旅の扉

  • 【連載コラム】「“鉄分”サプリの旅」
  • 2021年7月31日更新
共同通信社 経済部次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎

まるで一ノ谷の戦い?乗車合戦の結末は 米国屈指の犯罪都市ボルティモア【10】

△MARCの列車。写真はブランズウィック線(米国メリーランド州で筆者撮影)zoom
△MARCの列車。写真はブランズウィック線(米国メリーランド州で筆者撮影)

 (「米国屈指の犯罪都市ボルティモア【9】」からの続き)
 アメリカ(米国)で凶悪犯罪発生率4位の都市、ボルティモア市からの帰路は、ボルティモア・ワシントン国際空港(BWI空港)近くの駅からメリーランド州運輸局所管の近郊鉄道「MARC」に乗ることにした。しかし、BWI空港から乗ったシャトルバスが駅に着くと列車が止まっており、今にも出発しそうな様子だ。万事休すと思った次の瞬間、私に一筋の光明が見えた―。

△BWIサーグッド・マーシャル・エアポートの駅舎(筆者撮影)zoom
△BWIサーグッド・マーシャル・エアポートの駅舎(筆者撮影)

▽猛ダッシュ
 MARCペン線と全米鉄道旅客公社(アムトラック)が停車する「BWIサーグッド・マーシャル・エアポート駅」で空港からのシャトルバスを降りた。すると、目当ての首都ワシントンのユニオン駅へ向かうMARCの列車が既に停車しているではないか。
 しかも停車しているのは、跨線橋を渡る必要がある反対側のプラットホームだ。さじを投げて次の列車まで待とうと思いかけた次の瞬間、私を翻意させる出来事が起きた。同じバスに乗っていた男性が大きな荷物を抱えながら、跨線橋に向かって猛ダッシュしたのだ。

△MARCペン線のワシントン・ユニオン駅行きが発車直前なのを示す駅の案内画面(筆者撮影)zoom
△MARCペン線のワシントン・ユニオン駅行きが発車直前なのを示す駅の案内画面(筆者撮影)

 ▽重い現実に向き合う
 私も考えを改め、男性を追って走り出した。すると、幼児を肩車した別の男性まで走り出した。跨線橋にはエレベーターが備わっているものの、頼りにせずに階段を駆け上がる。
 齢50に近く、もともと運動不足なのに追い打ちを掛けるように新型コロナウイルス流行で出無精になった私にとっては相当しんどい。高校時代には重いリュックサックを背負って槍ケ岳(標高3180メートル)などの北アルプスを縦走した。それが今は、ボルティモアの貧困地域を目の当たりにして米国の深刻な格差社会という重い現実に向き合いながら上り階段に向き合っている。

△BWIサーグッド・マーシャル・エアポート駅を通過するアムトラックの長距離列車(筆者撮影)zoom
△BWIサーグッド・マーシャル・エアポート駅を通過するアムトラックの長距離列車(筆者撮影)

 ▽まるで一ノ谷の戦い?
 跨線橋の通路部分に連なる大きな窓から見下ろすと、MARCの列車は幸いにもまだ止まっていた。一縷(いちる)の望みは残されているようだ。
 待ち受けていた下り階段には、源氏と平家が争った源平合戦の中でもクライマックスの一つとなった1184年の現在の神戸市・鵯越(ひよどりごえ)を舞台にした一ノ谷の戦いに挑む源義経のような心境でひたすら駆け降りた。
 源氏の源義経は行軍中、一ノ谷の斜面にある断崖絶壁を下ることができるかを地元民に尋ねた。地元民はシカならば下れるが、義経らが乗っている馬では無理ではないかと答える。すると、義経はシカと同じく脚が4本ある馬ならば下れると考え、平家側の意表を突いて断崖絶壁を駆け降りる奇襲作戦で攻撃した。この逸話は「鵯越の逆落とし」とも呼ばれているが、史実かどうかは疑問視する声もある。

△まるでシカのように階段を駆け降りる?(写真はメリーランド州の拙宅近くで撮影)zoom
△まるでシカのように階段を駆け降りる?(写真はメリーランド州の拙宅近くで撮影)

