旅の扉

  • 【連載コラム】「“鉄分”サプリの旅」
  • 2024年3月2日更新
共同通信社ワシントン支局次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎

現場労働者が震撼した「線路を走る黒塗りのキャデラック」 カナダの世界遺産でクルーズ体験【9】

△東オンタリオ鉄道博物館に展示した1947年型のキャデラック「シリーズ75リムジン」の改造車(2023年9月、カナダ・オンタリオ州で筆者撮影)zoom
△東オンタリオ鉄道博物館に展示した1947年型のキャデラック「シリーズ75リムジン」の改造車(2023年9月、カナダ・オンタリオ州で筆者撮影)

(シリーズ「「カナダの世界遺産でクルーズ体験」【8】」からの続き)
 カナダ東部オンタリオ州スミスフォールズの東オンタリオ鉄道博物館で異彩を放っている展示が、アメリカ(米国)の自動車大手ゼネラル・モーターズ(GM)の高級車ブランド「キャデラック」の古めかしい乗用車だ。車体に四つあるタイヤハウスにはタイヤの代わりに鉄輪が収まっている。カナダの鉄道大手、カナディアン・パシフィック鉄道(現在のカナディアン・パシフィック・カンザスシティー)の故ノリス・クランプ元社長の視察用にこしらえた改造車で、この「線路を走る黒塗りのキャデラック」は現場労働者が震え上がる存在だったという。

△東オンタリオ鉄道博物館にあったノリス・クランプ氏の紹介文(23年9月、カナダ・オンタリオ州で筆者撮影)zoom
△東オンタリオ鉄道博物館にあったノリス・クランプ氏の紹介文(23年9月、カナダ・オンタリオ州で筆者撮影)

 【ノリス・クランプ氏】1904年7月30日、カナダ西部ブリティッシュ・コロンビア州生まれ。鉄道労働者の一家に生まれ、20年にカナダの鉄道大手、カナディアン・パシフィック鉄道(現在のカナディアン・パシフィック・カンザスシティー)で働き始める。アメリカのパデュー大学で学び、技術部門を長く歩んだ。55年から74年まで社長と会長を計約19年間務め、投資事業を手がけるカナディアン・パシフィック・インベストメンツを設立するなど会社を多角化した。71年にカナダ最高位の勲章のコンパニオンを受章。89年12月26日にカナダ西部アルバータ州カルガリーで死去、85歳だった。

△カナディアン・パシフィック鉄道のディーゼル機関車(21年7月31日、米国ノースダコタ州で筆者撮影)zoom
△カナディアン・パシフィック鉄道のディーゼル機関車(21年7月31日、米国ノースダコタ州で筆者撮影)

 ▽DMVと異なる点
 阿佐海岸鉄道阿佐東線(徳島県)ではマイクロバスを改造し、線路と道路の両方を走れるようにした乗り物「デュアル・モード・ビークル」(DMV)が活躍している。DMVは鉄輪とタイヤを備え、これらを切り替えることで線路と道路で走行できるようにしている。
 これに対し、東オンタリオ鉄道博物館に展示した1947年型のキャデラック「シリーズ75リムジン」の改造車はタイヤハウスに鉄輪が収まっているものの、元のタイヤは取り払われている。乗用車なのに線路を走ることができる一方、本来走るべきでは道路では“無用の長物”と化してしまう。

△VIA鉄道カナダの大陸横断列車「カナディアン」(23年12月19日、カナダ・サスカチワン州で筆者撮影)zoom
△VIA鉄道カナダの大陸横断列車「カナディアン」(23年12月19日、カナダ・サスカチワン州で筆者撮影)

 ▽後部座席には8代目社長
 この改造車の後部座席に乗り込んでいたのが、1955年5月にカナディアン・パシフィック鉄道の8代目社長となったクランプ氏だ。技術部門を歩んだクランプ氏は、主流だった蒸気機関車(SL)に代わるけん引機としてディーゼル機関車に目を付けた。
 カナダ東部モントリオールまたはトロントと西部バンクーバーを結ぶ大陸横断列車「カナディアン」を55年から運行した際には、ディーゼル機関車で客車をけん引させた。カナディアンは現在も国営企業のVIA鉄道カナダがトロント―バンクーバー間で走らせており、ディーゼル機関車が客車を引っ張っている。クランプ氏に先見の明があったことをうかがわせる。

