旅の扉

  • 【連載コラム】こだわり×オタク心
  • 2022年12月22日更新
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コラムニスト:Tomoko Nishio

英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2022/23 『うたかたの恋 -マイヤリング-』英国の伝統とオーストリア。本物が与える旅の力

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■選りすぐりの英国舞台芸術の最高峰を映画館で

去る2022年9月に崩御したエリザベス二世への追悼、そして国歌演奏。英国ロイヤル・バレエ2022/23シーズンの初日はこうして厳かに、幕を開けた。

英国ロイヤル・オペラ・ハウスは英国国家元首をパトロンに戴く、この国の舞台芸術の最高峰で、オペラやバレエが上演される。特に英国ロイヤル・バレエ団は世界屈指のバレエ団のひとつで、吉田都(現新国立劇場バレエ団芸術監督)や熊川哲也(現Kバレエカンパニー芸術監督)が元プリンシパル(最高位ダンサー)として在籍し、現在は高田茜、平野亮一、金子扶生といったプリンシパルをはじめ、多くの日本人ダンサーが活躍しているバレエ団である。
そして「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン」はそこで上演されるバレエやオペラを、中継や録画を通して映画館で鑑賞できるというもので、心待ちにしているファンはもちろん、最高峰の舞台を気軽に体験できるのも特徴だ。


■演劇の魅力にも溢れたドラマティック・バレエ、『うたかたの恋 -マイヤリング-』

このたび上演される『うたかたの恋 -マイヤリング-』(以下「マイヤリング」)は2022年10月5日に上演された舞台で、英国ロイヤル・バレエ団のレパートリーの中では屈指の名作の一つである。物語は1889年、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子ルドルフが、17歳の愛人マリー・ヴェッツエラとマイヤリングの狩猟小屋で起こした心中事件を題材としたもので、『うたかたの恋』として映画や舞台になっている。主人公は皇太子ルドルフで、母親は「シシィ」の愛称で、またミュージカル『エリザベート』でも世界的に有名なオーストリア皇妃エリザベート。父はフランツ・ヨーゼフ一世でり、600年余にわたり欧州に君臨したハプスブルク家の、末期の物語ともリンクするとあって、歴史ファン、オーストリアファンにも注目される作品である。

この物語上演する英国ロイヤル・バレエ団は、その最大の特徴の一つがバレエを通して綴られる、その物語の深さ。シェイクスピアを生んだ演劇大国の伝統とも言おうか、とにかくバレエを通して演劇を見たという味わいが、このバレエ団の魅力であり、そこに惹かれるファンも多いのである。
この「マイヤリング」を作ったケネス・マクミランは英国を代表する振付家の一人である。この「マイヤリング」(1978年初演)と『ロミオとジュリエット』『マノン』とならぶマクミランの代表作で「ドラマティック・バレエ」と称される。ダンサーには踊りの技術はもちろん演技力や表現力が要求され、ここにやりがいを感じて「一度は演じてみたい役」として男性ならこのルドルフ役を挙げるダンサーも少なくないのだ。
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■本家の誇り溢れる初日公演を平野亮一が踊る

だからこそ、英国ロイヤル・バレエは常に「本家」の意地と誇りをかけて、この作品に挑む。その初日公演にして、今回の上演作の主演を務めたのが、先に挙げた日本人プリンシパル・平野亮一なのだ。

主人公ルドルフは心の闇を抱えた皇太子である。皇帝たる父とはソリが合わず、母親エリザベートの愛は得られない。オーストリア=ハンガリー帝国の後継者、600年余を数えるハプスブルク家の歴史の重圧など、彼が戴かなければならない冠は、すさまじく重い。望まないベルギー王女との結婚など息詰まる宮廷の中で彼は心を病み、数々の愛人を作り、死への憧憬を抱きながらドラッグに溺れていくのである。

主演ルドルフを踊るダンサーはこうした「心の闇」をいかに表現するかという表現力を求められるのはもちろんのこと、妻あるいは愛人である6人の女性と超絶技巧のパ・ド・ドゥを踊らなければならない。果たしてこれは人間技か?サーカスか?と思えるような超高難易度の踊りを芸術として優雅に、シャープに見せるにためには、女性を支える男性の技量が重大であるのは言うまでもない。平野はその日本人離れしたがっしりした体格で難役をこなし、物語を紡いでいくのだ。

