旅の扉
- 【連載コラム】カナダ大西部 いろいろアルバータの秋
- 2019年7月15日更新
- TVディレクター:横須賀孝弘
カナダ大西部 いろいろアルバータの秋 (4) バイソンを追って
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- 復元されたウープアップ砦
- 荒野の「乱ちき砦」!?
アルバータ州南部を巡るツアー、4日目の夜はレスブリッジという町に泊まり、明けて最終日の9月30日朝は、町の郊外に再現された、ウープアップ砦(※)を訪ねました。
ウープイットアップ(whoop it up)と言えば「はしゃぐ」という意味ですから、ウープアップ砦は「乱痴気砦」とでも訳せましょうか。本当の名前は「ハミルトン砦」でしたが、誰もそうは呼ばず、ニックネームの方が定着してしまいました。
ウープアップ砦は、1870年、アメリカの毛皮交易商が建てたもので、ブラックフット族など、この地域の先住民と交易(物々交換)して、バイソン(野牛)の皮などを得るための砦でした。
交易用の商品に、インディアンに売ることが禁じられていたウィスキーが含まれており、そのウィスキーを飲んで、どんちゃん騒ぎが繰り広げられたことから、「乱痴気砦」なんてヘンなあだ名がついたそうです。
もともとインディアンは酒を知りませんでした。そこへ、白人が酒をもたらしたので、社会は大混乱。1870年からの5年間に、乱痴気騒ぎでの暴力沙汰なども含め、酒が原因で亡くなったブラックフットの人たちは、数百人にのぼるといいます。
逆に、毛皮交易商にしてみれば、酒は、インディアンから手っ取り早く毛皮を巻き上げられる「違法ドラッグ」だったんですね。
1867年にカナダ連邦が成立。1873年には、こうした西部辺境の無法な「ウィスキー交易」を取り締まろうと、「北西騎馬警察」が設立されました。これが、後に、カナダのシンボルの一つ、 赤い制服で親しまれる「王立カナダ騎馬警察」となったのです。
(※)ウープアップ砦は、通常、5月から8月まで公開されています。
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- 「犬の時代」のティーピーを説明するクリスタル・クロスチャイルドさん
- 犬の時代・馬の時代
再現版ウープアップ砦は、博物施設になっていて、ブラックフット族のかつての暮らしを紹介する部屋もありました。
その展示を案内してくれたのは、クリスタル・クロスチャイルドさん。ブラックフット族の女性です。ここでは、先住民の歴史や文化を、先住民自身が紹介するのです。
「馬が来る前、家畜は犬しかなく、村を移動するときには、犬にティーピーの被いや支柱を運ばせていました。その頃のティーピーは、このように、うんと小さかったんです」
説明するクリスタルさん。
「では、このティーピー、底の直径はどれ位なんですか?」
私が尋ねると、わからなかったようで、戸惑っていましたが、付き添っていた館長が助け舟を出しました。
「犬の時代」のティーピーは、差し渡しが10フィート(3m)ぐらいで、5人ほどが暮らしたとのこと。18世紀、馬を手に入れ、ティーピーの運搬にも馬を使うようになると、底の差し渡しが20フィート(6m)ほどもある、大きなティーピーに住むようになったそうです。
質問でクリスタルさんをちょっと困らせてしまいましたが、でもまあ、そんな風に来訪者が質問することで、若い先住民が、自分たちの歴史や文化について、より深く学ぶきっかけになれば、それはそれで、よいことではないだろうか……と自己弁護。
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- 交易品が並ぶコーナー
- 交易が変えた暮らし
別の棟では交易の様子が紹介されていました。交易用の商品を並べた部屋もありました。
ブラックフット族が交易で得た様々な商品は、彼らの暮らしを豊かにしました。毛布や布地は、革より軽く、色も鮮やかでした。金物の鍋は、移動の多い生活に、とても便利。鉄製のナイフや斧は、石器よりもずっと丈夫で長持ちしましたし、鉄砲は、弓矢より遥かに強力な武器となりました。もっとも、密売された酒は、彼らの社会を大きく蝕みましたが。
さて。ここに、あまり口にされていない事実があります。
1870年頃、ブラックフット族は、それら工業製品を、主に、バイソン皮と交換して手に入れていました。そして、この地方の交易商にとっても、バイソン皮の入手先は、ブラックフット族などインディアンだったんです。
1870年代の末には、カナダ大平原のバイソンはすっかりいなくなり、バイソンを糧とするブラックフット族の伝統的な暮らしは立ちいかなくなります。
それは、白人が乱獲したからだ、とは、よく耳にする話です。
しかし、少なくともこの付近については、必ずしもそうとは言えないようです。
バイソンを絶滅寸前まで追いこんだのが、結局のところ、バイソンの毛皮に対する、ヨーロッパ系の人たちの飽くなき欲求だったのは、間違いありませんが。
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- 附属博物館のロゴ。絵柄はどれも牡牛のようです
- バイソン大暴走
ツアーの最後に訪ねたのは、まさにとっておきの場所。ユネスコの世界文化遺産に登録されている、ヘッド・スマッシュト・イン・バッファロー・ジャンプです。
「バッファロー」とは、バイソンのこと。群れで暮らし、驚くと大暴走します。
ここは、地面がストンと落ち込んで、切り立った崖になっています。先住民は、バイソンの群れを巧みに誘導し、暴走させて、崖っぷちから追い落として仕留めました。
このバッファロー・ジャンプと呼ばれる猟法について、いくつか疑問がありました。
まず、広大無辺な大平原に散らばるバイソンを、どうやってここまで連れてきたのでしょうか? 馬を使うならともかく、ここは、馬が到来するずっと以前、6000年前から使われていたといいます。徒歩でバイソンの群れをこの地点まで誘導するなんて、いくら頑張っても、それこそ徒労に終わりそうです。
また、この猟法では、一度に大量のバイソンを屠ります。腐る前に食べたり干したりできる肉の量は限られますから、かなりな無駄がでます。こんなやり方を続けて、バイソンがすっかりいなくならないのでしょうか?
