(シリーズ「「カナダの世界遺産でクルーズ体験」【8】」からの続き)
カナダ東部オンタリオ州スミスフォールズの東オンタリオ鉄道博物館で異彩を放っている展示が、アメリカ(米国)の自動車大手ゼネラル・モーターズ(GM)の高級車ブランド「キャデラック」の古めかしい乗用車だ。車体に四つあるタイヤハウスにはタイヤの代わりに鉄輪が収まっている。カナダの鉄道大手、カナディアン・パシフィック鉄道(現在のカナディアン・パシフィック・カンザスシティー)の故ノリス・クランプ元社長の視察用にこしらえた改造車で、この「線路を走る黒塗りのキャデラック」は現場労働者が震え上がる存在だったという。
【ノリス・クランプ氏】1904年7月30日、カナダ西部ブリティッシュ・コロンビア州生まれ。鉄道労働者の一家に生まれ、20年にカナダの鉄道大手、カナディアン・パシフィック鉄道(現在のカナディアン・パシフィック・カンザスシティー)で働き始める。アメリカのパデュー大学で学び、技術部門を長く歩んだ。55年から74年まで社長と会長を計約19年間務め、投資事業を手がけるカナディアン・パシフィック・インベストメンツを設立するなど会社を多角化した。71年にカナダ最高位の勲章のコンパニオンを受章。89年12月26日にカナダ西部アルバータ州カルガリーで死去、85歳だった。
▽DMVと異なる点
阿佐海岸鉄道阿佐東線(徳島県)ではマイクロバスを改造し、線路と道路の両方を走れるようにした乗り物「デュアル・モード・ビークル」(DMV)が活躍している。DMVは鉄輪とタイヤを備え、これらを切り替えることで線路と道路で走行できるようにしている。
これに対し、東オンタリオ鉄道博物館に展示した1947年型のキャデラック「シリーズ75リムジン」の改造車はタイヤハウスに鉄輪が収まっているものの、元のタイヤは取り払われている。乗用車なのに線路を走ることができる一方、本来走るべきでは道路では“無用の長物”と化してしまう。
▽後部座席には8代目社長
この改造車の後部座席に乗り込んでいたのが、1955年5月にカナディアン・パシフィック鉄道の8代目社長となったクランプ氏だ。技術部門を歩んだクランプ氏は、主流だった蒸気機関車(SL)に代わるけん引機としてディーゼル機関車に目を付けた。
カナダ東部モントリオールまたはトロントと西部バンクーバーを結ぶ大陸横断列車「カナディアン」を55年から運行した際には、ディーゼル機関車で客車をけん引させた。カナディアンは現在も国営企業のVIA鉄道カナダがトロント―バンクーバー間で走らせており、ディーゼル機関車が客車を引っ張っている。クランプ氏に先見の明があったことをうかがわせる。
▽「事件は会議室で起きてるんじゃない」を地で行く
クランプ氏はモントリオールの本社に執務室を構えていた。だが、1998年公開された映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」で織田裕二さんが扮する青島俊作刑事が放った台詞「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」を実践するかのように、クランプ氏は鉄道現場を精力的に巡った。
そのためには線路を実際に走るのが手っ取り早いと判断し、鉄輪を履かせたキャデラックを線路上で運転させた。ショーファードリブンで後部座席に陣取ったクランプ氏は備え付けた机を使ってデスクワークをする傍らで、乗り心地の悪い線路のつなぎ目や、調子の悪いポイントレール、さらにはペンキを塗り直すべき施設に至るまで細かく点検して回った。反対方向に走りやすいように車体を持ち上げて180度回転することも可能で、クランプ氏は視察を終えると運転手とともに車体を回転させて元の方向へ戻ったという。
また、クランプ氏は遠方を視察する際には事前にこの車を運ばせた。それを聞き、もしもDMVが存在していたのならば、クランプ氏は自身の専用車として導入していたのではないだろうかと想像した。
▽案内人の口ぶりに怒気
案内してくれた東オンタリオ鉄道博物館のトニー・ハンフリーさんは「クランプ氏は視察後に欠陥があった項目をリストアップし、その地区の監督者に伝えた。そこには欠陥がある場所の具体的な距離まで記されていた」と説明した。それが可能だったのは、キャデラックは走行距離を計測できるメーターを備えていたからだ。
リストにはどのように修繕すべきか、そして直すべき期限も命じていた。リストを受け取った監督者は震撼し、慌てふためきながら対応した。なぜならば「クランプ氏は命じたことが守られたかどうかを後日確認することを従業員は知っていたからだ」(東オンタリオ鉄道博物館)という。
クランプ氏の経営者としての評価を尋ねると、ハンフリーさんは「それは豪腕だったさ。社長に就いた時は借金まみれだった会社を立て直し、どさくさに紛れて従業員の年金まで削ったのだからね!」と怒気のこもった声で返した。それもそのはずでカナディアン・パシフィック鉄道の機関士だったハンフリーさんは、かつて辣腕社長が主導した年金削減のあおりを受けた1人だったのだ。
(シリーズ「「カナダの世界遺産でクルーズ体験」【10】」に続く)
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)