旅の扉

  • 【連載コラム】coffee x
  • 2024年7月8日更新
旅先のカフェで想うこと
カフェエッセイスト:ベルナドン(安齋)千尋

Coffee x カレーライスと塩一トン

La Fabrique Du Cafezoom
La Fabrique Du Cafe
あるインスタグラムの投稿を見つけて、今日こそはこのカフェからブログを書こうと意気込みますが、相変わらずカフェというところは時間の流れと光か空気の感じが違い、店員さんとカップルのゆるゆると会話が弾むボンジュールな光景をのんびり眺めてしまいます。ふと過去の旅のコラムを読み返して、私は2023年にここに寄稿していないことに気がつきました。去年も、私は旅をしてコーヒーを飲み喜怒哀楽あったはずなのに、仕事の勢いに押されてという理由だったのか、確かにいつも仕事のことが頭にあり、それをアイデンテティとしながら必要ない焦りに駆られてよく怒っていた一年でした。でもそこに後悔はなくやり切った感じがありますが、何も記録できなかったことが残念です。とはいえ、気に入っているところには繰り返し行ってしまうので、結局いつか書いたことのあるどこかのカフェにいたのです。さて今日は、居心地のいいLa Fabrique du cafeから、7月の初めにただ最近の心に残る話をメモするようなコラムとなりそうです。
顔を上げると、足の長いお客さんとバリスタのお姉さんのゆるい会話が続くzoom
顔を上げると、足の長いお客さんとバリスタのお姉さんのゆるい会話が続く
カレーライスの話から。梅が咲いていた頃、初めて夫婦で日本に帰省しました。東京での最後の夜、私とフランス人の夫は、私の弟の家に泊めてもらい、いつも可愛いお嫁さん、小学生になったばかりの甥と、もっと小さな姪と楽しく過ごしたのでした。フランス語は英語ではない、という事実に驚愕の子どもたちは、背も鼻も高い夫にサンキューではなくメシーという謎の合言葉を教わり、私たちは逆にテレビゲームを習い、ハマっているという何故かSASUKEの録画を見ながら、普段と違う家の中に大興奮です。子どもたちは、一生懸命いろんな話をしながら夜ご飯のカレーライスをお茶碗に小盛りで食べ終わり、なんとなくおやすみの時間という空気に。そこで甥が、カレーお代わりする、と言いました。偏食の甥はお菓子が主食で、野菜は嫌いだし少食と聞いていたので、珍しいねーでも野菜食べられてえらいね、と私。お嫁さんも、えーほんとうに食べられる?本人はママを見つめて、うん。でも弟(甥からすればパパ)は、笑いながら「カレーがなくなってもまだいていいんだよ、ご飯が自分の前になくなったら寝なきゃいけないと思ったんでしょ、まだ一緒にいたいんだよね。」
翌日、彼がランドセルを背負って出かけるのを私たちは揃って見送り、優しい家族みんなの思いやりに感謝でいっぱいでした。
白いアスパラガスは春の到来zoom
白いアスパラガスは春の到来
「ひとりの人を理解するまでには、少なくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ。」姑は、自分も若いころ姑から聞いたのだといって、こう説明してくれた。一トンの塩をいっしょに舐めるっていうのはね、うれしいことや、かなしいことを、いろいろといっしょに経験するという意味なのよ。塩なんてたくさん使うものではないから、一トンというのはたいへんな量でしょう。それを舐めつくすには、長い長い時間がかかる。まあいってみれば、気が遠くなるほど長いことつきあっても、人間はなかなか理解しつくせないものだって、そんなことをいうのではないかしら(須賀敦子 『塩一トンの読書』)

