旅の扉

  • 【連載コラム】こだわり×オタク心
  • 2023年7月11日更新
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コラムニスト:Tomoko Nishio

「旅人」モーツァルトの傑作『フィガロの結婚』、若きイタリア人ペアが醸すリアリティ/英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2022/23

©The Royal Opera, 2021. Photos by Clive Bardazoom
©The Royal Opera, 2021. Photos by Clive Barda
ロンドン・コヴェントガーデンに立つ舞台芸術の殿堂、英国ロイヤル・オペラ・ハウスの名作を映画館で楽しむ「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2022/23」。2023年7月7日から上映されているのはモーツァルトの傑作オペラの一つ『フィガロの結婚』だ。英国ロイヤル・オペラ・ハウスでは2006年初演以来人気のプロダクションで、今回の上演はイタリア語で書かれたこのオペラの主演カップルにイタリア人を迎えたことでも注目を浴びた。物語の衣装やセットは上品なロココ風で、欧州の歴史風俗を楽しみたい人にもおすすめの作品となっている。

ザルツブルクのモーツァルトの生家zoom
ザルツブルクのモーツァルトの生家
■18世紀のオペラは「イタリア語」が常識。時を経てモーツァルトの代表作に

この『フィガロの結婚』の初演は1786年。モーツァルトの生きた18世紀はオペラといえばイタリア語が当たり前、という時代であったため、この作品もイタリア語で書かれている。脚本はイタリア人のダ・ポンテによるものだが、現在のオーストリア・ザルツブルク生まれのモーツァルトはドイツ語が母語ではあるが家族とイタリア語で文通をするなど、イタリア語にも親しんでいた。

一説によると「語学の達人」として、ザルツブルク方言をはじめとする多様なドイツ語、イタリア語、フランス語(かなり嫌いだったらしい)、ラテン語等々、当時欧州で使われていた言語は一通り理解していたとも言われる。これは7歳のころから、今でいう「ステージパパ」の父親とともに、ザルツブルクからミュンヘンやフランクフルト、ベルギー、パリ、ロンドン、オランダ、スイス、イタリアなどを巡り、欧州各地の芸術や文化、本場イタリアのオペラにふれていたことも理由の一つとして挙げられよう。こうした経験があってこそ、イタリアオペラの作曲にも自然に取り組めたであろうし、また幼いころの旅の経験が芸術家モーツァルトの感性に影響を与えていたと考えると、旅のもつ力というものをしみじみと感じるのだ。
©2022 ROH. Ph by Clive Bardazoom
©2022 ROH. Ph by Clive Barda
とまれ、オペラ『フィガロの結婚』自体は、原作となったフランスの劇作家ボーマルシェの戯曲自体が貴族社会を風刺した内容であったことから、幾度となく上演禁止となっていた作品であった。そのせいもあってか、ウィーンでの初演はパトロンたる貴族たちからの芳しい評価が得られなかったものの、ウィーンを拠点とするハプスブルク家の支配下にあったプラハ(チェコ)では大絶賛された。そして時代を経た今、モーツァルトのオペラの代表作の一つとして、人気の高い作品となっている。
©2022 ROH. Ph by Clive Bardazoom
©2022 ROH. Ph by Clive Barda
■言葉のDNAと呼応するイタリア人主演らが紡ぐリアリティ

今回の上演で演出のディヴィッド・マクヴィカーがこだわったのは「イタリア人による主演」だ。世界で活躍するオペラ歌手はそれこそイタリア語やドイツ語、フランス語、時にはロシア語など、必要とあればどんな言語でも歌いこなすし、そこから素晴らしい名演が生まれることももちろんある。だがやはり「母国語」「ネイティブ」の持つ力は言葉の奥に秘められた、その国の言語とDNAを共にする者だけが表現できる、特別なものがあるのだろう。
フィガロ役のリッカルド・ファッシ。シビれるバス低音も必聴。 ©2022 ROH. Ph by Clive Bardazoom
フィガロ役のリッカルド・ファッシ。シビれるバス低音も必聴。 ©2022 ROH. Ph by Clive Barda
それもあってか、今作の主演ペア、フィガロ(リッカルド・ファッシ)とスザンナ(ジュリア・セメンツァート)は実に生き生きとした、等身大感のある演技で魅せる。物語の大筋はアルマヴィーヴァ伯爵(ヘルマン・E・アルカンタラ)に仕えるフィガロと、伯爵夫人(フェデリカ・ロンバルディ)の小間使いスザンナの、2人の結婚を巡る喜劇。新婚の花嫁スザンナを手に入れようと狙うアルマヴィーヴァ伯爵を、スザンナと伯爵夫人が知恵を巡らせこらしめる、というものだ。実はこの話はこの時代ならではの、非常に下衆なエピソードがふくまれているのだが、それをロココ風味で「昔の話だよ」と包みこみつつも、それでも現代に通じるものがあるというあたりに、時代を越えても変わらない人間の普遍性――しょうもなさが含まれているといえようか。なお指揮者のアントニオ・パッパーノはモーツァルトを知り尽くしたマエストロで英国系イタリア人。見始めたらあっという間のひと時を、ぜひお楽しみいただきたい。
©2022 ROH. Ph by Clive Bardazoom
©2022 ROH. Ph by Clive Barda
英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2022/23
『フィガロの結婚』


【音楽】ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
【台本】ロレンツォ・ダ・ポンテ
(原作:ピエール=オーギュスタン・カロン・ド・ボーマルシェの戯曲『狂おしき一日、またはフィガロの結婚』)
【指揮】アントニオ・パッパーノ
【演出】ディヴィッド・マクヴィカー
【出演】フィガロ:リッカルド・ファッシ
スザンナ:ジュリア・セメンツァート
バルトロ:ヘンリー・ウォディントン
マルチェッリーナ:モニカ・バチェッリ
ケルビーノ:ハンナ・ヒップ
アルマヴィーヴァ伯爵:ヘルマン・E・アルカンタラ
ドン・バリージオ:グレゴリー・ボンファッティ
アルマヴィーヴァ伯爵夫人:フェデリカ・ロンバルディ
アントニオ:ジェレミー・ホワイト
ドン・クルツィオ:アラスデア・エリオット
バルバリーナ:ヘレン・ウィザース
【上映時間】3時間44分


上映劇場は下記にて確認を。
http://tohotowa.co.jp/roh/movie/?n=the_marriage_of_figaro2022
コラムニスト:Tomoko Nishio
旅行業界・旅&芸術文化ライター、動物好き。旅行業界誌記者・編集者を経てフリーの旅行ライターに。南仏中世と「三銃士」オタク。歴史とアートに軸を置きつつ、絵画、バレエ、音楽、物語、映画、漫画のロケ地・聖地巡り、海外旅行や小さなお散歩まで、様々な視点で旅を発信。「旅」は生活のなかにもあり。

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