旅の扉

  • 【連載コラム】「“鉄分”サプリの旅」
  • 2018年7月1日更新
共同通信社ワシントン支局次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎

大臣番記者から「赤毛のアン」番へ プリンスエドワード島のお土産【連載「隠れた鉄道天国カナダ」第3回】

△プリンスエドワード島の「グリーン・ゲイブルズ博物館」の前に立つ「アン」(筆者撮影)zoom
△プリンスエドワード島の「グリーン・ゲイブルズ博物館」の前に立つ「アン」(筆者撮影)

(「連載『隠れた鉄道天国カナダ』第2回」からの続きです)
 プリンスエドワード島に日本を含めた世界から大勢の旅行者を呼び込んでいるのが、1908年に最初に刊行され、今年で100周年のルーシー・モード・モンゴメリの小説「赤毛のアン」だ。世界の総発行部数は5千万部に上り、中でも1500万部を超えている日本での人気ぶりは顕著だ。振り返ると、筆者がプリンスエドワード島を訪れ、島内に残る名所へといざなう出来事が訪問の3カ月前にあった。それは、来日したカナダの現職大臣から「日本では『赤毛のアン』の人気が高いと聞いたんだ」と言われて頂いたお土産だった―。

△異なる色彩のパッチワークのようなプリンスエドワード島の風景(筆者撮影)zoom
△異なる色彩のパッチワークのようなプリンスエドワード島の風景(筆者撮影)

 ▽大臣の「番記者」に“復帰”
 「最悪の協定だ!」と訴えるドナルド・トランプ大統領の大号令でアメリカ(米国)が離脱し、日本やカナダなど残る11カ国が環太平洋連携協定(TPP)にチリの首都サンティアゴで今年3月8日に署名した。この一大イベントを目前に控えた今年3月7日朝、私は東京都港区の駐日カナダ大使館でローレンス・マコーレー農務・農産食品大臣へのインタビューに臨んでいた。
 好々爺然とした面持ちのマコーレー氏は71歳で、プリンスエドワード島で生まれ育ったカナダ連邦議会の下院議員。農家出身で、1988年11月から30年間弱の在任期間は地元選出議員で最長記録を誇る。「イケメン首相」として人気のあるジャスティン・トルドー首相(46歳)をはじめ比較的若い閣僚が中心のトルドー政権を、豊富な政治経験で支える重鎮だ。
 来日時に単独インタビューを受けてくださるのは勤務先の共同通信社だけで、TPPの影響が大きい農業分野は重要度が高いだけに貴重な機会だ。ただし、多忙なスケジュールを縫っての面会だけに、持ち時間は15分間だけ。要点を簡潔に聞き出し、インタビュー記事を出すことが求められる。
 そこで、私は国際経済のニュースを校正するデスクとしての職務の傍らで、マコーレー氏の「番記者」を来日中の3月5~7日の3日間務めることにした。私は政治部記者のような正統派の番記者を経験したわけではない。ただ、内閣府と国土交通省の記者クラブに在籍中に大臣を追い掛け、夜な夜な帰宅時に話を聞くために自宅前に張り込んでいただけに、久々の「番記者」への“復帰”に意気込んだ。

△カナダ産牛肉を焼いたステーキを見せるマコーレー農務・農産食品大臣(千葉市)zoom
△カナダ産牛肉を焼いたステーキを見せるマコーレー農務・農産食品大臣(千葉市)

