旅の扉

  • 【連載コラム】トラベルライターの旅コラム
  • 2018年8月31日更新
よくばりな旅人
Writer & Editor:永田さち子

ライト建築の原点、シカゴに残る邸宅とスタジオへ 【連載】建築&アート、音楽と食を巡るシカゴの旅 Vol.4

仕事場として設計したスタジオ。高低差のある天井と木目を基調とした装飾、外光を取り入れるための高窓など、ライト建築のエッセンスが詰まっています。zoom
仕事場として設計したスタジオ。高低差のある天井と木目を基調とした装飾、外光を取り入れるための高窓など、ライト建築のエッセンスが詰まっています。
今回のシカゴの旅で、最も楽しみにしていたのが『フランク・ロイド・ライトの邸宅とスタジオ(Frank Lloyd Wright Home & Studio)』を訪ねるツアーです。ル・コルビジェらと並び“近代建築の巨匠”のひとりに数えられるライト。日本では愛知県の明治村に移築保存されている旧帝国ホテル正面玄関の設計で知られています。彼はここシカゴで、建築家としての活動をスタートしました。
1867年生まれのライトが生誕150年を迎えた昨年、日本国内で開かれた展示やワークショップに足を運んでいたのですが、その原点ともいえる場所を訪れる機会に、こんなに早く恵まれるとは思ってもいませんでした。

プレーリーハウス(草原の家)のスタイルが生まれた場所
ライトの邸宅とスタジオがあるのは、シカゴの中心部から車で30~40分走った郊外のオークパークという街。ユニークな高層建築が林立し、"摩天楼発祥の地"と呼ばれる中心部とは趣が異なる、閑静な高級住宅街です。
三角屋根と、左右にのびやかに広がりをみせる外観が、周囲の高級住宅街に溶け込んでいます。zoom
三角屋根と、左右にのびやかに広がりをみせる外観が、周囲の高級住宅街に溶け込んでいます。
ライトの設計の特徴は、左右対称にのびやかに広がる建築スタイルと、シンプルで落ち着いた色調。自然の景観との一体感があり、アメリカの草原に建つ家にふさわしいことから『プレーリーハウス(草原の家)』と呼ばれ、それまでヨーロッパ式の建築が主流だったアメリカの建築界に革新をもたらしました。
1889年~1909年までの約20年間、ライトはここで家族とともに暮らし、仕事場としても利用していました。家族のために建てた家の建築設計を何度も見直し、子どもたちの成長とライフスタイルの変化に合わせ変更と改築を重ねていったそうです。実際に生活をしながら、理想とする建築様式を完成させていった、いわば実験の場だったようです。
子どもの遊び部屋とし設計したプレイルーム。音楽好きだったライト一家の、演奏会の場でもあったそう。zoom
子どもの遊び部屋とし設計したプレイルーム。音楽好きだったライト一家の、演奏会の場でもあったそう。
あちこちにちりばめられた、日本建築の影響がおもしろい
ライトは日本の建築と美術に興味を持っていて、浮世絵のコレクターだったことでも知られています。1893年に開催されたシカゴ万博では、日本館建築の現場に何度も足を運んだそう。ちょうど、この邸宅とスタジオの増改築を繰り返していた時期と重なり、窓の装飾や照明のデザインに日本の障子や行灯の面影があるようにも見えます。偉大な建築家に影響を及ぼした日本の建築って、すごいと思いませんか。
上左/ダイニングテーブルや子ども用の椅子などの家具も自ら設計。上右/家族との暮らしのなかで自らのアイデアを形にした場所。下左/妻のために設計した寝室。下右/趣味で収集していた浮世絵や日本をはじめとするアジアの装飾品が置かれた書斎。zoom
上左/ダイニングテーブルや子ども用の椅子などの家具も自ら設計。上右/家族との暮らしのなかで自らのアイデアを形にした場所。下左/妻のために設計した寝室。下右/趣味で収集していた浮世絵や日本をはじめとするアジアの装飾品が置かれた書斎。
建物の設計だけでなく、ダイニングテール、椅子、外壁の装飾まで徹底的にこだわったこともライトの特徴。気が遠くなるほど細かい彫刻が施された部分には、妥協を許さない完ぺき主義者だった建築家の性格がよく表れています。
細長い廊下と高低差を巧みに利用し、室内をより開放的に見せるための動線、外光をふんだんに取り入れた高窓など、随所にライト建築のエッセンスが見えるなか、圧巻は邸宅に隣接して建てられたスタジオ。開放的な2階建ての建物には6人の弟子とともに、20人ほどの建築家や芸術家も出入りしていたそうです。いくつもの設計台と設計図を保管したキャビネットが並ぶ様子が、当時の繁栄ぶりを物語っています。
彫刻が施された外壁の柱は、古代ギリシャの神殿をイメージしたもの。ガイドツアーは英語のみですが、日本語の解説書が付きます。zoom
彫刻が施された外壁の柱は、古代ギリシャの神殿をイメージしたもの。ガイドツアーは英語のみですが、日本語の解説書が付きます。
ライトは1909年までここオークパークで暮らし、その後1年間ヨーロッパに滞在。帝国ホテル設計のため日本に事務所を開いたのは、1915年のこと。ホテルとの契約が解除される1922年まで、日本とアメリカを行き来し、日本でも帝国ホテル以外に学校や個人の住宅など、多くの建築の基本設計を手掛けました。世界的に名を知られた建築家でありながら、アメリカ以外で彼が直接設計を手掛けた建築物が残るのは、唯一日本だけというのは意外に思えます。

