旅の扉

  • 【連載コラム】「“鉄分”サプリの旅」
  • 2024年10月12日更新
共同通信社 経済部次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎

ニコンの初号機カメラ、初のレンズ交換式一眼レフも間近に! 東京・品川にニコンミュージアム

△ニコンミュージアムに展示された「ニコンF3/T」と付属品(いずれの写真も東京都品川区で大塚圭一郎撮影)zoom
△ニコンミュージアムに展示された「ニコンF3/T」と付属品(いずれの写真も東京都品川区で大塚圭一郎撮影)

 大手光学機器メーカーのニコンは2024年10月12日、カメラや顕微鏡、望遠鏡などの自社製品を展示した企業博物館「ニコンミュージアム」(東京都品川区)の一般公開を始めた。本社の1階にあり、1948年に売り出した小型カメラの初号機「Nikon(ニコン)I型」や、59年発売のニコン初のレンズ交換式一眼レフカメラ「ニコンF」など計1300点を超える展示や技術を間近に見ることができる。入場は無料。勤務先で機械業界を受け持っていた際にニコンを担当し、製品を愛用していたカメラ好きであり、同じ品川区に住む近所住民として10月9日の開館記念式典を取材した。

△ニコンミュージアムに展示されたカメラを見るニコンの德成旨亮社長(一番右)と、品川区の森澤恭子区長(右から2人目)zoom
△ニコンミュージアムに展示されたカメラを見るニコンの德成旨亮社長(一番右)と、品川区の森澤恭子区長(右から2人目)

 ▽当初の社名は日本光学工業
 ニコンは三菱グループの企業で、2023年度のグループ全体の連結売上高は7172億円。三菱財閥4代目当主の故岩崎小弥太氏(1879~1945年)が当時はヨーロッパからの輸入に依存していた顕微鏡や双眼鏡の国産化を目指し、1917年に日本光学工業の社名で創業した。
 ニコンは、社名に付いていた「日本光学」を略した「Nikko」に基づいて命名された。ニコンを最初に冠した製品がニコンI型で、名前が定着したのに伴って社名も1988年4月にニコンに変えた。

△ニコンで初めてのレンズ交換式一眼レフカメラ「ニコンF」(上の段の中央)zoom
△ニコンで初めてのレンズ交換式一眼レフカメラ「ニコンF」(上の段の中央)

 ▽移転して大幅拡充
 ニコンミュージアムはもともと、東京都港区の旧本社内に2015年10月に開設された。本社移転に伴って24年2月末に一時休館し、旧大井製作所の跡地に建てられた現在の本社への移転に伴って再開した。
 展示点数を旧ミュージアムより約3割増やし、総面積も約3割広い約670平方メートルとなった。コンセプトを「『伝統と革新』の歴史をエピソードとともに」とし、入り口の近くにある「インダストリー」のコーナーには半導体・FPD露光装置や天体望遠鏡、ヘルスケア製品などを紹介している。

△ニコンミュージアムのケースに並んだ小型デジタルカメラ「クールピクス」や、ミラーレス一眼カメラ「ニコン1」などzoom
△ニコンミュージアムのケースに並んだ小型デジタルカメラ「クールピクス」や、ミラーレス一眼カメラ「ニコン1」など

 ▽歴代のカメラとレンズ
 圧巻なのは歴代のカメラやレンズ、双眼鏡といった民生用製品をガラスケース内にずらっと並べた「コンシューマー」のコーナーだ。展示されている1980年に売り出された一眼レフカメラ「ニコンF3」をデザインしたのは、ドイツのフォルクスワーゲン(VW)の主力車「ゴルフ」の初代型なども手がけた工業デザイナーの巨匠のジョルジェット・ジウジアーロ氏だ。
 付属品と捉えられていたフィルムを巻き上げるためのモータードライブをF3は一体化し、最高で毎秒6コマを撮影できるようにしたのが画期的だった。電子制御式シャッターと絞り優先自動露出機構も初めて用いるなど、当時の最先端技術をふんだんに採り入れた。