塩一トンを舐めるように夫婦を共にするということ。私はオランダでも何年も彼と住んでいたので、大抵のことはわかっていると思っていたのですが、実際はフランスに移住後、大喧嘩を繰り返し、家を飛び出しては田舎すぎて鹿に遭遇して引き返したり、はちゃめちゃな日もあるのです。泣きながら実家の母に電話をすると、母は私の言うことが手に取るようにわかっていることにびっくりです。義理の家族と暮らすこと、どこの役所に相談したらいいかわからない書類に苛立つこと、結婚して初めて若い頃の母の当時の気持ちを理解したのでした。悲しい気持ちの時こそ、頭のどこかに記憶されている幸せな瞬間の画像に助けられます。まだフランスに住んでいない頃、ロッテルダムに帰るThalysを待つパリ駅のブラッセリーで丸いランプに囲まれてOysterとロゼシャンパンで乾杯したときや、マロングラッセの金色の包み紙を一緒に開けること、大きな花束を堂々と、私にも彼のお母様にも渡せる素敵な選択を迷わずできる人と、塩一トンはきついけど、共有できる幸せな瞬間を積み重ねていけたらいいなと思っています。
フリマで買った夫婦グラスzoom
フリマで買った夫婦グラス
コーヒーを淹れるいい香りがしてきて顔を上げると、書いている時にグッと内側にいた自分が、外に向けてほぐれていくようです。今週街を賑わすのは、サッカーEuro Championship、議会選挙です。外国人である私にとっては極右政党は困るのですが、今通っている語学学校は移民局に提供されているコースなので、それはさまざまな背景を持つ移民の状況を肌で感じます。彼らにとって移民政策は死活問題です。私のクラスの大半は難民で、私と同じように配偶者としてきた生徒はごく一部です。ある授業で、「フランスまでどんな交通機関を使ってきましたか」という質問がありました。ポイントは en l'avion (飛行機で), en train(電車で) など、前置詞と乗り物の名前を学ばせたいのですが、あるアフガニスタンからの難民の生徒は a pied、歩いてきたというのです。最初は先生も冗談かと思って、またまたーどうやってきたの、と切り返したのですが、どうやら本当のようです。アフガニスタンからフランスまで、数えきれない国を歩き、しかも警察に見つからないよう夜に国境を渡ったことや、各国の通関で一時勾留されることなど、難民申請が受理されるまでの壮絶な道のりを私は息を止めて聞いていました。彼だけではなく、他の難民の生徒も同じ経験をしたようでお互いに盛り上がることなく納得していました。先生は、Alors, bienvenue en France、と答えました。ちなみに私はこの先生の懐の深さによく感心しています。大人に語学を教えることはこんなにパワーのいることかと、また彼らの職業なしには語学だけでなく生きるための全てのことが言葉という形で「掴める」ものにならないのです。ただここで感傷的にだけなってはいけないのが悲しい現実で、こんなに命懸けできたのに、授業に真面目に出ている生徒が半分くらいなのは何故なのか、そして国のシステムが学歴重視でフランス語が話せないと(なので職業訓練は充実している)仕事をもらえないことが難民の機会を剥いでいるのか国民の機会を守っているのか難しいところです。ウクライナの難民については、今年5月で国の援助が打ち切られて語学学校に通えなくなることが決まっていて、傍目にもとても優秀で努力家の彼らのへの補助は武器の供与より援助になるのではないかと思います。
和歌山県紀の川市 MONO MOMO & KITEで購入できます。zoom
和歌山県紀の川市 MONO MOMO & KITEで購入できます。
1年住んでみないとその土地の様子はわからないと思いますが、まずは最初の季節をクリアしたなという気がします。春の季語になった白いアスパラガスが食卓に上がった喜びも束の間、昨日の夜はみんなでメロンを食べました。私が買い付けしたフランスのアンティーク雑貨が、和歌山県紀の川市のMONO MOMO & KITEで購入できるようになったことも、この春から始めたちょっと楽しいことです。銀行の人が業務外にも関わらず、1時間もかけて個人事業主の登録をしてくれたことや、縁があってパートタイムでもやりがいのある仕事が見つかり、「あの時から人生変わった、あの時に生き延びた、みたいのってだいたい人に会った時」と思うから、ほぼ日の学校を作ったという糸井重里さんの話がしっくりくるように、この春は人に助けられたことばかりでした。もうすぐカフェもクローズで、彼が迎えにきてくれたら、Un Soir Rue Haute Vienne (夏の夜のオートヴィエンヌ通り)というお祭りを通って帰ります。夏の宵の心地いい風が吹きますように。
春の土があったかい鉢植えzoom
春の土があったかい鉢植え
LA FABRIQUE DU CAFELimoges市内のLycee General et College Leonard Limousinという高校の横にあります https://www.lafabriqueducafe.fr/contact/ 

MONO MOMO & KITE和歌山県紀の川市にオープンしたサウナも楽しめるキャンプ場。ヨーロッパで収集した家具や雑貨を扱うお店を併設しています。初夏のホタルまつりや焙煎教室の開催など子供も大人も楽しいサイトです。https://momocamp.com/ 

UN SOIR RUE HAUTE-VIENNE:リモージュ市のHaute Vienne通りで夏に開かれるお祭りは今年14回目を迎えます。https://www.facebook.com/unsoiruehautevienne/
カフェエッセイスト:ベルナドン(安齋)千尋
When you direct is the only time you get to have the world exactly how you want it – Sofia Coppola.

1984年東京生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業
フランス在住コラムニスト、本業はサーキュラーエコノミーコンサルタント

外国で生活することに憧れ、どこにいても埋もれないようにと、京都にある柊家旅館で仲居をしながら日本を修行しました。2010年ロンドンに始まり、たくさんの宝物の出会いを経て、現在フランスはパリから5時間の小さな村に住んでいます。日々の幸せはカフェにあり。コーヒーを飲みながら、季節のこと、映画のこと、やっぱり気になる国際政治、暮らすように旅をする、をテーマに日常のキラキラした瞬間を書き留めています。
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