 ▽ステーキを焼く大臣
 「肉の柔らかさを保つためには時間をかけて焼くのが大事なのです」。幕張メッセ(千葉市)でのアジア最大級の食品見本市「フーデックスジャパン」が開幕した3月6日、会場内のカナダが出展したブースでマコーレー氏は調理器具を手慣れた様子で操りながらカナダ産牛肉のステーキを自ら焼いた。切り分けられたステーキの一切れを口に運ぶと、「エクセレント(素晴らしい)!」と親指を立てて満足そうな表情を浮かべた。
 農林水産省によると、日本は2017年に前年比14%増の約57万4千トンの牛肉を輸入し、金額で約3505億円に達する。輸入国・地域別の首位がオーストラリアの28万8300トン、2位がアメリカの23万9700トンで、これら2カ国が輸入牛肉の92%を占めており、カナダは3位ながら1万8700トンと水をあけられている。ところが、カナダ産牛肉の輸入量を押し上げるゲームチェンジャーとなり得るのがTPPだ。
 日本政府は安い輸入牛肉が氾濫して国内農家を圧迫する事態を防ぐために輸入牛肉に通常38・5%の高い関税を課しているが、19年にも見込まれるTPPの発効後に輸入牛肉の関税は1年目に27・5%、10年目に20%、16年目以降は9%と急ピッチで下がる。背景には日本への牛肉輸出を増やしたい米国の思惑があったが、難しい交渉を積み重ねたバラク・オバマ前政権の奮闘を葬り去ったのがトランプ氏のTPP離脱だった。
 ちゃぶ台をひっくり返した“トランプの乱”により、棚からぼた餅が待ち受けていそうなのがカナダだ。日本に輸入する米国産牛肉はこのままでは38・5%の関税が続く一方、TPPの中で日本への牛肉の主要牛肉輸出国となっているオーストラリアとカナダは関税が大幅に引き下げられる。中でも伸びしろが大きいカナダ産牛肉の価格が下がり、米国産牛肉のシェアを奪って成長する公算が大きいのだ。

△グリーン・ゲイブルズ博物館の1階にあるモンゴメリが結婚式を挙げた応接間(筆者撮影)zoom
△グリーン・ゲイブルズ博物館の1階にあるモンゴメリが結婚式を挙げた応接間(筆者撮影)

 ▽「政界の壊し屋」とは対照的
 ステーキを焼き終えたマコーレー氏に会釈すると、「君とは昨日も会ったね」とほほ笑みながら声を掛けてくださった。マコーレー氏の人柄によるところが大きいものの、分刻みのスケジュールの大臣に1日で顔を覚えられ、個人的に会話をできるのは上出来だ。
 というのも難度が高い政治家の番記者を命じられると、取材で苦労がつきまとうからだ。かつて「政界の壊し屋」と恐れられ、番記者にもほとんど語りかけない強面の国会議員を担当した同業他社の元政治部記者の友人はこう振り返る。「プライベートを犠牲にして、その政治家宅に毎朝毎晩通い詰めたんだ。すると、1年後のある時に『君は熱心だな』とぽつりと言われてね。あのときはうれしかったな」。
 そんな難航を極める相手とは対照的に、最初にお会いした翌日に早くも大きく前進したのがマコーレー氏の「番記者」活動だ。会話中に「君や、君の家族は『赤毛のアン』は好きかね?」と尋ねられたので、私はこうお答えした。「もちろんです。私の家内は『赤毛のアン』を読破しています。『赤毛のアン』と舞台のプリンスエドワード島は日本でもとても人気があります」。すると、マコーレー氏は「私もそう聞いていたんだ。それは良かった、明日のインタビューでまた会うのを楽しみにしているよ」と言い残し、次の訪問先へ向かっていった。

△応接間の片隅に置かれた「ガラス扉がついた本箱」のモデルとなった木製の書棚(筆者撮影)zoom
△応接間の片隅に置かれた「ガラス扉がついた本箱」のモデルとなった木製の書棚(筆者撮影)