△開館記念式典でのテープカット。左からニコンミュージアム館長の中島良允氏、品川区の堀越明副区長、ニコンの德成旨亮社長、品川区の森澤恭子区長、ニコン取締役兼専務執行役員の大村泰弘氏、ニコン広報部長の鈴木さやか氏。zoom
△開館記念式典でのテープカット。左からニコンミュージアム館長の中島良允氏、品川区の堀越明副区長、ニコンの德成旨亮社長、品川区の森澤恭子区長、ニコン取締役兼専務執行役員の大村泰弘氏、ニコン広報部長の鈴木さやか氏。

 ▽ニコンを離脱した原因も
 ガラスケース内にはニコンが2011年に初めて導入したミラーレス一眼デジタルカメラ「ニコン1」もあり、これは私がニコン製品から離脱した原因だ。反射鏡などを省いて軽量化したミラーレスに切り替えるため2011年に各社の製品を検討した際、ニコン1はカメラのレンズ部分から取り込んだ光を電気信号に変換する半導体「イメージセンサー」が「1型」と呼ばれる小型センサーだったのが不満だった。このため別の日本メーカーのミラーレスに乗り換え、そのメーカーの製品を持ち続けてきた。
 しかし、現在はニコンもより大きなサイズのセンサーであるフルサイズやAPS-Cを採用した「Zシリーズ」を販売している。中でもフィルム式一眼レフカメラ「ニコンFM2」のデザインに似せたフルサイズの「Zf」、APS-Cの「Zfc」はともに美しい外観で、性能も優れている。品川区民になったこともあり、いずれは地元企業の製品に回帰するかもしれない。
 ニコンの德成旨亮社長は開館記念式典で「旧本社のニコンミュージアムには世界中から延べ19万人のカメラファンが訪れた」と紹介し、新本社に誕生したニコンミュージアムを通じて「世界中からお越しいただけるインバウンド(訪日客)の起爆点になり、企業市民の一員として地域社会に貢献し、子どもたちに科学する心や自然に対する畏敬の念を発信できればいい」と意気込んだ。
 品川区の森澤恭子区長はニコンミュージアムが「多くのニコンファンの皆さんとともに地域の区民の皆さんが多く訪れて、そして愛される施設となることを心から願っている」と期待を込めた。

△ニコンミュージアムがあるニコン本社(プライバシー保護のため画像を一部加工しています)zoom
△ニコンミュージアムがあるニコン本社(プライバシー保護のため画像を一部加工しています)

 【ニコンミュージアム】2024年7月に完成したニコン本社の1階にある企業ミュージアムで、住所は〒140―8601東京都品川区西大井1ノ5ノ20。開館時間は午前10時~午後5時半で、休館日は月曜日、日曜日、祝日など。入場は無料。最寄り駅はJR東日本横須賀線の西大井駅で、徒歩約4分。
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)

共同通信社 経済部次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎
1973年4月、東京都杉並区生まれ。国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒。1997年4月に社団法人(現一般社団法人)共同通信社に記者職で入社。2013~16年にニューヨーク支局特派員、20~24年にワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。2024年9月から現職。国内外の運輸・旅行・観光分野や国際経済などの記事を積極的に執筆しており、英語やフランス語で取材する機会も多い。

日本一の鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。東海道・山陽新幹線の100系と300系の引退、500系の東海道区間からの営業運転終了、旧日本国有鉄道の花形特急用車両485系の完全引退、JR東日本の中央線特急「富士回遊」運行開始とE351系退役、横須賀・総武線快速のE235系導入、JR九州のYC1系営業運転開始、九州新幹線長崎ルートのN700Sと列車名「かもめ」の採用、しなの鉄道(長野県)の初の新型車両導入など最初に報じた記事も多い。

共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS(よんななニュース)」や「Yahoo!ニュース」などに掲載されている連載「鉄道なにコレ!?」と鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/column/railroad_club)を執筆し、「共同通信ポッドキャスト」(https://digital.kyodonews.jp/kyodopodcast/railway.html)に出演。

本コラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)、カナダ・バンクーバーに拠点を置くニュースサイト「日加トゥデイ」で毎月第1木曜日掲載の「カナダ“乗り鉄”の旅」(https://www.japancanadatoday.ca/category/column/noritetsu/)も執筆している。

共著書に『わたしの居場所』(現代人文社)、『平成をあるく』(柘植書房新社)などがある。VIA鉄道カナダの愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の広報委員で元理事。
risvel facebook