奈良の旅で出会ったのは、一子相伝で500年受け継がれてきた高山茶筌の物語でした。
竹を割り、削り、編み上げるという繊細な作業を繰り返し、今もなお茶筌師の手によって命を吹き込まれる茶筌。その存在は、日常ではあまり意識されない道具でありながら、抹茶を点てるために欠かせないものです。その技と想いに触れたとき、奈良の旅は一層深く、知的で豊かな時間へと広がっていきました。
今回の機会は、地域文化を大切にするJWマリオット・ホテル奈良の提案によって生まれたものです。ホテルが掲げる「マインドフルネス」という哲学は、心と体を整えるだけでなく、土地の文化や伝統を次世代につなぐことも意味します。その想いに導かれるように、日本でここ高山町にしかない茶筌づくりの世界を知りました。
世界に広がる「CHASEN」
奈良県北部、生駒市高山町は日本で唯一の茶筌産地。室町時代から変わらぬ製法が続き、現在もわずか16軒の工房で作られています。夫婦で営む小さな工房もあれば、30人の職人が分業する大規模な工房もあり、茶筌の製法を継承し続けています。しかし、どこも深刻な茶筌不足に直面しており、伝統をどう次代へとつなぐかという岐路に立っていると言います。今回は、谷村家20代目、現当主である谷村丹後氏に話を伺いました。
追求する「用」の美
茶筌は茶道具の中で唯一の消耗品です。茶杓(ちゃしゃく)や茶碗のように名を刻まれることはなく、芸術作品として残ることもありません。茶筌師はアーティストではなく、道具を作る「アーティザン(職人)」であり、昔から求められてきたのは「抹茶を美味しく点てる」という機能性でした。しかし、最後の仕上げで整えられる穂先には、機能を超えて追求される美のかたち。抹茶を美味しく点てるための工夫の中に「用の美」が息づいているのです。そこには、職人の強い意志とプライドが感じられました。
職人技の息をのむような緻密な工程
茶筌づくりに使う道具は包丁も台座もすべて職人の手作り。一本の茶筌ができあがるまでには、とても細やかな工程が続きます。竹を割り、表皮を削り、放射状に細かく分ける。さらに外側と内側で太さを変えて二重構造をつくり、穂先を削ってしなやかさを与える。角を落とし、糸で編み込み、美しい姿へと整える。最後に茶筌師が全体の形を微調整すると、ようやく一本が完成します。
その制作時間はおよそ2時間。1日に作れるのはわずか5〜6本。職人の集中と熟練が凝縮された指さばきは、まさに奈良旅で出会える奇跡の瞬間でした。
なぜ高山だったのか
茶筌の里・高山の歴史は室町時代に始まります。この地を治めていた鷹山城主の次男・宗砌が、茶の湯の祖・村田珠光に請われ、現代に近い茶筌を創案したと伝えられています。その技法は一子相伝として受け継がれ、鷹山家没落後も地域の産業として発展しました。背景には、この地に自生していた良質な淡竹の存在があります。冬に切り出され、寒風にさらされる竹は、茶筌に最適な強さとしなやかさを備えていました。
奈良で育まれた独自の文化
抹茶はもともと中国が発祥で、眠気覚ましや健康のために飲まれていたそうです。当時は「ささら」と呼ばれる道具で混ぜていたといいます。しかし中国ではやがて廃れ、日本においてのみ茶道と結びつき、茶筌が生まれました。つまり、茶筌は日本独自の文化であり、世界に誇れる伝統工芸品として、いま再び脚光を浴びています。
奈良を再発見する旅へ
奈良といえば、東大寺や奈良公園を思い浮かべる方が多いかもしれません。けれども高山茶筌に触れる旅は、観光地巡りとは異なる知的な喜びをもたらしてくれます。職人の精神に触れ、歴史を感じ、道具の美を知る。そんな体験こそ、大人の奈良旅の醍醐味ではないでしょうか。奈良を訪れるなら、ぜひ茶筌づくりの世界に足を運んでみてください。その瞬間、旅は観光から文化体験へと変わり、心に長く残る特別な時間となるはずです。
取材協力:谷村丹後氏、JWマリオット・奈良
谷村丹後氏 和北堂公式サイト:https://www.tango-tanimura.com
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取材:RISVEL編集部 N.C.