旅の扉

  • 【連載コラム】「“鉄分”サプリの旅」
  • 2021年6月18日更新
共同通信社ワシントン支局次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎

駅前に不審者、警察官は予想外の行動に 米国屈指の犯罪都市ボルティモア【2】

△全米鉄道旅客公社(アムトラック)の高速列車「アセラ・エクスプレス」。ウエストボルティモア駅付近を通過中(筆者撮影)zoom
△全米鉄道旅客公社(アムトラック)の高速列車「アセラ・エクスプレス」。ウエストボルティモア駅付近を通過中(筆者撮影)

(「米国屈指の犯罪都市ボルティモア【1】」からの続き)
 ドナルド・トランプ前アメリカ(米国)大統領が「米国で最悪」とののしった凶悪犯罪発生率4位の都市、東部メリーランド州ボルティモア市のウエストボルティモア駅に近郊鉄道「MARC」で降り立った。すると、駅前にある路線バスが発着するロータリーには、屋根上の赤色と青色のランプを点灯させたパトカーが2台止まっている。まだ午前11時ごろなのに物騒な雰囲気が漂う―。

△ウエストボルティモア駅前のバス停で、路線バスの運転手に話し掛ける警察官(筆者撮影)zoom
△ウエストボルティモア駅前のバス停で、路線バスの運転手に話し掛ける警察官(筆者撮影)

 ▽不審者と警察官、ところが…
 パトカーの外側には「メリーランド・トランジット・ポリス」と記されていた。これはメリーランド州運輸局が所管する公共交通機関の治安を任務とする警察官が移動するのに使う車だ。
 私は少し離れた場所から様子を眺めたところ、地面を這いつくばるなど挙動不審の黒人男性がいるのが見えた。2台のパトカーからそれぞれ降りてきた屈強そうな2人の黒人警察官は男性に近寄り、うずくまっている男性の様子を観察している。ロータリーに沿って路線バスに乗り降りするバス停が並んでいるため、男性が乗客に危害が及ぼさないかを警戒しているように映った。

△ウエストボルティモア駅前のロータリーに停車中のパトカーと路線バス(筆者撮影)zoom
△ウエストボルティモア駅前のロータリーに停車中のパトカーと路線バス(筆者撮影)

 ▽予想外の行動
 男性は他人を攻撃するようなそぶりはなく、ただ気分が悪そうにさまよっている様子だった。これはあくまでも私の想像だが、男性は薬物依存症を患っており、薬物を入手できずに苦しんでのたうち回っていたのかもしれない。
 米国では覚醒剤や、中毒性のある鎮痛剤「オピオイド」といった薬物がまん延し、社会問題化している。知人の米国人女性は「知人から『知っている医師を受診すれば、オピオイドを簡単に処方してくれる』と薦められたが、もちろん断った。なぜ治療目的ではないのに服用しないといけないのか」と話していた。
 もしも日本で子どもも含めた多くの人が利用するバス停に挙動不審者が現れれば、警察官は職務質問をしたり、警察署に任意同行を求めたりする展開が想定されよう。ところが、トランジット・ポリスの警察官2人は予想外の行動を取った。男性をその場に残したままそれぞれのパトカーに乗り込み、立ち去ったのだ。

△ウエストボルティモア地区のタウンハウスが並ぶ住宅街(筆者撮影)zoom
△ウエストボルティモア地区のタウンハウスが並ぶ住宅街(筆者撮影)

 ▽警察官が大わらわの背景
 男性がバス利用者らに危害を加える様子がなかったため、放っておくことにしたようだ。だが、苦しんでいる様子の男性を放置していいのかとの疑問が沸く。さらに、バス停の近くを不審者がのたうち回っているという状況は、決して望ましくない。
 だが、ボルティモアの警察官は大わらわで、行動を見ると不審者であっても他人を脅したり、危害を加えたりしたわけではない男性に手間を取られたくない事情があった。ボルティモアで半年間に2人もの罪のないメリーランド州の路線バス運転手が銃で射殺される惨劇が起きており、トランジット・ポリスは運転手の安全を守る任務で大わらわだったのだ。
 地元メディアによると、昨年10月には目的地に着いて回送になったバスに男女が乗り込んだため、運転手が降りるように求めると男が運転手のバッグを盗んで逃走した。運転手が追い掛けると、男が銃を撃って殺害した。
 今年1月には男性運転手がやはり終点に到着後、銃殺された。運転手の義理の父親は地元テレビ局の取材に対し、運転手がバス乗車中にマスクを着用するように注意したのが原因で口論になったのが原因と聞いたと説明して「マスク着用を求められただけで、なぜ殺すのか」と悲嘆に暮れた。

