旅の扉

  • 【連載コラム】こだわり×オタク心
  • 2023年3月6日更新
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コラムニスト:Tomoko Nishio

欧州ファンなら知っておきたいバレエ『くるみ割り人形』の物語 英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2022/23

© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kentonzoom
© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kenton
「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2022/23」は映画館でロンドンの英国ロイヤル・オペラ・ハウスのバレエやオペラが楽しめるプログラム。2023年3月9日までは、バレエの人気作『くるみ割り人形』が上演されている。

このバレエ『くるみ割り人形』は、欧州ではクリスマスシーズンになると必ず登場する冬の風物詩であり、彼の地のカルチャーや生活をより深く知るうえではとくに欠かせない物語。一度はしっかりとしたものを見ておいて、絶対損はない。

とくに英国ロイヤル・バレエが上演しているものは物語や舞台セットなど、トータルで非常に完成度の高く、世界に数ある『くるみ割り人形』のなかでも最高峰の一つとされるもの。バレエ通に「おすすめの『くるみ割り人形』を3つ教えて」と聞いたら、おそらくほとんどの人がこの英国ロイヤル・バレエの『くるみ割り人形』を挙げるに違いないという名作なので、ぜひこの機会に見ておきたい。しかも今回上映される舞台では主演の金平糖の精を金子扶生、物語を牽引するクララ役が前田紗江と、2人の日本人ダンサーが踊るという点も注目である。

エルツ地方で生まれたとされる「くるみ割り人形」zoom
エルツ地方で生まれたとされる「くるみ割り人形」
■ドイツ生まれの物語がロシアでバレエに

「くるみ割り人形」はクリスマスマーケットなどでよく見かける、四角い顔をした兵隊の人形で、文字通り固いくるみを割るための道具。「くるみ割り」の道具自体は昔からあったが、人形の姿のものが誕生したのは、一説によると18~19世紀頃、ドイツの山岳地帯・エルツ地方からではないかとされている。この地方では冬場の内職の一環として、木のおもちゃのがつくられており、くるみ割り人形もそのおもちゃの一つとして制作されたという。しかも「小憎らしい役人に固いくるみを喰わせてやれ」という、職人・庶民のうっぷん晴らしの意味合いもあったようで、そのためか、軍服を着た人形の顔はカワイイとはいえないし、愛嬌があるともいえない、なかなか微妙な顔つきだ。


E.T.A.ホフマンはそんなくるみ割り人形をモチーフに、童話『くるみ割り人形とねずみの王様』を書き、その物語がロシアにわたり、チャイコフスキーの音楽とともにバレエとなる。ロシアで生まれたバレエは微妙な顔の人形が優しく勇気ある少女の機転で美しい王子の姿となり、ともにお菓子の国へ旅をして夢のひと時を過ごすという物語で、本来のホフマンの原作のいいとこどりというのか、その結果物語のつじつまが合わない曖昧な部分も生じている。だが舞台や踊りの美しさや、なによりチャイコフスキーの雄弁な音楽に助けられてもいるのだろう、おそらく世界で最も人気のある古典バレエとして、今に伝えられているのである。
© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kentonzoom
© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kenton
■ドラマティックな余韻を残す、英国ロイヤル・バレエ『くるみ割り人形』

その曖昧な物語に一石を投じ、しっかりと筋の通る物語に仕上げたのが、英国ロイヤル・バレエが上演しているピーター・ライト振付による『くるみ割り人形』だ。1984年の初演から約40年、上演回数は500回以上という、バレエ団屈指の人気作であり、伝統的な演目である。

物語はホフマンの原作に立ち返ったうえで、原作のテイストを抽出しながら、独自のアレンジを加えたもの。クララとハンス・ピーターという若いカップルをストーリーテラーに、その2人の未来の写し鏡のような存在ともいえる、金平糖の精と王子を配し、現実と夢世界、現在から未来を、あたたかくつなぎ、優しい余韻を残している点が見事なのだ。

