(「シリーズ『自由・芸術・交通の要衝フィラデルフィア』【1】」からの続き)
アメリカ(米国)屈指の貴重な収蔵品を誇るフィラデルフィア美術館はクロード・モネを中心とする「印象派」と、ビンセント・バン・ゴッホら「ポスト印象派」の名画を豊富に所蔵している。無料で参加できる印象派群の作品を解説するツアーで、私は他の美術館でも見てきたゴッホの代表作「ひまわり」に隠された“意味”にはっとした。
▽集合時間の正午に行くと…
米国の美術館ではボランティアが展示作品を解説してくれるツアーを用意していることが多い。フィラデルフィア美術館もその一つで、印象派群のツアーに参加する場合は展示室の入り口に正午に集合するようにと入館案内に記していた。
時間に行くと参加希望者の人混みができており、ガイドのリンダさんが「多いので二つのグループに分けましょう。ここまでの左側の皆さんは私に付いてきてください」と語りかけた。私は左側に立っていたので、親を負うカルガモの子どもになったかのように結構な早足のリンダさんを追いかけた。
▽絵の題材の伐採計画を知ったモネは…
リンダさんが私たちを案内したのは、フランス・ジベルニー近くのエプト川沿いに並んだポプラの木々を描いた「晩秋のポプラ並木」(1891年)だった。フランスの首都パリ近郊のジベルニーに居を構えたモネにとって、近くにあったポプラ並木は睡蓮、麦わらとともに継続的に描き続けた題材だ。
リンダさんは「モネはある日、自分が描き続けてきたポプラの木を伐採する計画があることを知ったのです。しかし、当時は写真を撮るのは一般的ではありません」と切り出して続けた。「なんとモネはポプラを買い取り、絵を描き続けたのです。木はその後伐採されましたが、それはモネが作品を描き終えてからのことでした」
▽まるで「“アントレ”にビーフステーキ」!?
そんな作品への情熱を物語る逸話を持つモネの絵画は、日本の浮世絵に影響を大きく受けた「ジャポニズム」の作風で知られる。ポプラ並木の描き方は、葛飾北斎の浮世絵「冨嶽三十六景」の現在の横浜市保土ケ谷区の風景を描写した「東海道程ヶ谷」との類似性が指摘されている。
モネの作品のファンとして「これではフルコース料理の“アントレ(前菜)”にビーフステーキを提供するようなものではないか」と心配した。1時間のツアーでモネの代表的な作品を早々に解説してしまっては、この先で息切れするのではないだろうか…。
▽名画「睡蓮」も
だが、豊富なコレクションを抱えるフィラデルフィア美術館にとって私のささいな不安は杞憂以外の何物でもなかった。続いて案内された展示室にはモネの名画「睡蓮」の1899年に描かれた見事な作品があったのだ。モネのジベルニーの家にあった庭の池に咲いた睡蓮と太鼓橋の構図はシンプルながらも、どれだけ眺めていても見飽きない奥深さがある。
別の美術館スタッフは「私はこの睡蓮が館内にある作品の中で最も好きです」と話しており、私もとても良く理解できる。しかし、そんなモネの代表作を押しのけて「来館者に最も人気のある作品をご案内しましょう」とリンダさんは同じ展示室の反対側へ向かった。
▽12本のひまわりに込めた“意味”
それこそゴッホの代表作「ひまわり」(1889年)だった。花瓶に生けられたゴッホのひまわりは東京・新宿のSOMPO美術館の所蔵作品を含めて7点しか制作されておらず、うち日本人実業家の故山本顧弥太氏が持っていた作品は第2次世界大戦中に空襲で焼失してしまったため6点しか現存しない。いかに貴重なのかが実感できよう。
焼失したのは5本のひまわりを描いた唯一の作品で、現存するのは3本、12本、15本のいずれかだ。フィラデルフィア美術館の作品は12本で、これはドイツ・ミュンヘンの美術館「ノイエ・ピナコテーク」が保有する同じく12本の作品(1888年制作)を模写したとされる。
脇に掲げた説明文には、代表的な印象派画家の1人、カミーユ・ピサロが「ビンセントの(描いた)花は人のように見える!」という言葉を引用していた。
リンダさんは説明文を補足するように「これらのひまわりの花を左から時計回りで眺めてください」と語りかけた。左下はまだ花が開いていないのが徐々に花開き、上部の花は満開になっており、右下は枯れているのが確認できる。
「これらの花は人生の周期を示しているのです」。だからピサロは「人のように見える!」と評したのだ。絵が描かれた背景を知り、作者がひそかに込めたであろう“意味”を読み解くことの楽しさを改めて実感させてくれたツアーを楽しんだのもつかの間、私たち参加者は思わぬ“落としどころ”へいざなわれることになる…。
(「シリーズ『自由・芸術・交通の要衝フィラデルフィア』【3】」に続く)
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