オークパークゆかりの、もう一人の偉大な人物とは?
オークパークにゆかりの深い人物がもう一人います。それは、作家のアーネスト・ヘミングウェイ。彼はこの街で生まれ、高校時代まで過ごしました。近くには生誕の家が公開されているほか、非公開ですが少年時代を過ごした住宅が残っています。
庭に影を落とす大イチョウ。樹齢120年を超え、ライト一家が引っ越してきたときからあったそうです。zoom
庭に影を落とす大イチョウ。樹齢120年を超え、ライト一家が引っ越してきたときからあったそうです。
ライト邸とスタジオツアーは所要約1時間で料金は$18、ネットから予約できます。アメリカ国内はもとより、世界中からも見学者が訪れる人気のツアーなので、予約をして訪れるほうが確実です。英語のみのツアーになりますが、詳しい日本語の解説書付き。また、オークパークにあるそのほかのライト設計の住宅を巡るウォーキングツアー(Historic Neighborhood Waking Tour)では、日本語のオーディオツアーも実施されています。

また、シカゴのライト邸&スタジオを訪れる前後に、ぜひとも訪ねてみたいのが日本に残るライト建築。一般公開されているのは、旧帝国ホテル正面玄関(愛知県犬山市・明治村)、自由学園明日館(東京・池袋)、ヨドコウ迎賓館(兵庫県芦屋市、2018年11月ごろまで改築のため閉館中)の3カ所。見比べてみるとライト建築の特徴とともに、彼がどれだけ日本びいきだったかもよくわかり、遠い国の偉大な建築家が少し身近な存在に思えてくるに違いありません。

●Frank Lloyd Wright Home & Studio Tour
flwright.org/visit/homeandstudio
●協力
シカゴ観光局
choosechicago.com/jp
ユナイテッド航空 
www.united.com
Writer & Editor:永田さち子
スキー雑誌の編集を経て、フリーに。旅、食、ライフスタイルをテーマとし、記事を執筆。著書に、「自然の仕事がわかる本」(山と溪谷社)、「よくばりハワイ」「デリシャスハワイ」(翔泳社)ほか。最近は、旅先でランニングを楽しむ、“旅ラン”に夢中!
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