旅の扉

  • 【連載コラム】「“鉄分”サプリの旅」
  • 2021年6月21日更新
共同通信社ワシントン支局次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎

車窓から荒廃した市街地、これが世界最大の経済大国!? 米国屈指の犯罪都市ボルティモア【4】

△ウエストボルティモア駅前を走る路線バス(筆者撮影)zoom
△ウエストボルティモア駅前を走る路線バス(筆者撮影)

 (「米国屈指の犯罪都市ボルティモア【3】」からの続き)
 アメリカ(米国)で凶悪犯罪発生率4位の都市、メリーランド州ボルティモア市には似つかわしくない「パラダイス」こと「楽園」という魅惑的な行き先表示に誘われて路線バスに乗り込んだ。しかし、パラダイスと略されているバス停留所付近では男性の米国流“手荒い歓迎”が待ち受けており、私のにわか楽園気分は吹き飛んでしまった。そこで、「楽園」を後にしてバスでボルティモア市街地へ向かったところ、世界最大の経済大国とは信じ難いような聞きしに勝る荒廃した光景が待ち受けていた―。

△バスから見たボルティモア市街地。閉鎖した店舗や、建物壁面の落書きが目につく(筆者撮影)zoom
△バスから見たボルティモア市街地。閉鎖した店舗や、建物壁面の落書きが目につく(筆者撮影)

 ▽「楽園」から真っ逆さま!?
 ボルティモア近郊にあるバス停留所の「フレデリック通り・パラダイス通り」、略して「パラダイス」こと「楽園」からメリーランド州運輸局が所管する路線バス「シティーリンク パープル」(紫線)に乗り込んだ。「楽園」を立ち去るということは、真っ逆さまに転落することを意味するのだろうか!?
 通路を進むと「バス運賃のために1ドル(約110円)をくれないか」とせがみ、“手荒い歓迎”をしてくれた40歳代とおぼしき白人男性がバスの前方にある座席に腰掛けていた。私が通ると、「さっきはありがとうな」と言われた。
 お金を渡さなかったものの、バスが来ることを教えてあげたお礼らしい。「どういたしまして」と返し、私はある理由でバスの後方へ向かった。
 今日は座席が指定されていない路線バスでは、お互いの自由意思で座る場所を決めるのが常識となっている。だが、白人男性がバス前方の座席に腰掛け、有色人種の私が後方の座席へ向かうのはかつての米国南部ならば当然の構図だった。

△バスから見たボルティモア市街地。建物の窓やガラス戸に鉄格子が入っている(筆者撮影)zoom
△バスから見たボルティモア市街地。建物の窓やガラス戸に鉄格子が入っている(筆者撮影)

 ▽長年続いたバスの“分断”
 というのも、アトランタがあるジョージア州や、ニューオーリンズを抱えるルイジアナ州といった米国南部ではバスなどの公共交通機関の車内で前方の座席は白人だけが座ることができ、黒人やアジア系といった有色人種は後部に追いやられるという理不尽な人種差別が長年続いていたからだ。
 南部の州は、奴隷制存続を主張して南北戦争(1861~65年)に突入した南部の州で構成する南軍が敗れた後も根強い人種差別がはびこっていた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師(1929~68年)が公民権運動に立ち上がるなどの努力で解消された。
 なお、ボルティモアがあるメリーランド州を含めて南北戦争で奴隷制廃止の北軍に入った東部の州には、公共交通機関の座席を人種で分けるような悪弊はなかった。

△バスから見たボルティモア市街地。閉鎖した店舗跡とみられ、シャッターが閉められて建物には落書きも(筆者撮影)zoom
△バスから見たボルティモア市街地。閉鎖した店舗跡とみられ、シャッターが閉められて建物には落書きも(筆者撮影)

 ▽なぜ後方の座席に?
 しかしながら、移民問題を巡ってメキシコ人を「犯罪者」と決め付けるなど差別的な言動を繰り返し、人種間や思想の“分断”をあおった不動産・カジノ成り金のドナルド・トランプ氏が2016年の大統領選で勝利して第45代大統領に就き、20年の大統領選ではジョー・バイデン氏に敗れたものの、選挙人投票で43%に232票を獲得した。
 トランプ氏の支持者には人種差別的な白人至上主義者が多い。これほど広い支持を集めたことは米国での人種差別と“分断”が根深い事実を如実に物語る。実際、米国人の複数の友人や知人から「年配層の中には、『有色人種と一緒に公共交通機関に乗るのはいたたまれない』と言ってマイカーで移動するという人がいる」と聞いた。
 私が後方の座席に陣取ったのは、もちろん前述の理不尽な人種差別とは関係ない。できるだけひそかに車窓を撮影するためだった。そのため、カメラをシャッターの音がしない静音モードに設定して撮った。
 というのも観光地ならば堂々と窓外にカメラを向けられるが、ボルティモアの荒廃した街並みを見てシャッターを切ることを不快に思う同乗客がいると申し訳ないと思ったのだ。もちろん、目立つ行動をできるだけ避けるという防犯対策でもある。

△ブラジルの最大都市サンパウロ。スラム街は丘陵部に多い=2014年、(筆者撮影)zoom
△ブラジルの最大都市サンパウロ。スラム街は丘陵部に多い=2014年、(筆者撮影)

