(「米国屈指の犯罪都市ボルティモア【7】」からの続き)
アメリカ(米国)東部メリーランド州ボルティモアの次世代型路面電車(LRT)は、ボルティモア・ワシトン国際空港(BWI空港)の停留所に入線しようとしていた。その直前に、「空の女王」の愛称で親しまれてきた美しい機体が空港に駐機しているのを見つけて慌ててカメラを向けた。この航空機に私は憧れを抱き、強い思い入れを持ってきた。私以外にもそのような方々は大勢いらっしゃるはずだ。
▽著名なゾウに由来
出迎えてくれたのは、米国航空貨物大手アトラス航空のジャンボ機の貨物専用機だった。ジャンボ機の正式名称はボーイング747。19世紀にイギリスの首都ロンドンの動物園で飼われていた著名なゾウ「ジャンボ」から通称を名付けられた。
旅客機ならば客室に標準で524席を置ける巨大な機体で、主翼の下にジェットエンジンを4基備えている。1970年に商業飛行が始まり、世界での累計納入が今年6月までに1562機に上る花形だ。
大量輸送を可能にしたジャンボ機のおかげで航空券代金が安くなり、日本人の海外旅行を身近にし、経済成長を後押しした。日本航空(JAL)は1970年に最初の機体を受け取り、累計で114機を保有した世界で最も多くのジャンボ機を運航した航空会社だ。最初に運航したのは、70年7月1日の羽田空港から米国ハワイ州ホノルルへ向かう便だった。
▽2階へ上がるのに28年
私が最初に航空機に乗ったのも、小学1年生だった1980年に成田空港から米国西部カリフォルニア州サンフランシスコへ向かう日航のジャンボ機だった。この時の機体は、操縦室に航空機関士を含めた3人が乗り込んでいたクラシックジャンボだ。
エコノミークラスの1利用者にとって憧れの機体2階がどうなっているのか気になり、らせん階段を上がろうとした。しかし、上級クラスの利用者だけが立ち入ることができる空間だったため、客室乗務員に見つかって“少年探偵”の潜入はあえなく失敗した。客室乗務員は代わりに、ジャンボ機の写真を装飾したトランプをくれたのを覚えている。
念願の2階に利用者として乗り込み、高い天井の開放感を満喫できたのは社会人となって中国へ旅行をした2008年のことだ。
2階へ向かう階段を上がり始めて以来、1フロア分上りきるまで28年もの歳月を要したことになる。なお、中国へ登場した日航のジャンボ機はパイロット2人で操縦できる747―400型の通称「テクノジャンボ」だった。
▽日本勢のジャンボ旅客機は消滅
日航のライバル、全日本空輸(ANA)もジャンボ機を79年から累計47機を導入した。国内線の主要路線に加え、86年に進出した国際定期便でも大きな役割を発揮した。
一方、ジャンボ機と言えば、来月で発生から36年となる日航機墜落事故を忘れてはならない。1985年8月12日に羽田発大阪・伊丹空港行き日航123便のジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹山に墜落し、乗客と乗員合わせて520人が犠牲となる日本の航空機史上最悪の事故だ。
日航は2010年1月に会社更生法の適用を申請し、経営立て直しを進める柱として11年3月で全てのジャンボ機を退役させた。全日空も14年3月で全て引退させて日本の航空会社からジャンボ旅客機が全て消え、引退時期を当初予定していた15年から14年3月へ前倒しすることを私は勤務先の共同通信で13年5月に最初に報じた。
日本勢でジャンボ機が現役なのは、日本貨物航空(NCA)の貨物専用機だけだ。
▽“金食い虫”があだに
米国でもデルタ航空(DL)とユナイテッド航空(UA)が17年に退役させたことで、ジャンボ旅客機は米国大手から一掃された。代わりにボーイング787や欧州エアバスA350といった座席数がジャンボ機より少なく、燃費性能が優れた機種による小型多頻度化が進んだ。
ジャンボ機は一度に大勢の利用者を運べる利点がある一方、大量の燃料が必要となる“金食い虫”のため元を取るには座席を埋める必要がある。航空大手の元営業担当者は「ジャンボ機の搭乗率を高めるために航空券を販売するのは大変だった」と打ち明ける。新型コロナウイルス禍やリーマン・ショックのように需要急減に直面すると、大きな機体が無用の長物となってしまうのもネックだ。
また、日本ではかつて主要空港の羽田空港と成田空港の発着枠が限られ、ジャンボ機の輸送力が重用されていた。しかし、成田空港に02年に2本目の滑走路ができ、羽田も10年に4本目の滑走路が運用を開始。発着枠が増えたことで日航と全日空は機材を効率的に運用でき、顧客の選択肢を広げられる小型多頻度化に力を入れ、ジャンボ機は活躍の場を失った。
▽半世紀余りで生産終了へ
ボーイングは現行型の747―8型の生産を続けている。米国西部ワシントン州シアトルの近郊にあるエバレットの工場で手掛けており、私が16年に見学した際は韓国の大韓航空向けの機体を組み立てていた。
しかし、受注の先細りに加え、新型コロナ流行による航空旅客減少も追い打ちを掛けてボーイングは昨年7月、ジャンボ機の生産を2022年で終えると発表。現在の受注残は11機となっており、これらの引き渡しを終えれば半世紀余りで生産に幕を閉じる。
今回はコラム名の「“鉄分”サプリの旅」というよりも、「“空分”サプリの旅」のような展開になった。ただ、乗っていたのはLRTで、「空の女王」の姿に見とれているうちに終点のBWI空港停留所に着いた。米国で凶悪犯罪発生率4位のボルティモアから離れた郊外に舞台が移ったと思いきや、私は再びボルティモアの喧噪に身を置くことになる…。
(「米国屈指の犯罪都市ボルティモア【9】」に続く)
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)