ベルリンのアパートを訪れた時、彼女はフライパンで玉ねぎに火を通しているところでした。良く晴れた秋の午後のことでした。レコードプレーヤーからルーリードの歌声が大きくも小さくもない音量で流れていました。彼女はすごく嬉しそうな笑顔で僕を迎え入れてくれました。まるで僕が来るのをずっと前から心待ちにしていたかのようなムードでした。彼女は色の褪せた細身のジーンズを履いて、胸元が大きく開いた白いシャツをはおるように着ていました。彼女の瞳は緑がかったブルー、長いまつげ、髪の毛と同じ栗色のまつげが太陽を背にして金色に輝いていました。頬に散らばったそばかすが彼女をよりキュートに見せていました。そばによると彼女から教会の淡い赤ワインの香りがするのがわかりました。
白を基調にした明るい室内はベルリンというよりはパリのアパルトマンを思わせる洒落た空間で、木製の椅子や大きなバスケット、ハンガーにかかったベージュ色のコートや、あちこちに置かれた観葉植物から壁の絵まで、目に入るものすべてから温もりが感じられました。暖炉のまわりはいつ寒くなってもよいように冬の支度が整えられていました。開け放たれた上下スライド式の大きな窓から入って来たいい感じの都会の音と風が白いカーテンを静かに揺らしていました。
僕たちは木の床に向かい合って座り、彼女の作った玉ねぎとオリーブオイルのスパゲティーを食べました。キッチンにはテーブルがありましたが、本やら雑誌やら文房具やら化粧道具やらでごったがえしていて、プレートを置くだけのスペースがありませんでした。室内はほどよく整頓されて清潔感にあふれていましたが、何故かテーブルの上だけがカオスでした。でもその乱雑さは嫌なものではなくむしろ空間の居心地の良さを醸す要素のひとつになっていました。
「私が小さい時にね、近所にアジア人の男の人が住んでいたの。」
と、スパゲティーのオイルで口のまわりをぎとぎとにさせながら彼女が言いました。彼女のコロコロとした声の周波は心地よく、イギリス人らしいきれいな発音の英語は僕の耳に優しく届きました。
「香港の人だって言ってたかな。すごく優しい人でよく遊んでもらったわ。私ね、その人のことが大好きだったの。大人になったら絶対東の国の人と結婚するぞって思ったんだ。」
僕は何と答えて良いかわからず黙ってスパゲティーを口に入れてもぐもぐしました。
「で、その人がこの文字を教えてくれたんだ。」
彼女は紙とペンを持ってきて、そこに文字を書き込んで僕に見せてくれました。漢字の「四」でした。
「これは数字だね。4という意味だよ。」
「4?」
「そう、4。」
「そうか。それはきっと年齢ね。私、きっと4歳だったんじゃないかしら。」
マックさん。マックさん。おーいマックさん。
お、君か。何だい?せっかくいいところだったのに。
マックさんこそ何ですか?突然この展開は。
妄想だよ。妄想。最近マックロマンスの妄想話が全然ないじゃないかってファンに言われてね。そういうことなら今回は全編妄想で行こうかと思ったわけさ。
やめて下さいよ。50にもなるおっさんの妄想話なんて聞きたくないですよ。あー気持ち悪い。
まあ、そう言うなかれ。聞きたいって人もけっこういるんだから。それにさ、君だって僕の妄想の中にいるんだよ。僕が目をつぶればいなくなる。試しに目を閉じてみようか?
3、2、1、OFF。
と。さて、うるさい小姑みたいのがいなくなったところで、ベルリンのお話しを続けましょう。ベルリンにまだ壁があった頃の話です。
ベルリンに壁があった時代の東ドイツを車で横断したことがあります。出発点は確かアムステルダムで行き先は西ベルリンでした。空路ではなく「壁抜け」で西入りしたわけです。
東西冷戦下において、東ベルリンと西ベルリンの間では人の行き来がなかったと思われがちですが、実は西側(我々の側です。念のため)の外国人にとって東ベルリンに入国すること自体はさほど困難ではありませんでした。モノ好きな観光客のために東ドイツを訪れるバスツアーなんかもありました。停車してはいけない。バスから降りてはいけない。ってまるでサファリパークです。それにしても、僕たちのように、わざわざ東ドイツ内を自走の運転で横断する人はあまりいなかったはずです。今にして思えば貴重な体験を得られてラッキーでした。警察にカツアゲされたりして大変でしたけどね。特筆すべきは、壁を抜ける時のあの不思議な感覚、二つの異なる世界の隔たりに立った時に感じた「めまい」。それはある種のトラウマとなって現在に至るまでずっと僕の頭の中につきまとい続けています。
あの壁をもう一度抜けてあちら(こちら?)の世界に戻るべきだったのではないか?それが僕の疑問です。けれどもその場所にもう「壁」はありません。