈められる、、なんてことはなくて、無事に日本に帰ることができたのですけど、まあ、ちょっとした体験ではありました。なわけで僕は冷戦時代のソビエトにパスポートなしで入国したことのある数少ない日本人のうちのひとりです。そんなことがあって、僕は今でもモスクワに貸しがあると思っています。当時の20万円は僕にとって大金でしたもの。ぜひ返して頂きたい。ですから生きているうちにぜひモスクワを訪れたいですね。今度はちゃんとパスポートを持って。
ツルゲーネフの時代から150年以上が経過しましたが、モスクワの街そのものは当時とそれほど変わってないんじゃないかと僕は思います。もちろん何もかもが同じと言うわけにはいかないでしょうが、その時代の人たちが感じていた空気感のようなものは、きっと今でもそこにあるような気がします。現地で何がしたいかって?うん。旅先で僕がやることはだいたいいつも同じです。

街を歩いて歩いて歩き回る。足の向くまま気まぐれに。疲れたらカフェ(またはバー、レストラン、あるいはそのような公共施設)に入ります。地元の人しかいないような店がいいですね。パリみたいに洒落てはないし、ベルリンみたいにアーティスティックでもないだろうけど、モスクワにもきっと良い感じのカフェがあるはずです。旅行中は誰しもセンサーの感度が上がりますから、あてずっぽうで入った店がしっくりくる居心地の良い店である可能性は高い。

コーヒーかビールを注文し、飲み終わったらまた歩き出す。疲れたらまたカフェを探す。これを繰り返しているうちに街のムードが体に吸い付いてきます。歴史とか文化とかよく理解していなくても、その街のことが何となくわかってくるんだな。ふと、街が自分を受け入れてくれたように感じる瞬間があります。それこそが旅の醍醐味なのではないか、と僕は思うのです。

ついでにロシア美女と知り合えたりすると、更に嬉しいかも。で、「初恋」の主人公みたいに恋に堕ちて、それだけだったらいいんだけど、またカモられたりして。
ツルゲーネフのことちょっと調べてみたら、ずいぶんあちこち移り住んでいたみたいですね。外国に住んでモスクワに戻り、また別の国に住んでモスクワ。というのを繰り返していたようです。中心はやっぱりモスクワなんだけど、ずっと同じ所にはいられない性格のようです。何となくわかる気がします。そして、けっこう頻繁に友人と衝突を起こしています。ドストエフスキー、トルストイともぶつかって絶交してみたり。これも何かわかる気がするなあ。

で、「初恋」。ツルゲーネフ本人が最も気に入ってる作品なんだそうな。ふむ。全身でもがき苦しむような恋愛。いかがですか?
プースカフェオーナー/DJ:マックロマンス
マックロマンス:プースカフェ自由が丘(東京目黒区)オーナー。1965年東京生まれ。19歳で単身ロンドンに渡りプロミュージシャンとして活動。帰国後バーテンダーに転身し「酒と酒場と音楽」を軸に幅広いフィールドで多様なワークに携わる。現在はバービジネスの一線から退き、DJとして活動するほか、東京近郊で農園作りに着手するなど変幻自在に生活を謳歌している。近況はマックロマンスオフィシャルサイトで。
マックロマンスオフィシャルサイト http://macromance.com
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