▽まるで自然のパッチワーク
 その3カ月後、私はマコーレー氏の地元、プリンスエドワード島に足を踏み入れていた。本コラムのタイトル「“鉄分”サプリの旅」に似つかわしく鉄分豊富で、まるで炎のようにまばゆく一面に広がる赤土。その奥には対照的に青色に染められた海が広がり、それらの異なる色彩を橋渡しするかのように緑の平原が間をつなぐ。そんな自然が織りなすパッチワークのようなキャベンディッシュの美しい風景の中に、「赤毛のアン」の作者ルイス・モード・モンゴメリゆかりの「グリーン・ゲイブルズ博物館」はあった。隣には小説に出てくる「輝く湖水」のモデルとされるキャンベル池が広がる。
 モンゴメリの叔父と叔母の夫婦の住居だった博物館の木造建物の1階には、1911年にモンゴメリが結婚式を開いた応接間がある。片隅に置かれていたのが、「赤毛のアン」に登場する「ガラス扉がついた本箱」のモデルとなった木製の本箱だ。
 主人公アン・シャーリーが孤児院に預けられる前に一時過ごしていた「トマスの小母さん」の家で、本箱に映る自分の姿を「ガラス戸の向こうに住んでいる他の女の子だということに想像してケティ・モーリスという名前をつれて、とても仲良くしていたの」と故村岡花子氏が訳した書籍「赤毛のアン」に登場する。
 しかし、アンは「ハモンドの小母さん」の家へ引っ越すことになり、書籍にはこう綴られている。「ケティ・モーリスを置いて行くのが胸が張り裂けるほどつらかったの。ケティもひどく悲しんでいたってこと、あたしちゃんと知ってるわ。だって本箱の扉の向こうからあたしにさよならのキスをしてくれた時、泣いていたんですもの」

△マコーレー農務・農産食品大臣から頂いた「赤毛のアン」人形を持つ筆者。人形のパートナーは出現するか!?zoom
△マコーレー農務・農産食品大臣から頂いた「赤毛のアン」人形を持つ筆者。人形のパートナーは出現するか!?

 ▽「アン」番としての任務は…
 本箱のガラス戸をのぞき込むと、そこにはマコーレー氏の「番記者」の姿が映っていた(ような気がした)。インタビューを終え、「番記者」の職務に終止符を打った私にマコーレー氏が手渡してくだったお土産は、アンの人形だった。この人形に導かれるようにわずか3カ月後にプリンスエドワード島への初上陸を果たし、奇しくも「アン」番という新たな任務を背負った私はこう決心した。「そうだ、寂しがるアンがガラス戸を日々のぞき込まなくていいように、パートナーを連れて帰ってやろう」と。
 売店がある併設の建物に赴くと、待ち受けていたアンが「いちご水」を振る舞ってくれた。厳密に言うとアンに仮装した17歳の女子高校生で、島に数人いるアン役の女の子で「唯一の本当に赤毛の女の子」だという。
 小説ではアンが親友のダイアナ・バーリーに対し、いちご水と間違えて葡萄酒を提供してしまう場面が出てくる。「昼からワインをいただけるとは、なんといいご身分だ!」と口を付けたところ、アルコールの味は全くしない。正真正銘のいちご水だった。
 売店を見回したものの、似つかわしい「アン人形のパートナー」は見当たらなかった。果たしてふさわしいパートナーは何か、そして「赤毛のアン」ゆかりの名所を巡る道中にそれは出現するのだろうか!?
 (「連載『隠れた鉄道天国カナダ』第4回」に続く)
 (連載コラム(「“鉄分”サプリの旅」)の次の旅をどうぞお楽しみに!)

共同通信社ワシントン支局次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎
1973年4月東京都杉並区生まれ。国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒。1997年4月社団法人(現一般社団法人)共同通信社に記者職で入社。松山支局、大阪支社経済部、本社(東京)の編集局経済部、3年余りのニューヨーク特派員、経済部次長などを経て、2020年12月から現職。アメリカを中心とする国際経済ニュースのほか、運輸・観光分野などを取材、執筆している。

 日本一の鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。東海道・山陽新幹線の100系と300系の引退、500系の東海道区間からの営業運転終了、JR東日本の中央線特急「富士回遊」運行開始とE351系退役、横須賀・総武線快速のE235系導入、JR九州のYC1系営業運転開始、九州新幹線長崎ルートのN700Sと列車名「かもめ」の採用、しなの鉄道(長野県)の初の新型車両導入など最初に報じた記事も多い。

共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS」などに掲載の鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/culture/leisure/tetsudou)の執筆陣。連載に本コラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)のほか、47NEWSの「鉄道なにコレ!?」がある。

共著書に『平成をあるく』(柘植書房新社)、『働く!「これで生きる」50人』(共同通信社)など。カナダ・VIA鉄道の愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。FMラジオ局「NACK5」(埼玉県)やSBC信越放送(長野県)、クロスエフエム(福岡県)などのラジオ番組に多く出演してきた。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の元理事。
risvel facebook