△東オンタリオ鉄道博物館に展示したキャデラックの改造車の後部(23年9月、カナダ・オンタリオ州で筆者撮影)zoom
△東オンタリオ鉄道博物館に展示したキャデラックの改造車の後部(23年9月、カナダ・オンタリオ州で筆者撮影)

 ▽「事件は会議室で起きてるんじゃない」を地で行く
 クランプ氏はモントリオールの本社に執務室を構えていた。だが、1998年公開された映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」で織田裕二さんが扮する青島俊作刑事が放った台詞「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」を実践するかのように、クランプ氏は鉄道現場を精力的に巡った。
 そのためには線路を実際に走るのが手っ取り早いと判断し、鉄輪を履かせたキャデラックを線路上で運転させた。ショーファードリブンで後部座席に陣取ったクランプ氏は備え付けた机を使ってデスクワークをする傍らで、乗り心地の悪い線路のつなぎ目や、調子の悪いポイントレール、さらにはペンキを塗り直すべき施設に至るまで細かく点検して回った。反対方向に走りやすいように車体を持ち上げて180度回転することも可能で、クランプ氏は視察を終えると運転手とともに車体を回転させて元の方向へ戻ったという。
 また、クランプ氏は遠方を視察する際には事前にこの車を運ばせた。それを聞き、もしもDMVが存在していたのならば、クランプ氏は自身の専用車として導入していたのではないだろうかと想像した。

△カナディアン・パシフィック鉄道のディーゼル機関車(21年7月30日、米国ウィスコンシン州で筆者撮影)zoom
△カナディアン・パシフィック鉄道のディーゼル機関車(21年7月30日、米国ウィスコンシン州で筆者撮影)

 ▽案内人の口ぶりに怒気
 案内してくれた東オンタリオ鉄道博物館のトニー・ハンフリーさんは「クランプ氏は視察後に欠陥があった項目をリストアップし、その地区の監督者に伝えた。そこには欠陥がある場所の具体的な距離まで記されていた」と説明した。それが可能だったのは、キャデラックは走行距離を計測できるメーターを備えていたからだ。
 リストにはどのように修繕すべきか、そして直すべき期限も命じていた。リストを受け取った監督者は震撼し、慌てふためきながら対応した。なぜならば「クランプ氏は命じたことが守られたかどうかを後日確認することを従業員は知っていたからだ」(東オンタリオ鉄道博物館)という。
 クランプ氏の経営者としての評価を尋ねると、ハンフリーさんは「それは豪腕だったさ。社長に就いた時は借金まみれだった会社を立て直し、どさくさに紛れて従業員の年金まで削ったのだからね!」と怒気のこもった声で返した。それもそのはずでカナディアン・パシフィック鉄道の機関士だったハンフリーさんは、かつて辣腕社長が主導した年金削減のあおりを受けた1人だったのだ。
(シリーズ「「カナダの世界遺産でクルーズ体験」【10】」に続く)
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)

共同通信社ワシントン支局次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎
1973年4月東京都杉並区生まれ。国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒。1997年4月社団法人(現一般社団法人)共同通信社に記者職で入社。松山支局、大阪支社経済部、本社(東京)の編集局経済部、3年余りのニューヨーク特派員、経済部次長などを経て、2020年12月から現職。アメリカを中心とする国際経済ニュースのほか、運輸・観光分野などを取材、執筆している。

 日本一の鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。東海道・山陽新幹線の100系と300系の引退、500系の東海道区間からの営業運転終了、JR東日本の中央線特急「富士回遊」運行開始とE351系退役、横須賀・総武線快速のE235系導入、JR九州のYC1系営業運転開始、九州新幹線長崎ルートのN700Sと列車名「かもめ」の採用、しなの鉄道(長野県)の初の新型車両導入など最初に報じた記事も多い。

共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS」などに掲載の鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/culture/leisure/tetsudou)の執筆陣。連載に本コラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)のほか、47NEWSの「鉄道なにコレ!?」がある。

共著書に『平成をあるく』(柘植書房新社)、『働く!「これで生きる」50人』(共同通信社)など。カナダ・VIA鉄道の愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。FMラジオ局「NACK5」(埼玉県)やSBC信越放送(長野県)、クロスエフエム(福岡県)などのラジオ番組に多く出演してきた。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の元理事。
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