(「米国屈指の犯罪都市ボルティモア【9】」からの続き)
アメリカ(米国)で凶悪犯罪発生率4位の都市、ボルティモア市からの帰路は、ボルティモア・ワシントン国際空港(BWI空港)近くの駅からメリーランド州運輸局所管の近郊鉄道「MARC」に乗ることにした。しかし、BWI空港から乗ったシャトルバスが駅に着くと列車が止まっており、今にも出発しそうな様子だ。万事休すと思った次の瞬間、私に一筋の光明が見えた―。
▽猛ダッシュ
MARCペン線と全米鉄道旅客公社(アムトラック)が停車する「BWIサーグッド・マーシャル・エアポート駅」で空港からのシャトルバスを降りた。すると、目当ての首都ワシントンのユニオン駅へ向かうMARCの列車が既に停車しているではないか。
しかも停車しているのは、跨線橋を渡る必要がある反対側のプラットホームだ。さじを投げて次の列車まで待とうと思いかけた次の瞬間、私を翻意させる出来事が起きた。同じバスに乗っていた男性が大きな荷物を抱えながら、跨線橋に向かって猛ダッシュしたのだ。
▽重い現実に向き合う
私も考えを改め、男性を追って走り出した。すると、幼児を肩車した別の男性まで走り出した。跨線橋にはエレベーターが備わっているものの、頼りにせずに階段を駆け上がる。
齢50に近く、もともと運動不足なのに追い打ちを掛けるように新型コロナウイルス流行で出無精になった私にとっては相当しんどい。高校時代には重いリュックサックを背負って槍ケ岳(標高3180メートル)などの北アルプスを縦走した。それが今は、ボルティモアの貧困地域を目の当たりにして米国の深刻な格差社会という重い現実に向き合いながら上り階段に向き合っている。
▽まるで一ノ谷の戦い?
跨線橋の通路部分に連なる大きな窓から見下ろすと、MARCの列車は幸いにもまだ止まっていた。一縷(いちる)の望みは残されているようだ。
待ち受けていた下り階段には、源氏と平家が争った源平合戦の中でもクライマックスの一つとなった1184年の現在の神戸市・鵯越(ひよどりごえ)を舞台にした一ノ谷の戦いに挑む源義経のような心境でひたすら駆け降りた。
源氏の源義経は行軍中、一ノ谷の斜面にある断崖絶壁を下ることができるかを地元民に尋ねた。地元民はシカならば下れるが、義経らが乗っている馬では無理ではないかと答える。すると、義経はシカと同じく脚が4本ある馬ならば下れると考え、平家側の意表を突いて断崖絶壁を駆け降りる奇襲作戦で攻撃した。この逸話は「鵯越の逆落とし」とも呼ばれているが、史実かどうかは疑問視する声もある。
▽もう一つの落とし穴
かくしてプラットホームに着くと、停車中のMARCの列車は扉を開けて待っていてくれた。だが、ここでもう一つの落とし穴に気付いた。
私はMARCに間に合うか半信半疑で、この駅に一部列車が止まるアムトラックの列車に乗る場合も想定して切符を買っていなかったのだ…。
私はスマートフォンのアプリの画面を慌てて開き、女性乗務員に「これですぐに切符を買います」と説明した。画面には購入履歴が残っており、往路で利用したワシントン・ユニオン駅からウエストボルティモアまでの9ドル(約990円)のMARC切符、ボルティモアを周遊するために3回買った1回当たり1・90ドル(約210円)の公共交通機関の乗車券切符が表示されている。女性乗務員が、私が正当に乗車してきたことを理解してくれると信じたのだ。
▽女性乗務員の判断は…
女性乗務員は、画面はほとんど見なかった。しかしながら、私の話を聴いて「それでは列車に乗って、購入の操作をしてください」と願いを聞き入れてくれた。
乗り込んだデッキ部分で手続きを終え、乗務員に見せて配慮してくれたことの謝意を伝えた。この客車は川崎重工業製のステンレス製ダブルデッカーで、階段を上がって2階の座席に腰掛けた。列車に揺られて45分後、終点のユニオン駅に着いた。
さて、もちろん全て私の自腹だったこの日の支出を振り返りたい。MARCのユニオン駅からウエストボルティモア駅までの往路に支払った9ドル、ボルティモア周遊の公共交通機関に使った計5・70ドル、そしてBWIサーグッド・マーシャル・エアポート駅からユニオン駅までは8ドルだ。合わせて21・70ドル、日本円で約2400円だ。
手軽な小旅行だったが、往路でウエストボルティモア駅に到着するやいなやパトカーが2台待ち受けていた。日本語で「楽園」を意味する行き先表示にひかれて路線バスで向かった先ではお金を無心され、その後向かったボルティモア中心部では米国の格差社会の深刻さを目の当たりにした。果たしてボルティモアは首都ワシントンと結ぶ超電導リニアモーターカーを開通させるのに果たしてふさわしいのか、次回考えてみたい。
(「米国屈指の犯罪都市ボルティモア【11】」に続く)
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)