△ウエストボルティモアのフレデリック通りのバス停付近も荒れた雰囲気だった(筆者撮影)zoom
△ウエストボルティモアのフレデリック通りのバス停付近も荒れた雰囲気だった(筆者撮影)

 ▽500万円未満で“夢のマイホーム”
 私はウエストボルティモア駅前から路線バスに乗ろうと考えていたが、すぐに出発するバスはなかった。警察官が立ち去った後で、不審な行動を取っていた男性の近くで待ち続けるのは決して安全とは言えまい。
 スマートフォンのアプリで調べたところ、少し離れたバス停から約20分後の午前11時23分にメリーランド州運輸局の路線バス「シティーリンク パープル」つまり「紫線」が出発することが分かった。バスの行き先が魅惑的なため、ひかれたのだ。
 ところが、バス停にたどり着くためには米国屈指の犯罪都市・ボルティモアの中でも治安が悪い地域とされるウエストボルティモア地区を約15分かけて歩く必要があるのだ。徒歩で通りを南下すると、一つの建物に複数の住居が入っているタウンハウスが所狭しとばかりに並んでいる。
 私も同じメリーランド州のタウンハウスに住んでいるが、ウエストボルティモアでよく見られる住居は様相が異なる。老朽化した2~3階建ての物件が多く、1戸当たりの住居は家族で住むには小ぶりのようだ。もはや住民がおらず、ガラスが割られて廃墟になったような建物も目立つ。
 地元の不動産業者のウェブサイトには、建てられてから100年を超えているような物件も紹介されている。1戸当たりの価格が日本円に換算して500万円未満の物件も多く、“夢のマイホーム”としては手が届きやすいようだ。

△ボルティモア近郊を走る路線バス(筆者撮影)zoom
△ボルティモア近郊を走る路線バス(筆者撮影)

 ▽「楽園」行きのバス
 路線バスが走る目抜き通りのフレデリック通りに差し掛かり、左折すると目当てのバス停があった。近くのれんが造りの建物は軒先の看板が割られ、路上のあちこちにゴミが散乱しているなど荒れた雰囲気なのが目につく。しかし、そんな光景はもはや気にならない。
 というのも、乗り込もうとしているバスの行き先はパラダイス、すなわち「楽園」なのだ。殺伐とした犯罪都市には似つかわしくない名前の終点に到着すれば、これまでの様子とは打って変わって極楽気分を味わえるのだろうか?
 期待と不安が交錯する中で、バスが滑り込んできた。私はスマートフォンのアプリで買ったボルティモア地区の路線バスや地下鉄、次世代型路面電車(LRT)の公共交通機関を片道1時間半以内ならば自由に乗れる切符(1・90ドル、約210円)の画面を運転手に見せながら乗り込み、「楽園」へと向かった…。
 (「米国屈指の犯罪都市ボルティモア【3】」に続く)
 (連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)

共同通信社ワシントン支局次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎
1973年4月東京都杉並区生まれ。国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒。1997年4月社団法人(現一般社団法人)共同通信社に記者職で入社。松山支局、大阪支社経済部、本社(東京)の編集局経済部、3年余りのニューヨーク特派員、経済部次長などを経て、2020年12月から現職。アメリカを中心とする国際経済ニュースのほか、運輸・観光分野などを取材、執筆している。

 日本一の鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。東海道・山陽新幹線の100系と300系の引退、500系の東海道区間からの営業運転終了、JR東日本の中央線特急「富士回遊」運行開始とE351系退役、横須賀・総武線快速のE235系導入、JR九州のYC1系営業運転開始、九州新幹線長崎ルートのN700Sと列車名「かもめ」の採用、しなの鉄道(長野県)の初の新型車両導入など最初に報じた記事も多い。

共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS」などに掲載の鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/culture/leisure/tetsudou)の執筆陣。連載に本コラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)のほか、47NEWSの「鉄道なにコレ!?」がある。

共著書に『平成をあるく』(柘植書房新社)、『働く!「これで生きる」50人』(共同通信社)など。カナダ・VIA鉄道の愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。FMラジオ局「NACK5」(埼玉県)やSBC信越放送(長野県)、クロスエフエム(福岡県)などのラジオ番組に多く出演してきた。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の元理事。
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