あるインスタグラムの投稿を見つけて、今日こそはこのカフェからブログを書こうと意気込みますが、相変わらずカフェというところは時間の流れと光か空気の感じが違い、店員さんとカップルのゆるゆると会話が弾むボンジュールな光景をのんびり眺めてしまいます。ふと過去の旅のコラムを読み返して、私は2023年にここに寄稿していないことに気がつきました。去年も、私は旅をしてコーヒーを飲み喜怒哀楽あったはずなのに、仕事の勢いに押されてという理由だったのか、確かにいつも仕事のことが頭にあり、それをアイデンテティとしながら必要ない焦りに駆られてよく怒っていた一年でした。でもそこに後悔はなくやり切った感じがありますが、何も記録できなかったことが残念です。とはいえ、気に入っているところには繰り返し行ってしまうので、結局いつか書いたことのあるどこかのカフェにいたのです。さて今日は、居心地のいいLa Fabrique du cafeから、7月の初めにただ最近の心に残る話をメモするようなコラムとなりそうです。
コーヒーを淹れるいい香りがしてきて顔を上げると、書いている時にグッと内側にいた自分が、外に向けてほぐれていくようです。今週街を賑わすのは、サッカーEuro Championship、議会選挙です。外国人である私にとっては極右政党は困るのですが、今通っている語学学校は移民局に提供されているコースなので、それはさまざまな背景を持つ移民の状況を肌で感じます。彼らにとって移民政策は死活問題です。私のクラスの大半は難民で、私と同じように配偶者としてきた生徒はごく一部です。ある授業で、「フランスまでどんな交通機関を使ってきましたか」という質問がありました。ポイントは en l'avion (飛行機で), en train(電車で) など、前置詞と乗り物の名前を学ばせたいのですが、あるアフガニスタンからの難民の生徒は a pied、歩いてきたというのです。最初は先生も冗談かと思って、またまたーどうやってきたの、と切り返したのですが、どうやら本当のようです。アフガニスタンからフランスまで、数えきれない国を歩き、しかも警察に見つからないよう夜に国境を渡ったことや、各国の通関で一時勾留されることなど、難民申請が受理されるまでの壮絶な道のりを私は息を止めて聞いていました。彼だけではなく、他の難民の生徒も同じ経験をしたようでお互いに盛り上がることなく納得していました。先生は、Alors, bienvenue en France、と答えました。ちなみに私はこの先生の懐の深さによく感心しています。大人に語学を教えることはこんなにパワーのいることかと、また彼らの職業なしには語学だけでなく生きるための全てのことが言葉という形で「掴める」ものにならないのです。ただここで感傷的にだけなってはいけないのが悲しい現実で、こんなに命懸けできたのに、授業に真面目に出ている生徒が半分くらいなのは何故なのか、そして国のシステムが学歴重視でフランス語が話せないと(なので職業訓練は充実している)仕事をもらえないことが難民の機会を剥いでいるのか国民の機会を守っているのか難しいところです。ウクライナの難民については、今年5月で国の援助が打ち切られて語学学校に通えなくなることが決まっていて、傍目にもとても優秀で努力家の彼らのへの補助は武器の供与より援助になるのではないかと思います。