zoomインバウンド(訪日客)にも人気がある観光地、神奈川県・箱根の芦ノ湖を周遊しながら「お茶」を楽しめるユニークな遊覧船「箱根遊船 大茶会(だいちゃかい)」が2025年12月20日、営業運航を始めた。デザインを担ったイチバンセン一級建築士事務所代表取締役の川西康之氏は、携わった鉄道車両で鉄道友の会の25年のブルーリボン賞とローレル賞を「ダブル受賞」した実力者だ。そこで川西氏の船内ツアーに同行し、鉄道車両との共通性を探ったところ、まるでお茶会で重ねられる杯のように出るわ出るわ…。
zoom ▽「ほとんどの客が1階にとどまっていた」理由は
富士急行傘下の箱根遊船は1986年就航の遊覧船「十国丸」を約2億7千万円かけて大幅改造し、日本の伝統文化を象徴する「お茶」を楽しんでもらうコンセプトにした「箱根遊船 大茶会」として再出発させた。全長28・8メートル、全幅11・6メートルで、二つの船体を甲板で平行につないだ双胴船(そうどうせん)のため揺れにくいのが特色だ。屋上を含めて4フロア分あり、定員は595人と十国丸の700人から減った。
富士急側から「お茶をテーマにした新しい船を造ってください」との要請を受けた川西氏がコンセプトとして目を付けたのは、太閤・豊臣秀吉が1587(天正15)年に京都・北野天満宮と周辺で開催された「北野大茶湯」だった。
川西氏は「身分や立場に関係なく、茶碗一杯で楽しめるような船ができたら、楽しいんではないかな」と考え、1階の入り口に抹茶を使った飲料や菓子などを販売する売店を設け、好きな場所で味わえるようにした。
ただ、十国丸時代は船内に画一的な座席が並んでおり、船内エレベーターもないため「ほとんどのお客様が1階にとどまっていました」と回想する。そこで回遊性を高めるために「私どもがすべき役割としてはデザインの力で、お客様が船内を歩き回り、2階や3階、4階へ行ってみたいと思えるような空間を作ることにしました」と力説する。
「20種類ほどの座席がある」(川西氏)という船内は想定を超えるワクワク感、そして“鉄分”にあふれていた。
zoom ▽待ち受ける“盆栽”!近寄ってみると…
奈良県出身の川西氏はジョークを交えながら、開発秘話や“幻”に終わったアイデアなどのサービストークを披露してくれるのが定番だ。よって、私は川西氏が登場するイベントでは金魚のふんのようにひたすら後を付いていき、気になったことは率直に質問するようにしている。
通常ならば川西氏のガイドは出発時から全力投球だが、今回は1階ではやけに口が重い。その理由は利用者に船内を歩き回らせたいとのコンセプトでデザインしたため、私たちも階段で上階へ誘導したいという意図だった。
その気合いを早速体現していたのが、2階の入り口の通路奥にある“盆栽”が飾られた突き当たりだ。京都・銀閣寺で用いられている設計手法を応用したとし、「銀閣寺のすごいところは突き当たりを設けることでいきなり日本庭園を見せないことなんです」と解説する。
すなわち、銀閣寺では長い通路を歩かせることで来場者の視界を狭くし、目を少し休ませから、日本庭園が目に入るという手法を用いていると指摘。大茶会でも「“盆栽”がある突き当たりまでの両側にはカーテンを設けることで視界を絞り、天井は黒くすることで関心が行かないようにし、その先に壁が金色の茶室と広い視界が開けるようにした」と打ち明けた。
さりげなく置かれた“盆栽”は「フレームの針金などを除くと越前和紙で造られており、幹から下のコケに至るまで全て和紙でできています」というが、遠目だと本物ではないかと見間違えるほど完成度が高い。
私は近寄ってみて観察すると、「これは(川西氏がデザインを担当したJR西日本のディーゼル車両キハ189系を改造した観光列車)『はなあかり』と同じサプライヤーですか?」と川西氏に尋ねた。「はなあかり」に乗車した際、座席横の壁面にある一輪挿しに飾られた越前和紙でできた造花に似ていたからだ。
答え合わせの結果は、「その通りです」ということだった。
zoom ▽茶室に映える「金風庵」の書、揮毫したのは
カーテンによって視界に入りにくくしている“盆栽”の手前の通路沿いにある座席をのぞくと、デジャブ(既視感)に襲われた。川西氏がデザインに携わり、鉄道友の会の2025年ブルーリボン賞に輝いたJR西日本の特急「やくも」(岡山―出雲市間)に使っている電車273系の「セミコンパートメント」の座席とそっくりなのだ。
