旅の扉

  • 【連載コラム】歩く、撮る、書く。とっておきの風景を探して。
  • 2025年5月15日更新
フォトグラファー、ライター、編集者:小坂 伸一

ショパンの故郷ポーランド 〜ピアノの詩人のゆかりの地を巡る〜[後編]

毎年5月中旬~9月の日曜日に無料のショパンピアノコンサートが開催されるワジェンキ公園。zoom
毎年5月中旬~9月の日曜日に無料のショパンピアノコンサートが開催されるワジェンキ公園。


ショパンが愛した街、ワルシャワを歩く

ショパンゆかりの地を巡る旅は、生誕地であるジェラゾヴァ・ヴォラ、洗礼を受けた聖ロフ教会からワルシャワにあるもうひとつの象徴へと続く。その舞台は、ポーランド最後の王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキが愛した広大な庭園――ワジェンキ公園。「ワジェンキ宮殿(水上宮殿)」や「オランジェリー(温室)」など、18世紀の気品を今に伝える歴史的建造物が点在し、静かな水辺や豊かな緑に囲まれたこの場所は、地元の人々にとっても憩いの場となっている。そしてこの公園には、音楽を愛する人々にとって象徴的な存在のショパン像が佇む。また、漫画『ピアノの森』では、ショパン国際ピアノコンクールに挑む主人公・一ノ瀬海がこの公園を「ショパンの森」と呼び、心を落ち着ける場所として描かれている。

ショパン像は、幾度の時代の荒波を越えて今も静かにこの地を見つめ続けている。zoom
ショパン像は、幾度の時代の荒波を越えて今も静かにこの地を見つめ続けている。

ワジェンキ公園のショパン像

柳の木の下、瞑想するように「ピアノの詩人」が腰掛ける姿。このブロンズ像をデザインしたのは、ポーランドの彫刻家ヴァツワフ・シマノフスキ(1859–1930)。本来はショパンの生誕100周年にあたる1910年に建立されるはずでしたが、デザインをめぐる議論に加え、第一次世界大戦の勃発も重なり、完成は大きく遅れることになります。そして最終的に像が設置されたのは、戦後の1926年のことでした。

しかしこの像は、さらに過酷な運命をたどります。第二次世界大戦中、ワルシャワを占領していたドイツ軍により、真っ先に破壊の標的とされ、1940年5月31日に爆破されてしまったのです。それでもショパンを愛する人々の想いは途切れることなく、終戦から1年後の1946年10月17日(ショパンの命日)に、同じデザインで再建されました。ショパン像横では毎年5月中旬~9月の日曜日に無料の野外コンサートが開催されます。

――実は今回この場所を訪れた日も、まさにその命日。柔らかな木漏れ日の下、風に揺れる木々の音が、どこかショパンの旋律を思わせるようでした。

旧市街の復興にあたっては、戦火に焼かれる以前の街の様子を記録した写真やスケッチ、絵画が参考資料として活用された。zoom
旧市街の復興にあたっては、戦火に焼かれる以前の街の様子を記録した写真やスケッチ、絵画が参考資料として活用された。

ショパンの記憶をたどるワルシャワ旧市街

かつてショパンが青春時代を過ごし、音楽家としての礎を築いたワルシャワ。その面影を色濃く残す歴史地区(旧市街)は、1980年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。実はここ、戦後に復元された街であるにもかかわらず、世界遺産に認定された稀有なケースなのです。

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの占領下で街は徹底的に破壊され、旧市街の建物の多くが瓦礫と化しました。しかし、戦後、ワルシャワ市民たちはかつての街並みを取り戻すために立ち上がります。残された絵画や写真、図面をもとに、「ひび割れひとつに至るまで忠実に」と語られるほどの精度で、街をよみがえらせたのです。この「破壊からの復元および維持への人々の営み」が評価され、ワルシャワの旧市街は復元文化財として世界で初めて世界遺産に登録されました。いま私たちが目にする石畳の通りやカラフルな建物は、すべて人々の手によってよみがえったもの。戦火に消えながらも再び立ち上がったこの街並みはショパンが愛した風景そのものであり、まさに奇跡と言えるものです。

聖十字架教会内部。レオナルド・マルコーニ作の墓碑銘には、1810年2月22日誕生と刻まれている。zoom
聖十字架教会内部。レオナルド・マルコーニ作の墓碑銘には、1810年2月22日誕生と刻まれている。

心は、今もこの地に ― 聖十字架教会とショパンの“セルツェ”

旧市街から南へと歩みを進めると、重厚なファサードが印象的な聖十字架教会が姿を現します。ここは、ショパンの「心」が静かに眠る場所。ポーランドの歴史と精神に深く根ざしたこの教会には、音楽を愛する人々が今も絶えず訪れます。

