旅の扉

  • 【連載コラム】coffee x
  • 2024年2月4日更新
アムステルダムカフェより
カフェエッセイスト:安齋 千尋

Coffee x 10 years

Gare Limoges Benedictinszoom
Gare Limoges Benedictins
心残りのないように。

オランダからお客さんを京都に案内したときのこと、夜は母が行きつけのおばんざい屋さんへ行きました。カウンターの席に大きな体のオランダ人のおじさん二人と私が座り、お店の方がgoogle translateを使いながらお料理の説明をしてくださり、生ビールの泡ひとつとっても、日本の丁寧さに感激する笑いの絶えないひとときです。お料理が終わってごはんが出る前に、お客さんがコースの中にあった牡蠣がまた食べたいと言い出しました。心の中では空気が読めないなと思いながら、でもお客さんの方は、お料理が美味しかったことはもちろんですが、顔見知りのお店の温かいもてなしにとても喜んでいらして、小さなお料理屋さんで牡蠣が今晩余ると思ったようで全部食べたいという優しい気持ちがあり、私はお願いすることに。料理長さんに聞いてきますとおっしゃって、暖簾の奥に聞きに行ってくださったお姉さんは、OKですと笑顔で戻ってこられたのでした。遠慮しながらありがとうございますと伝えると、心残りのないように食べていってください、と応えられたのでした。それはこの10年、海外で働いている中で私が大切にしたい想いがいっぱいに詰まっているような気がしました。
駅構内は石灰岩が使われていて、Limousinを象徴する女性の彫刻は、Limoges陶器をもっていますzoom
駅構内は石灰岩が使われていて、Limousinを象徴する女性の彫刻は、Limoges陶器をもっています
写真は、フランスのLimoges Benedictins駅の構内です。
世界の最も美しい駅のひとつとして名高い駅で、映画アメリの女優Audrey Tautouが出演するCHANEL No5のショートフィルム冒頭にも使われています。2024年、この駅が私のフランス生活の始まりとなりました。10年を過ごしたアムステルダムを離れ、思いもよらぬ縁に惹かれて新しい章に突入です。様々な想いが交差する旅の途中、心残りのないように、という優しい言葉を何度も思い出しています。海外でどんな仕事をしていても、日本人と仕事をしていてよかったと思って欲しいと、心に留めています。こんなに世界は近くなっていても、日本人と親しくなる他の大陸の人はまだ少ないものです。私の役職は、別に日本人でなくても良かったり、多国籍の会社にいれば価値観の違いから分かり合えなかったり、気がつくと自分ひとりが頑張ってしまっているようなことがあります。でも、日本で感じられる、行間を詠む配慮や、自分の守備範囲を越えても精一杯尽くしてくれることが日本のいいところ。オランダの会社を退職する送別の席で、同僚には、いじわるばあさんと思われていると思っていましたが、圧倒されるくらいの熱量で温かく私の仕事は認められていたことがわかり、ご挨拶にいったお客さんからの励ましに、頑張って良かったなと思いながら、反省もたくさんしました。心残りのないように、私自身へのエールでもあり、この道を選択したからには思いっきりやってみようと改めて思う年明けとなりました。