また平野のルドルフはその力強さの一方で、実に繊細なのである。心の病、パラドックスに陥り混乱している精神病者というよりは、自らの出自の重圧のなかで愛を求め、得られず、出口を見つけることもできずにもがき苦しみ、破滅していく。まるで身食いする馬のように痛々しいのである。
そのルドルフが心惹かれ、マイヤリングで心中する17歳の愛人マリー・ヴェッツエラを演じるのが、ナタリア・オシポワだ。彼女はモスクワのボリショイ劇場をはじめ、ロシアの様々なバレエ団で主演を踊ってきた世界トップクラスのダンサーで、エネルギッシュな超絶技巧が持ち味だ。役どころによってはトゥーマッチともいえるほどのパワーを漲らせるオシポワのマリーは、小悪魔的というよりは持ち味同様エネルギッシュで生命力に満ち溢れ、平野ルドルフの世界にいるどの女性とも違ったパワーを放つ。そして17歳という若さならではの「暴走力」で、ルドルフの誘いに乗り、若い命を散らしていくのだ。暗いパワーに満ち溢れた作品に明るさを放ちながら、しかし重厚な悲劇に仕立て上げていくオシポワと平野の調和力は、忘れることのできない色彩を放つ化学反応とも言おうか。圧倒される。
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■本物の芸術が放つ、次の旅への扉

この物語はハプスブルク家の史実を題材としている。また英国舞台芸術の最高峰である英国ロイヤル・オペラ・ハウスであるからこそ、衣装や舞台美術も本格的。だからこそ、英国の芸術文化を感じるとともに、オーストリアやハンガリーへのあこがれも掻き立ててくれるのである。

物語の途中、フランツ・ヨーゼフ一世(クリストファー・サウンダース)がハプスブルク家の歴代皇帝の肖像画に目をやりながら重々し気に歩くシーンがあるのだが、歴史の重さが放つ重圧をひしひしと感じさせ、とても印象的だ。実際にウィーンを訪れてみれば、ルドルフやエリザベートなどの面影にふれることは実にたやすい。そもそもウィーンがハプスブルク家の歴史とともに歩んできた街だからこそだ。

シェーンブルン宮殿や皇帝フランツ・ヨーゼフとエリザベート、皇太子ルドルフとシュテファニー王女が挙式したアウグスティーナー教会、エリザベートやルドルフの人生にふれられるシシィ博物館などが残るし、皇帝納骨堂 (カイザーグルフト)ではフランツ・ヨーゼフを挟み、エリザベートとルドルフの棺が静かに置かれている。この「マイヤリング」を見た後に訪れると、なんとも痛ましく、切ない思いにかられる場所だ。
無論、英国のコヴェントガーデンを訪れ、ロイヤル・バレエの公演を見るのもいい。伝統の持つ本物の魅力は、次々に扉を開いて世界を広げ、それが旅をはじめとする、心の力にもなる。

英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズンは今後も様々な作品上演が予定されている。ぜひ、心惹かれる上演作品を見つけて新たな扉を開いていただきたい。
(文章中敬称略)
■上映情報



上映劇場
北海道 札幌シネマフロンティア 2022/12/16(金)~2022/12/22(木)
宮城 フォーラム仙台 2022/12/16(金)~2022/12/22(木)
東京 TOHOシネマズ 日本橋 2022/12/16(金)~2022/12/22(木)
東京 イオンシネマ シアタス調布 2022/12/16(金)~2022/12/22(木)
千葉 TOHOシネマズ 流山おおたかの森 2022/12/16(金)~2022/12/22(木)
神奈川 TOHOシネマズ ららぽーと横浜 2022/12/16(金)~2022/12/22(木)
愛知 ミッドランドスクエア シネマ 2022/12/16(金)~2022/12/22(木)
京都 イオンシネマ 京都桂川 2022/12/16(金)~2022/12/22(木)
大阪 大阪ステーションシティシネマ 2022/12/16(金)~2022/12/22(木)
兵庫 TOHOシネマズ 西宮OS 2022/12/16(金)~2022/12/22(木)
福岡 中洲大洋映画劇場 2022/12/16(金)~2022/12/22(木)
※上映時間は上映劇場へ直接問い合わせのこと

【振付】ケネス・マクミラン
【音楽】フランツ・リスト
【美術】ニコラス・ジョージアディス
【指揮】クン・ケセルズ
【出演】ルドルフ皇太子(オーストリア・ハンガリー帝国皇太子):平野亮一
マリー・ヴェッツェラ(ルドルフの愛人) ナタリア・オシポワ
ラリッシュ伯爵夫人(ルドルフの元愛人):ラウラ・モレ―ラ
皇妃エリザベート(ルドルフの母):イツィアール・メンディザバル
ステファニー王女(ルドルフの妻) フランチェスカ・ヘイワード
ミッツィー・カスパー(高級娼婦でルドルフの愛人):マリアネラ・ヌニェス
ブラットフィッシュ(ルドルフのお気に入りの御者):アクリ瑠嘉
4人のハンガリー将校 リース・クラーク 他
英国ロイヤル・バレエ団

公式サイト
英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2022/23
コラムニスト:Tomoko Nishio
旅行業界・旅&芸術文化ライター、動物好き。旅行業界誌記者・編集者を経てフリーの旅行ライターに。南仏中世と「三銃士」オタク。歴史とアートに軸を置きつつ、絵画、バレエ、音楽、物語、映画、漫画のロケ地・聖地巡り、海外旅行や小さなお散歩まで、様々な視点で旅を発信。「旅」は生活のなかにもあり。

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