慌ただしい日常に振り回されている大都市生活者として、「スローライフ」に魅了される。そんな脱・日常体験に打って付けなのがゆっくり走る路線のスローライン、すなわちローカル線ではないか。運行するJR東日本が「『日本人のこころのふる里』を代表するローカル線」と売り込んでいる長野、新潟両県を結ぶ飯山線に初めて乗り込んだ。
▽六日町と十日町の間の3駅は?
休暇を取った7月の平日朝に東京都内の実家を出た私は、上越新幹線が停車する越後湯沢(新潟県)に正午ごろ着いた。上越線の普通列車に乗ると、2駅で六日町に着く。
私は十日町へ向かっており、経路案内アプリならば北越急行ほくほく線の午後0時44分発の電車に乗り換えるように指示する。十日町は4駅目で、午後0時58分に十日町に到着するからだ。
なお、「六日町と十日町の間に3駅あります。それらの駅名を答えなさい」というクイズが出題されたら、「七日町、八日町、九日町」と答えたくなる。しかし、正解は「魚沼丘陵、美佐島、しんざ」という「市」とは全く結びつかない駅名だ…。
スローライフを満喫する今回の旅では、北越急行を利用するという“王道”を袖にした。私はそのまま上越線に揺られて北上し、越後川口で接続している午後1時10分発の飯山線に乗り込んだ。
1両だけのディーゼル車両キハ110には10人余り乗っており、「平日の昼なのに結構乗車しているな」と驚いた。出発すると上越線から分かれて西へ向かい、雑木林の中に生い茂る草むらをかき分けるように突き進む。雑木林を抜けると田んぼが広がり、コシヒカリの本場ならではだ。
十日町到着は午後1時40分と、北越急行に乗った場合よりも42分も遅い。だが、私の今回の旅行の目的はスローライフを追い求めることと、飯山線の全区間に乗車すること。これでいいのだ!
▽“幻の観光列車”
十日町のプラットホームの反対側に待ち構えていた越後川口行きの列車を見て、「今日は運行日ではないのになぜ!?」と目を疑うような“幻の観光列車”の車両が止まっていた。キハ110の内装を古民家風に改造し、長野(長野市)―十日町間を土日や祝日に走っている観光列車「おいこっと」の車両だ。
2015年に走り始めたおいこっとは、東京の真逆という意味で「TOKYO」を逆から読んで命名された。テレビ番組「まんが日本昔ばなし」のナレーションを担当し、飯山線から比較的近い長野県木島平村出身の故常田富士男さんのナレーションで沿線の名所を案内してくれる。運行日以外に、しかも越後川口まで運転するのはなぜなのか?
運転日以外では、飯山線の普通列車として運用しているのだ。おいこっとの車両は2両あるが、十日町から越後川口へ向かったのは1両だけだった。
東京を出発し、東京と真逆のスローライフを求める旅においこっとの車両は似つかわしい。しかし、残念ながら私が乗る列車には使われていないボイコット状態だった…。
▽東西で対照的な駅舎
未来と過去の融合と呼ぶべきコントラストが織りなしているのが、十日町駅だ。北陸新幹線の長野―金沢(金沢市)が延伸開業した2015年3月までは越後湯沢と金沢を結ぶ特急「はくたか」が最高時速160キロで力走し、上越新幹線と乗り継いで北陸と東京を結ぶ主要アクセスだった北越急行が発着する西口は、まるで新幹線停車駅と見間違うような未来志向の高架駅だ。
対照的にJR飯山線側の東口は、JRグループの前身、日本国有鉄道(国鉄)時代の駅舎に多く見られた平らな屋根をした昭和時代のたたずまいを見せる。冬には雪深くなる豪雪地帯だけに、駅前の商店街は雁木(がんぎ)のアーケードが延びている。ちょうど雨あしが強まってきたので、雨よけになって好都合だ。
約束がある午後3時すぎまで市内を散策し、気になって立ち寄った。越後妻有(えちごつまり)現代美術館「キナーレ」のコンクリート造りの建物が中庭に描かれていた水色のイラストに雨水が当たり、現代版水琴窟のような幻想的な雰囲気に包まれているのが印象的だ。
