アメリカ(米国)出身画家の最高傑作の一つとされる「ホイッスラーの母」が、「自由の鐘」が象徴となっている米国東部ペンシルベニア州最大の都市フィラデルフィアに142年ぶりに帰還した。映画「ロッキー」に登場するフィラデルフィア美術館の特別展で公開中だ。しかし、「ロッキー」とは別の映画によると、「ホイッスラーの母」の中身は“あの男”が汚損してポスターにすり替えたはずなのだか―。
▽ロッキーの一場面で有名
印象派の大家の名画といった米国屈指の収蔵品を誇る美術館がフィラデルフィア美術館だ。首都ワシントンのユニオン駅で乗り込んだ全米鉄道旅客公社(アムトラック)の列車でフィラデルフィア30丁目駅に到着後、南東ペンシルベニア交通局(SEPTA)の路線バスに揺られていると「ロッキー」の一場面で一躍有名になったフィラデルフィア美術館の階段が見えてきた。
シルベスター・スタローンさんが演じたボクサーの主人公ロッキー・バルモアはこの72段の石段を駆け上り、両腕の拳を突き上げた。この場面で世界に知られるようになった階段は「ロッキーステップス」と呼ばれるようになった。両腕の拳を突き上げたポーズのロッキー像が美術館脇に設けられ、私が訪れた7月2日も記念撮影の行列ができていた。
▽「入場料自由の日」
7月2日に訪れた大きな理由は二つあり、一つは美術館の「入場料自由の日」だったからだ。
大人の一般入場料は30ドル(約4200円)だが、この日を含めた毎月第1日曜日と、毎週金曜日は支払う金額を自由に決められる。節度を持った金額を出したものの、通常の30ドルと比べるとお得に名画鑑賞を楽しむことができた。
そしてこの日に訪れたのはもう一つ大きな理由がある。それを果たすため、特別展「画家の母:ホイッスラーとフィラデルフィア」の会場へ向かった。
▽日本美術の影響
特別展の会場に入ると、お目当ての1871年の肖像「ホイッスラーの母」が正面に“鎮座”していた。正式な作品名は「灰色と黒のアレンジメント:画家の母の肖像」(英語名:Arrangement in Grey and Black: Portrait of the Artist’s Mother)で、大きさは縦が約1・4メートル、横が約1・6メートルある。
米国東部マサチューセッツ州出身のジェームズ・ホイッスラー(1834~1903年)の代表作がフィラデルフィアで展示されたのは1881年にフィラデルフィアでのペンシルベニア美術アカデミーに出展されて以来で、世紀を越えた画期的な出来事だ。
いすに腰かけたモデルの黒い服の女性は、ホイッスラーの母親のアンナ・ホイッスラーだ。英首都ロンドンで同居していた1871年の作品で、母親は敬虔なキリスト教徒だった。
フィラデルフィア美術館の欧州絵画・彫刻担当学芸員、ジェニファー・トンプソンさんは「ホイッスラーは、人々が自分の芸術作品よりも母親に興味を抱いていることに常にいらだっていた」と指摘する。そこでご本人の意向に沿い、大学時代に西洋美術史を学び、美術館の学芸員らに話を聞いた経験からホイッスラーにも焦点を当てたい。
ホイッスラーは浮世絵などの日本美術の影響を受けており、作品にもそれが垣間見られる。「ホイッスラーの母」がモデルの母親を右側に描き、中央が空いているのは浮世絵でも見られる構図だ。また、黒い服と白のレース製ボンネットとハンカチを描くことでコントラストを際立たせ、かつシンプルな色使いにも影響を見て取れる。
▽顔の部分が完全に溶ける
とはいえ、ある映画で「ホイッスラーの母」が汚損したのを目撃し、代わりに収納したのは「ポスターだよ」という重大な証言も得ている。それだけに本物かどうかを確かめようと、さまざまな角度から絵画を眺めてみた。
ただし、環境活動家と称する常軌を逸した狼藉者が絵画を標的にした迷惑千万な器物損壊行為を世界中で働いている状況下のため、警備員に無用な心配をさせないように一定の距離を取った。
汚損する場面が登場するのは映画「ビーン」(1997年)だ。米ロサンゼルスのグリアソン美術館は、ニュートン将軍からの5000万ドル(約70億円)の寄付を元手に「ホイッスラーの母」をフランスから買い取る。
ローワン・アトキンソンさんが演じるミスタービーンはくしゃみをして絵に鼻水をかけてしまい、拭こうとしたハンカチに万年筆の青いインクがしみこんでいたため顔の部分が青くなってしまう。
ミスタービーンがこれを消そうとしてシンナーをかけると絵の具が溶け、顔の部分が完全に消えてしまう…。
▽所蔵はオルセー美術館
ところが、除幕式では元の「ホイッスラーの母」の肖像が出席者の前に現れる。ミスタービーンが汚損したのを目撃していたグリアソン美術館のデービッド・ラングレー学芸員が「いったいどうしたんだ、君は天才だ!」と感激すると、ミスタービーンは「あれはポスターだよ」と素知らぬ顔で答えた。本物は絵筆が取られたロンドンにひそかに“帰還”していた…。
映画ではニュートン将軍が除幕式で「私は伝統的な芸術愛好者ではなく、ピカソと車の衝突事故の違いも分からない。しかし、私は愛国者だ。フランス人が米国の最高の絵画を持っていることに耐えられなかった」と寄付の動機を打ち明け、「母よ、お帰り!」とのかけ声で絵を披露した。
だが、実際の「ホイッスラーの母」はフランスの首都パリのオルセー美術館が所蔵している。同美術館との協定に基づいてフィラデルフィア美術館は2023年10月29日まで展示する。
期間中はこうかけ声を送りたい。
「母よ、フィラデルフィアにお帰り!」
(「シリーズ『自由・芸術・交通の要衝フィラデルフィア』【2】」に続く)
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