 ▽まるでサンパウロ
 バスはフレデリック通りを進み、私が「パラダイス」行きの反対方向のバスに乗った停留所を過ぎた。ボルティモア市の中でも治安が悪い地域、ウエストボルティモア地区を進み、道を曲がって市街地を東西に結ぶボルティモア通りを東へ進んだ。
 「ボルティモア市街地は空洞化が進み、今は貧困層が住み着いて荒廃した地区がかなりある」と米国人の友人から聞いていたが、ボルティモア通り沿いを走る車窓に映った景色は聞きしに勝るほど荒れ果てていた。周囲に他の乗客がいないのも確認して撮影し、ここには通行人が入っていない画像だけを選んで載せている。
 植物が乏しい路上にはゴミが散乱し、路上生活者(ホームレス)とみられる男性が地べたに座り込んでいる。壁が汚れた古めかしい建物は、強盗に押し入られるのを防ぐために窓やガラス戸に鉄格子をはめている。シャッターが閉まったままの商店跡の建物はあちこちに落書きされたり、看板が壊されたりしている。
 車窓を眺めながら、よく似た風景を思い出した。2014年に訪れた南米ブラジルの最大都市サンパウロで乗り込んだ路線バスで通ったスラム街の一角だ。このような地区は生活しにくい丘の斜面に多く見られ、ボルティモアでも坂に沿って似たような雰囲気の貧困地区が続いている。だが、国内総生産(GDP)が世界一の経済大国でかくも厳しい現実世界が広がっていることにショックを隠せなかった。
 路上の横断歩道以外の場所をゆっくりと横切る歩行者もおり、中には故意に自動車に衝突して示談金や保険金を揺する「当たり屋」もいるのではないかと疑ってしまうほどだ。私ならば事故が怖くて絶対に運転したくない場所だ。

△ボルティモアの次世代型路面電車(LRT)。黄色や赤、黒、白が入ったメリーランド州の州旗を外観に装飾している(筆者撮影)zoom
△ボルティモアの次世代型路面電車(LRT)。黄色や赤、黒、白が入ったメリーランド州の州旗を外観に装飾している(筆者撮影)

 ▽「1時間半後まで来ないよ」
 ところが、乗っていたバスの運転手は手慣れたハンドルさばきで、驚くほど勢いよくアクセルペダルを踏み込んで加速させながら駆けていく。仮に当たり屋だとしても、大型バスにひかれると命が危なくなる。また、路線バスはメリーランド州運輸局が所管しているため、トラブルが起きると腕利きの弁護士と渡り合わなければならなくなる。このため、路線バスはターゲットとして狙わないのかもしれないが…。
 バスはさらに曲がった後、ボルティモア通りと併走するファイエット通りを東へ進んだ。「次はファイエット通り・ハワード通り」という車内放送が流れ、他の乗客が停車ボタンを押した。ハワード通りはボルティモアの次世代型路面電車(LRT)が走っているため、一緒に降りてLRTに乗り換えることにした。
 LRTの線路はハワード通りの中央に敷かれており、ボルティモア・ペン駅行きの停留所があったので歩を進めた。ペン駅では全米鉄道旅客公社(アムトラック)の主要路線「ノースイーストコリダー(北東回廊)」、メリーランド州運輸局が所管する近郊鉄道「MARC」のペン線と接続しており、どちらかに乗り換えれば首都ワシントンのユニオン駅に向かえる。
 停留所のホームには警戒色の黄色が入ったベストを着た男性が立っており、「どこへ行くのか?」と尋ねてきた。これは運行当局の従業員の服装で、「ペン駅への路面電車に乗ります」と返答した。
 すると、「ペン駅へ行く電車はあと1時間半後まで来ないよ」と告げられた。
 なぜだ!?
 (「米国屈指の犯罪都市ボルティモア【5】」に続く)
 (連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)

共同通信社ワシントン支局次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎
1973年4月東京都杉並区生まれ。国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒。1997年4月社団法人(現一般社団法人)共同通信社に記者職で入社。松山支局、大阪支社経済部、本社(東京)の編集局経済部、3年余りのニューヨーク特派員、経済部次長などを経て、2020年12月から現職。アメリカを中心とする国際経済ニュースのほか、運輸・観光分野などを取材、執筆している。

 日本一の鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。東海道・山陽新幹線の100系と300系の引退、500系の東海道区間からの営業運転終了、JR東日本の中央線特急「富士回遊」運行開始とE351系退役、横須賀・総武線快速のE235系導入、JR九州のYC1系営業運転開始、九州新幹線長崎ルートのN700Sと列車名「かもめ」の採用、しなの鉄道(長野県)の初の新型車両導入など最初に報じた記事も多い。

共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS」などに掲載の鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/culture/leisure/tetsudou)の執筆陣。連載に本コラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)のほか、47NEWSの「鉄道なにコレ!?」がある。

共著書に『平成をあるく』(柘植書房新社)、『働く!「これで生きる」50人』(共同通信社)など。カナダ・VIA鉄道の愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。FMラジオ局「NACK5」(埼玉県)やSBC信越放送(長野県)、クロスエフエム(福岡県)などのラジオ番組に多く出演してきた。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の元理事。
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