もう一つの疑問は、ここのロゴのデザインや、ほかの博物館でのジオラマを見ると、崖から落とされているのは、オスばかりなんですが、ホントにそうだったのかな? オスの肉なんて、堅くて美味しくないでしょうに。
これらのナゾを解こうと、現場を訪ね、説明に耳を傾けました。
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- 現地を説明するスター・クロップドイアーウルフさん
- それは、激レアなイベントだった!?
私たちを案内してくれたのは、スター・クロップドイアーウルフさんでした。
「バッファローとバイソン、まぎらわしいけれど、正式の呼び名はバイソンです。バッファローは、本当は、アフリカにいる水牛のことで、この動物を初めて見た白人たちが、まるで水牛(バッファロー)みたいじゃないか、なんて言ったので、そう呼ばれるようになりました。私たち、ブラックフットの言葉では、『インニー』と呼びます」
スターさんは、地元の先住民、ブラックフット族の出身。ウープアップ砦のクリスタルさんと同じように、このバッファロー・ジャンプでも、先住民自身が、自分たちの歴史として、史跡や、資料館の展示を案内していました。
さて、私の疑問への答え。
この付近は、地形的な特徴などから、バイソンが特別に多く集まってきたのだそうです。わざわざ遠くから集めてこなくても、バイソンの方で勝手に集まってくる、そんな場所の近くに、たまたま手頃な崖があったので、バッファロー・ジャンプという猟法が可能だったというわけ。
バッファロー・ジャンプに使われた崖は大平原に何百とありますが、ここほど様々な条件に適い、古くから使われてきた所は他になく、だからこそ世界遺産に登録されたんですね。
そんな稀有な条件に恵まれたこの場所でも、猟がうまくいくような状況は、何十年に一度しか起こらなかったんだそうです。
つまり、バッファロー・ジャンプは、滅多に実行できない猟法だったので、成功すればかなりな無駄が出たとしても、バイソン全体の数に影響はなかったということです。
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- この崖で、この季節に、バッファロー・ジャンプ
- 秋こそシーズン!バッファロー・ジャンプ
オスのバイソンは、メスよりずっと大きく、肩ががっしりと盛り上がり、しかも頭が不釣り合いにでかくて、体中から野生の逞しさ、荒々しさがほとばしっています。
そんなわけで、オスは大層絵になるんですが、インディアンにとっては、メスの方が、肉も皮も柔らかく、利用価値が高かったはずです。
現地でスターさんの説明を聞いたところ、やはり思っていた通り、実際の猟で狙ったのは、主にメスと子牛だったということです。
バイソンの群れは、夏の繁殖期以外は、基本的にメスと子どもで構成されています。
オオカミが近づくと、メスは子どもを守るために移動します。この性質を利用して、オオカミの皮を被った狩人が、牝牛と子牛を崖の方へ、巧みに誘導したのだそうです。
メスは春に出産します。その頃は、冬を越したばかりとあって、痩せています。その後、草をもりもり食べて体重を回復。秋に一番肥ります。
私が訪ねた9月末は、秋も深まり、一帯はうっすらと雪化粧。実際のバッファロー・ジャンプも、メスが肥えた晩秋に行われたようで、季節的にはズバリでした。
ヘッド・スマッシュト・インを見学した後、170kmほど北上して、振りだしのカルガリーに戻りました。ツアー会社が企画したアルバータ南部一周の旅は終わりました。
しかし、先住民の歴史と文化を訪ねる私の旅は、カルガリーに帰ってからも、まだまだつづくのでした。
Canada Theatre(カナダシアター)
www.canada.jp/
カナダ観光局
いろいろアルバータの秋 (5) 凄いぞ!グレンボウ博物館 を読む→