バレエ団屈指の人気演目なだけに、衣装やセットなどは豪華絢爛。バーン・ジョーンズやロセッティの絵画がよぎる舞台の色彩も英国らしい。クララとハンス・ピーターを誘う役はドロッセルマイヤーであはるのだが、ドロッセルマイヤーが作り、クリスマスツリーのてっぺんに飾られた天使も随所で物語に登場し、マジカルな味わいを放つ。天使の色彩もヨーロッパの美術館でよく見かける、特にルネサンス前の聖人画のそれで、ヨーロッパ美術の伝統も感じられるのが面白い。踊りやダンサーに注目が集まりがちなバレエではあるが、文学や美術も含めた総合芸術であるなと、改めて感じさせられるのである。
© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kentonzoom
© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kenton
■芸に国境はない、2人の日本人ダンサーが牽引する物語

英国ロイヤル・バレエの『くるみ割り人形』は金平糖の精と王子はプリンシパル(最高位ダンサー)が、クララとハンス・ピーターは次代の若手というポジションといえる。そしてその主演に金子扶生、クララに前田紗江という2人の日本人ダンサーが配されているのも、快挙といえる。

英国ロイヤル・バレエはもちろん英国のバレエ芸術の最高峰であり、英国人も大勢いるが、外国人にも広く門戸を開いている多国籍カンパニー。それこそ大英帝国の伝統ともいえるし、何より芸に国境はない。そういうフラットな姿勢で芸術家を迎え入れ、舞台を作り上げる姿勢もまた、このバレエ団、英国の魅力の一つとしてぜひ感じ取っていただきたい。


ドイツ、ロシア、英国など、ヨーロッパの多様な歴史や文化が詰まった『くるみ割り人形』。こうした舞台作品やそれにまつわるエピソードもまた、旅を豊かにするエッセンスのひとつである。
© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kentonzoom
© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kenton
【物語】

ドロッセルマイヤー手品師で発明家。彼が発明したネズミ捕りの罠の復讐のために、呪いをかけられくるみ割り人形の姿に変えられてしまった甥、ハンス・ピーターを元の姿に戻すためには、くるみ割り人形がねずみの王様を倒し、彼を愛してくれる娘が現れなければならない。シュタルバウム家のクリスマス・パーティを訪れたドロッセルマイヤーは、この家の娘であり、自身が名付け親でもあるクララにくるみ割り人形を贈る。真夜中、クララはドロッセルマイヤーの魔法により夢の世界に誘われ、ねずみの王様とくるみ割り人形の戦いを目撃。クララの機転で窮地を救われたくるみ割り人形は魔法が解け、ハンス・ピーターの姿に戻り、2人は雪の国へ、そしてお菓子の国へと旅をし、金平糖の精や王子に出会い、そこで幸せなひと時を過ごす。夢から醒めたクララは町中で、ふと見覚えのある若者とすれ違う。そしてドロッセルマイヤーの部屋に、ハンス・ピーターが戻ってきた――。
© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kentonzoom
© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kenton
英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2022/23
「くるみ割り人形」


■振付:ピーター・ライト
■原振付:レフ・イワーノフ
■音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
■美術:ジュリア・トレヴェリャン・オーマン
■原台本:マリウス・プティパ(「くるみ割り人形とねずみの王様」 E.T.A. ホフマンに基づく)
■プロダクションとシナリオ:ピーター ・ライト
■ステージング:クリストファー・カー、ギャリー・エイヴィス
■指揮:バリー・ワーズワース
■演奏:ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団
■出演
ドロッセルマイヤー:ベネット・ガートサイド
クララ:前田紗江
ハンス・ピーター/くるみ割り人形:ジョセフ・シセンズ
金平糖の精:金子扶生
王子:ウィリアム・ブレイスウェル
ドロッセルマイヤーのアシスタント:中尾太亮
シュタルバウム博士:ギャリー・エイヴィス
クララのパートナー:ジャコモ・ロヴェロ
キャプテン:テオ・ドゥブレイル
アルルカン:レオ・ディクソン
コロンビーヌ:ミカ・ブラッドベリ
兵士:ジョンヒュク・ジュン
ヴィヴァンデール;レティシア・ディアス
ねずみの王様:デヴィッド・ドネリー

公式サイト
https://news.eigafan.com/roh-test/movie/?n=the_nutcracker2022
コラムニスト:Tomoko Nishio
旅行業界・旅&芸術文化ライター、動物好き。旅行業界誌記者・編集者を経てフリーの旅行ライターに。南仏中世と「三銃士」オタク。歴史とアートに軸を置きつつ、絵画、バレエ、音楽、物語、映画、漫画のロケ地・聖地巡り、海外旅行や小さなお散歩まで、様々な視点で旅を発信。「旅」は生活のなかにもあり。

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