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フランスは、Brexit前のロンドンも加えれば、ヨーロッパ生活三つ目の国となりました。それぞれの国で好きなところも嫌いなところもありますが、まだ色々慣れません。オランダの生活が合理的で便利で英語が通用していたことに比べて、フランスでは言葉が通じないことや、日常の小さいこと、例えば銀行や市役所の手続き、お買い物のレジ、車など全てにおいてマニュアルです。また、可愛さや派手さはあまり好まれず、シンプルで良いものを身につける、古いものを大切に使う大人な国という印象です。カフェも然り。スペシャリティコーヒーのお店が次々できるロンドンやアムステルダムとは違い、ブラッセリーと呼ばれるお酒もコーヒーもランチもしっかりできるようなお店が主流です。まだひと月も経たないのに、いろんな壁にくさくさして街を歩いていた日、図書館の前に若者が入っていくカフェを見つけました。Choncoteという小さいカフェは、ドアを開けた瞬間、エスプレッソとペイストリーの焼ける懐かしい香りにジンとします。若い店員さんが英語で話しかけてくれて、難しいことで頭がいっぱいだった私は、ここでもやっぱりカフェに救われた気分で優しい気持ちになりました。後付けになりますが、この日の私の不甲斐なさというか、私はこの国でやっていけるのだろうか、新しい土地での夫婦のやりとりは、数日後に機内でぼんやり見ていた映画Julie&Julia(2009)がときめきに変えてくれることになります。メリル・ストリープとエイミーアダムスの葛藤は、まさに今の私で、二人の女性が何か夢中になれることを探す日々のこと。お洋服や、フランス料理やキッチンの美味しそうな映像にウキウキして、コメディなのに涙目になりました。皆さんも行き詰まってしまったら、好きなことや素敵なものに敢えて会いに出かけましょう。私にとっては、それはカフェ時間と映画や言葉であることが多く、自分のリズムを取り戻すこととができました。
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Amsterdam 地下鉄Rokin駅は、思い出の帰り道
最近のカフェ読書のこと。星の王子様の著者、サン=テグジュペリの『人間の土地』という作品は大好きな1冊です、と以前ブログに書きました。不思議な縁で、私は彼の国に住むことになりましたが、最後の出張で訪れたミラノで、私はお世話になった大切な人に同書をプレゼントしました。彼がお勧めしてくれたDino Buzzatiの本へお礼の気持ちを込めて。幻想小説と称される彼の作品は、世界や人間が全然完璧ではなくハッピーエンドでないことも多いのですが、残酷さも静かに美しく憎めなく描かれています。私が読んでいるのは、光文社古典新訳文庫の『神を見た犬』という短編集です。収録されている作品の一つ、Il colombre (1966, short stories)をふと思い出しています。伝説の海獣コロンブレが見えてしまったものは、死ぬまでこの海獣に付き纏われます。ある少年が父と船で海に出たところ、コロンブレが見えることがわかり、家族は少年を海から遠ざける選択しますが、人生の終盤を迎え彼は、とうとうずっと心に抱いていた航海に乗り出します。そこで少年に起きた結末とコロンブレが象徴するものとは、という論議をした彼との夕食の席のことを思い出しながら、一度きりの人生は心残りのないように、いつも今がいちばん幸せであるように、旅を続けていきたいと思います。
こんな風に可愛いワンピースを着て、手を取り合って歩いていきたいなと思ったイタリアの街角zoom
こんな風に可愛いワンピースを着て、手を取り合って歩いていきたいなと思ったイタリアの街角
Tous les hommes sont menteurs, inconstants, faux, bavards, hypocrites, orgueuilleux et lâches, méprisables et sensuels ; toutes les femmes sont perfides, artificieuses, vaniteuses, curieuses et dépravées ; le monde n'est qu'un égout sans fond où les phoques les plus informes rampent et se tordent sur des montagnes de fange ; mais il y a au monde une chose sainte et sublime, c'est l'union de deux de ces êtres si imparfaits et si affreux. On est souvent trompés en amour, souvent blessé et souvent malheureux ; mais on aime, et quand on est sur le bord de sa tombe, on se retourne pour regarder en arrière et on se dit : j'ai souffert souvent, je me suis trompé quelquefois ; mais j'ai aimé. C'est moi qui ai vécu, et non pas un être factice créé par mon orgueuil et mon ennui.

➖On ne badine pas avec l'amour by Alfred de Musset

男は皆、嘘つきで、気まぐれで、偽りで、口ばっかり、偽善者で、プライドが高く、卑怯で、官能的である。
女は皆、不誠実で、巧妙で、自惚れていて、好奇心旺盛で、堕落している。世界は,形を成さない海獣がのたうちまわり泥が溜まった底なしの下水路のようだ。しかし、世界には崇高で神聖なものがひとつある。それはこの全く不完全で実にひどい2つの性が愛し合うこと。 私たちはしばしば、愛を疑い、傷つけ、不幸せと感じることさえある。にもかかわらず、私たちは愛するのだ。お墓の前に立ち人生を振り返った時、私たちはきっと自分にこう話しかけるでしょう。私はしばしば苦しんだし、時に間違えたが、愛した、と。それは私が生きたということで、プライドや退屈から人工的に作られたものではなかった。

シャネル No5 ショートフィルム
https://www.jpjeunet.com/GB/commercials-and-clips/chanel-n5/

Limoges市役所前にあるカフェCHONCOTE 
https://www.choncote.com/

イタリア人作家ディーノブッツァティー
https://en.wikipedia.org/wiki/Dino_Buzzati
カフェエッセイスト:安齋 千尋
Amsterdamに住んでいます。外国で暮らすため、京都で仲居をしながら学んだ日本、Londonでの宝物の出会いがありヨーロッパにきて10年以上が経ちました。世界中どこにいてもいいカフェに出会うことがとても楽しみです。入った瞬間の香り、音、新聞、いつものバリスタと目が合うこと、私の日々の幸せな瞬間はカフェにあります。
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