ただ、「視界を絞る」通路で左右までのぞき込むのは横道にそれる行為なので、川西氏に付いていくと「銀閣寺の日本庭園」に相当するヤマ場が待ち受けていた。派手好きの豊臣秀吉をほうふつとさせる黄金にきらめく畳席「茶室 金風庵」だ。
きらびやかな黄金の壁を前に、「本物の金箔を貼っているのですか?」という質問も。川西氏は「その検討もし、富士急の堀内光一郎社長は『金箔をぜひ貼ってください』とおっしゃった」と明かしたが、選んだのは金色の粘着シートだった。富士急が誇る遊園地「富士急ハイランド」(山梨県富士吉田市)では、ジェットコースター「「キング・オブ・コースターFUJIYAMA(フジヤマ)」に金箔を貼り付けた車両を導入した実績を持つ。だが、足元では比較的安全な投資先として人気を集める金は価格が爆上がりしており、大茶会では断念したという。
この茶室の壁に掲げた「金風庵」と記した掛け軸は、何と川西氏が自ら揮毫したものだとか。すかさず「JR九州の西九州新幹線の車両N700Sの『かもめ』の文字を揮毫した青柳俊彦会長に対抗ですか!」と突っ込むと、川西氏は笑みを浮かべた。そして、3階の船尾にある湖上の景色を眺められる空間「茶室 緑風庵」にも「掛け軸を追加する計画で、また書かないと」と語り、こちらも自身の手で「緑風庵」の文字をしたためることを披露した。
そう披瀝する川西氏は「数で勝った」というドヤ顔を浮かべていた。
zoom ▽幻に終わった「お茶巡り」構想とは
さて、川西氏は当日お目にかかるやいなや「私は昨夜ほとんど寝ていないんですよ」と明かし、「気づいたら隣で寝てしまっているかもしれません。危ない所があるんですよ」と話していた。その「危ない」座席は、2階の先頭にあった。
前後に動く木製のロッキングチェアで、腰かけてみると湖上の景色を眺めながらゆらゆらと揺られると実に心地いい。「一度座ると動けなくなるいすです」と川西氏が評した通り、身動きが取れなくなった。
「このいすを造ったのはどこですか?」と質問すると、「天童木工(山形県天童市)です」と川西氏。すかさず、「天童木工と言えば、(川西氏が設計デザイン統括を務めた新潟県の第三セクター鉄道、えちごトキめき鉄道の観光列車)『えちごときめきリゾート雪月花』に使われている家具メーカーじゃないですか!」と返した。
雪月花は新潟県産のこだわりの食材を生かした弁当を味わいながら、大きな窓からの景色を堪能する列車で、1人当たりの料金が通常2万7800~2万9800円する。その納入メーカーが造ったいすならば安全性には全く心配がないものの、睡魔に襲われて寝込んでしまいそうで“危険”だ。
3階の屋外デッキにある茶畑を想起させるベンチ「茶畑だんだん」は、貼り付けた人工芝がまるで茶畑のように見える。船内はインスタグラムなどの交流サイト(SNS)で写真をシェアしたくなる見所が盛りだくさんで、これだけ目玉があれば乗客が回遊するのは間違いない。
ところが、川西氏は「あれが実現すれば、お客様が確実に歩き回ってもらえた」と悔やむ構想を打ち明けた。それは1階と2階、3階のそれぞれにお茶のティーバッグと給湯器を置き、乗船客が自分のコップを持って船内を歩きながらお茶を楽しめるようにするアイデアだった。
「お湯は95度と70度の2種類を用意し、ティーバッグをガチャポンで出す仕掛けも話し合われた」ものの、給湯器でやけどをするリスクがあり、乗務員をそこに常時置くのは難しいことから実現しなかったという。
大茶会という名称にふさわしい「お茶巡り」構想が幻に終わってしまったのは残念だ。それでも見所は満載で、かつ「鉄道車両」との共通性を含めた“川西ワールド”を存分に楽しめる船旅だった。
zoom【北野大茶湯】豊臣秀吉が主催して1587(天正15)年10月1日に京都・北野天満宮と周辺に1千軒以上ともいわれる茶店を建て、実施した大規模なお茶会のこと。読み方は「きたのおおちゃのゆ」で、「北野大茶会(きたのおおちゃかい)」との呼び方もある。茶道具の準備からお茶をたてるところまで担う茶頭(さどう)を千利休が務め、身分にこだわらず広く参加を呼び掛けた。このため天皇家や武家などの上流階級だけではなく、町人や百姓といった一般市民も参加することができる当時としては画期的な行事となった。