 ▽もう一つの落とし穴
 かくしてプラットホームに着くと、停車中のMARCの列車は扉を開けて待っていてくれた。だが、ここでもう一つの落とし穴に気付いた。
 私はMARCに間に合うか半信半疑で、この駅に一部列車が止まるアムトラックの列車に乗る場合も想定して切符を買っていなかったのだ…。
 私はスマートフォンのアプリの画面を慌てて開き、女性乗務員に「これですぐに切符を買います」と説明した。画面には購入履歴が残っており、往路で利用したワシントン・ユニオン駅からウエストボルティモアまでの9ドル(約990円)のMARC切符、ボルティモアを周遊するために3回買った1回当たり1・90ドル(約210円)の公共交通機関の乗車券切符が表示されている。女性乗務員が、私が正当に乗車してきたことを理解してくれると信じたのだ。

米国の首都ワシントンの象徴となっているワシントン記念塔(筆者撮影)zoom
米国の首都ワシントンの象徴となっているワシントン記念塔(筆者撮影)

 ▽女性乗務員の判断は…
 女性乗務員は、画面はほとんど見なかった。しかしながら、私の話を聴いて「それでは列車に乗って、購入の操作をしてください」と願いを聞き入れてくれた。
 乗り込んだデッキ部分で手続きを終え、乗務員に見せて配慮してくれたことの謝意を伝えた。この客車は川崎重工業製のステンレス製ダブルデッカーで、階段を上がって2階の座席に腰掛けた。列車に揺られて45分後、終点のユニオン駅に着いた。
 さて、もちろん全て私の自腹だったこの日の支出を振り返りたい。MARCのユニオン駅からウエストボルティモア駅までの往路に支払った9ドル、ボルティモア周遊の公共交通機関に使った計5・70ドル、そしてBWIサーグッド・マーシャル・エアポート駅からユニオン駅までは8ドルだ。合わせて21・70ドル、日本円で約2400円だ。
 手軽な小旅行だったが、往路でウエストボルティモア駅に到着するやいなやパトカーが2台待ち受けていた。日本語で「楽園」を意味する行き先表示にひかれて路線バスで向かった先ではお金を無心され、その後向かったボルティモア中心部では米国の格差社会の深刻さを目の当たりにした。果たしてボルティモアは首都ワシントンと結ぶ超電導リニアモーターカーを開通させるのに果たしてふさわしいのか、次回考えてみたい。
(「米国屈指の犯罪都市ボルティモア【11】」に続く)
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)

共同通信社 経済部次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎
1973年4月、東京都杉並区生まれ。国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒。1997年4月に社団法人(現一般社団法人)共同通信社に記者職で入社。2013~16年にニューヨーク支局特派員、20~24年にワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。2024年9月から現職。国内外の運輸・旅行・観光分野や国際経済などの記事を積極的に執筆しており、英語やフランス語で取材する機会も多い。

日本一の鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。東海道・山陽新幹線の100系と300系の引退、500系の東海道区間からの営業運転終了、旧日本国有鉄道の花形特急用車両485系の完全引退、JR東日本の中央線特急「富士回遊」運行開始とE351系退役、横須賀・総武線快速のE235系導入、JR九州のYC1系営業運転開始、九州新幹線長崎ルートのN700Sと列車名「かもめ」の採用、しなの鉄道(長野県)の初の新型車両導入など最初に報じた記事も多い。

共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS(よんななニュース)」や「Yahoo!ニュース」などに掲載されている連載「鉄道なにコレ!?」と鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/column/railroad_club)を執筆し、「共同通信ポッドキャスト」(https://digital.kyodonews.jp/kyodopodcast/railway.html)に出演。

本コラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)、カナダ・バンクーバーに拠点を置くニュースサイト「日加トゥデイ」で毎月第1木曜日掲載の「カナダ“乗り鉄”の旅」(https://www.japancanadatoday.ca/category/column/noritetsu/)も執筆している。

共著書に『わたしの居場所』(現代人文社)、『平成をあるく』(柘植書房新社)などがある。VIA鉄道カナダの愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の広報委員で元理事。
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