「あれは金沢21世紀美術館の作品『スイミング・プール』で有名なレアンドロ・エルリッヒ氏の作品なんですよ」と、午後3時すぎにお会いした十日町市観光交流課の宮澤さや香さんが教えてくれた。宮澤さんは前職のJTBコミュニケーションデザイン(東京都)時代に優れた鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅オブザイヤー」の事務局を務められ、審査委員をさせていただいている私もお世話になった。結婚を機に十日町市に「Iターン」し、新天地でも観光のプロとしての手腕を遺憾なく発揮している。
宮澤さんが続けた。「十日町市と津南町は2000年から3年に1度、芸術を楽しめるイベント『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』を開いており、昨年も開催されて大勢の方々がいらっしゃいました。そこで、他の2年も旅行者に来ていただけるように力を入れているんですよ」
▽芸術を楽しむツアーを募集
十日町市は一環として、2019年8月11日の日曜日の午前9時20分に越後湯沢駅発着の団体ツアー「JR飯山線&ほくほく線に乗って楽しむ!『大地の芸術祭』の里めぐり」を8月2日まで募集中だ。
途中で飯山線のおいこっとや、北越急行の芸術祭にちなんだラッピング列車「DAICHI」を利用しながら沿線の芸術作品や、日本三大峡谷の清津峡にある全長約750メートルのトンネルにアートを施した作品「Tunnel of Light(トンネル・オブ・ライト)」などを巡る。昼食には名物のへぎそばを味わうこともで、参加費は大人9800円、子ども(小学生以下)が4900円。申し込みは「十日町観光協会」まで。
宮澤さんと別れ、午後4時14分発の長野行きのディーゼル車両1両に乗り込むと、高校生らでごった返して満席で大勢が立っている。「これならばおいこっとの車両と連結して2両で走らせればいいのに」と思ったが、高校生らは5駅先の津南までにほぼ全員が降りた。
隣駅の土市の駅舎の隣には台湾の芸術家、ジミー・リャオ氏が倉庫に飯山線のキハ110を描き、親子とおぼしき2羽のフクロウが屋根に降り立っている作品「Kiss&Goodbye」が威風堂々たたずんでいた。「土市駅の近くにおいしいジェラート店があるんですよ」と宮澤さんから聞いたが、もしも途中下車すると次の列車の列車が来るのは1時間20分後。夜の長野市での約束に間に合わなくなるため、断念した。
▽「いいそら、いいかわ」の看板に偽りなし
新潟と長野の県境に近い森宮野原(長野県栄村)あたりに差し掛かった飯山線の乗客からは、にぎやかな高校生たちの姿が消えていた。乗客数は私を含めて3人だけとなった。「飯山線は収益が厳しい路線で、冬場は雪深いため除雪作業の手もかかる」というJR東日本幹部の言葉をかみしめた。
ただ、沿って走る千曲川(信濃川)の流れと、沿線に広がる田んぼと山々が織りなす緑に囲まれ、アジサイなどの花も顔をのぞかせる車窓はとても貴重だ。おいこっとのキャッチフレーズの「いいそら、いいかわ、いいやません。」の看板に偽りなしだ。そして、沿線に広がる里山らしい景色は「日本人のこころのふる里」と呼ばれるゆえんだろう。
豊野駅から長野県の第三セクター、しなの鉄道の北しなの線に乗り入れて3駅で長野に着いたのは午後7時9分。越後川口を出て6時間、新幹線ならば東京から熊本へ行ける時間がいつの間にか過ぎていた。スローラインことローカル線で、スローライフのひとときを堪能した。
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)