1849年10月17日、ショパンはパリで静かに息を引き取りました。遺体はペール・ラシェーズ墓地に埋葬されましたが、彼の心臓はワルシャワへ戻されることになります。生前、「遺体は戻せずとも、セルツェ(心臓)だけは故郷へ」と願ったショパン。最期を看取った姉ルドヴィカが、アルコール漬けにされた心臓をスカートの中に隠してポーランドへ持ち帰るという、まさに愛と信念に満ちた旅路を経て、1850年、心臓は聖十字架教会に安置されました。その後、第二次世界大戦でこの教会も戦火に巻き込まれましたが、ショパンの心臓は事前に運び出されて難をまぬがれ、1945年のショパンの命日に元の場所に戻されています。

5年に1度のショパン国際ピアノ・コンクールでは、彼の命日である10月17日には競技が行われず、聖十字架教会でモーツァルトの《レクイエム》が演奏されるのが恒例となっています。

◎聖十字架教会|Bazylika Świętego Krzyża
所在地: Krakowskie Przedmieście 3, 00-047 Warszawa
http://swkrzyz.pl/

クラシンスキッチ広場、ワルシャワ蜂起記念碑前に佇むショパンベンチ。ここでは「マズルカ第13番 イ短調 作品17-4」が流れる。zoom
クラシンスキッチ広場、ワルシャワ蜂起記念碑前に佇むショパンベンチ。ここでは「マズルカ第13番 イ短調 作品17-4」が流れる。

音楽とともにたどるショパンの足跡 ― ショパンベンチのある風景

ワルシャワは「ショパンの街」と呼ぶにふさわしい場所です。ショパンは生後わずか7カ月でこの地に移り住み、約20年間をここで過ごしました。ゆえに、街のあちらこちらに彼の足跡が残されています。そのショパンゆかりの地に設置されているのが、「ショパンベンチ」と呼ばれるベンチです。2010年、ショパン生誕200年を記念して、市内15カ所に設置されたこのベンチにはスピーカーが内蔵されており、ボタンを押すと、その場所にゆかりのあるショパンの代表曲が流れ、座面には解説(その場所とショパンとの関係)が刻まれています。

たとえば、彼の心臓が安置されている聖十字架教会前のベンチでは、「ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調 作品35《葬送》 第3楽章 葬送行進曲」が静かに流れ、ワジェンキ公園のベンチでは、「ポロネーズ 第3番変 イ長調 作品40の1《軍隊》」が威厳ある調べを響かせます。まるでショパンの音楽に導かれるように、街を歩きながら彼の人生に触れる――そんな体験ができるのが、ワルシャワならではの魅力です。

心臓が収められている支柱の下部には「ここにフリデリック・ショパンの心臓(心)が眠る」と記されている。zoom
心臓が収められている支柱の下部には「ここにフリデリック・ショパンの心臓(心)が眠る」と記されている。

3つの遺言と残されたメロディ

ショパンの遺言には、「心臓のポーランドへの返還」のほかに、「未発表作品の廃棄」「葬儀ではモーツァルトの《レクイエム》を演奏してほしい」という願いがありました。

心臓は姉ルドヴィカの手によって祖国ワルシャワに戻り、モーツァルトの《レクイエム》もパリの聖マドレーヌ教会での葬儀で演奏されました。しかし、「未発表作品の廃棄」という遺志だけは、実行されることはありませんでした。それは、彼の死後に残された楽譜やスケッチに、かけがえのない芸術的価値があると考えた人々の判断によるものでした。こうして、本来なら永遠に失われていたかもしれない旋律の数々が、今も私たちの耳に届いているのです。たとえば、《幻想即興曲》や《ノクターン第20番 嬰ハ短調》。ショパン自身が発表を望まなかったこれらの作品にも、繊細な感情のひとしずくや、深い孤独、祈りのような響きが宿っています。その音楽は、時代を越え、なお人々の心を静かに震わせ続けています。生涯をかけて紡がれた旋律は、たとえ本人の意図を超えても、生き続ける。それは、ショパンがこの世に遺した、もうひとつの奇跡なのかもしれません。

「ショパンよ、ため息と涙とすすり泣きの海よ。」
マルセル・プルースト(1871-1922)


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取材協力:ポーランド政府観光局
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Photo&Text:小坂 伸一
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フォトグラファー、ライター、編集者:小坂 伸一
海外旅行ガイドブックの編集長を経て独立。現在はフォトグラファー、ライター、編集者として、企画立案から取材、撮影、執筆、編集までを一貫して手がける。旅や文化、自然をテーマにしたコンテンツ制作を得意とし、書籍やパンフレットなどの紙媒体からウェブまで、幅広いジャンルで活動している。映画やドラマのロケ地を巡る旅をライフワークとしており、雑誌連載などを通じて、その魅力を発信中。

小坂 伸一 公式ウェブサイト「La BUSSOLA」:https://www.la-bussola.info
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