旅の扉

  • 【連載コラム】***独善的極上旅日記***
  • 2018年1月24日更新
フリージャーナリスト:横井弘海

クリスタルな輝き ウィーンの冬(第三回)

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見た目の美しさも大事なウィーンのチョコレート

ウィーンのお菓子は5感で味わう

私の知っている限り、オーストリア女性もオーストリア人に嫁いだ日本人の友人にしても、仕事をしているかしていないかにかかわらず、料理もお菓子もよく自分で作ります。さらに、甘いものをよく食べるなぁと感心しきり。
今回、訪れた友人宅で隣にいらした年配の女性が話すところによると、「コーヒータイムに出てくるクッキーばかりでなく、ケーキだって自分で焼く」とのこと。でも、町のあちこちに美味しそうなケーキやお菓子が売られているし、そのどこも流行っていそうなところを見ると、地元の皆様は自分で作り、店でも買うということでしょうか。
とにかく、ウィーンには甘いものがたくさんあって、「太るかも」という不安さえ頭をもたげなければ最高に幸せ!甘いもの好きにはたまらない街です。

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開店前の静けさ ホテル・ザッハ―のカフェ

ザッハトルテと行列

 ウィーン1区ウィーン国立歌劇場の脇に立つ歴史あるホテル・ザッハーは、世界的に有名なウィーンを代表するチョコレートケーキ「ザッハ・トルテ」ゆかりのホテルです。チョコレート味のスポンジに杏のジャムをはさみ、外側も塗り、さらに少しザラっとした口当たりのチョコレート・グラズール(糖衣)をかけたケーキです。ウィーンに来たら、「絶対に一度は食べなければ」と思います。ケーキについてくる甘味のないホイップクリームを一緒にほおばると、チョコレートの甘さとクリームの新鮮な乳脂肪分の混じり合い、なんとも絶妙な味わいです。
そんなケーキ目当てなのか、ホテルのカフェは、いつ行っても店の前の行列の途切れることがありません。生まれて初めてウィーンを訪れた時には、「どんなに並んでもぜひ食べたい」と思い、コーヒーとザッハトルテをいただきながら「これぞウィーン!」と浸った記憶があります。今やこのザッハトルテは空港の売店でも販売されており、お土産に日本に持って帰ることもできるようになりました。でも、椅子の赤色の生地や可愛い衣装のウェイトレスが歴史を感じさせるカフェでいただくザッハトルテは、なぜか一味も二味も違うのです。

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数あるケーキの中でもザッハトルテはデーメルの別格

トルテ戦争

 ところで、日本でも有名な王室御用達菓子店デーメルもザッハトルテゆかりの店として知られています。何故2店舗か?
かつて、このウィーンを代表する2店の間で「トルテ戦争」が起きました。「ザッハトルテ」が誕生したのは1832年。「会議は踊る、されど進まず」のウィーン会議を主宰した外相クレメンス・フォン・メッテルニヒという名前を覚えていますか?後年、彼はオーストリア帝国の宰相となります。ある時、彼が賓客を招いた席で披露されたデザートが「ザッハトルテ」でした。創作したのは若干16歳。シェフの急病により代役に立った見習いのフランツ・ザッハーでした。
 時は経ち、フランツ・ザッハ―の二男、エドゥアルド・ザッハーは、かのデーメルでケーキ職人として修業をし、父の考案したザッハトルテを今日の形にして、デーメルで販売しました。その後、彼はホテル・ザッハーを継ぎ、今度はホテルでそのザッハトルテを売ったのです。残念なことに、エドゥアルド亡き後、ホテルは行き詰まり、デーメルが資金提供を申し出ます。その時、エドゥアルドの子供が、代わりにザッハトルテの販売権を譲渡したことで、その後、オリジナル商標を巡って、長い間、裁判で争いが続きました。
 1963年に示談成立。ホテル・ザッハーは"die Original Sacher-Torte"と「オリジナル」を譲らず、デーメルは" Eduard Sacher Torte "(エドゥアルドのザッハトルテ)と名乗って、共存することになったとか。
 門外漢としては、2つのザッハトルテを食べ比べする楽しみが増えて、うれしい限りです。ケーキがあまりに美味しく有名になったばかりに、こんなことも起こるのですね。

スノーボールの中にツリーを入れたディスプレイzoom
スノーボールの中にツリーを入れたディスプレイ

魅せるデーメル
 
ホテル・ザッハーがオリジナル・ザッハトルテを空港で販売するならば、本格的なカフェを作ってエドゥアルドのザッハトルテを提供しようと思ったかどうかはわかりませんが、デーメルはウィーン国際空港のCゲートの搭乗口そばに店を構えています。初めて店を見つけた時は狂喜乱舞。以来、機会があると、搭乗時間よりずっと早く行って、お土産を買ったり、「ウィーンを離れる名残惜しさ」と言いつつ、またケーキを食べてしまいます。
 ウィーンを代表するお菓子屋さんのデーメル。フランス菓子の華やかさとは異なりますが、あのシシーこと皇妃 エリザベートもファンだったという本物の菓子というイメージがあります。コールマルクト通りに面した店も常に混雑しています。ザッハトルテだけでなく、さまざまなケーキ、チョコレートやクッキーが販売されています。カフェも併設。
この店のアプフェル・シュトゥルーデル、つまりアップルパイは、思い出しただけで唾が出てくるほど、私はファンです。同じリンゴ、同じ小麦粉を使っているはずなのに、サクサクしたパイの食感やリンゴの甘酸っぱさは、日本でお目にかかることができません。違いはどこにあるのだろうかと、真剣に思います。
 そして、可愛いショーウィンドウも注目の的です。訪れた日は寒い季節にぴったりのスノーボールの飾りが人目を引いていました。そういえば、スノーボールは1900年、オーストリア人のErwin Perzy氏が発明したものだったのですね。そんなことを意識した飾りだったのかは不明ですが。話は飛びますが、今でもPerzy社は健在です。

フレンドリーなビアンカ先生zoom
フレンドリーなビアンカ先生

ウィーン・マダムの料理教室

旅行をしても、現地の方々の生活に触れる機会はなかなかありません。大都市であれば、知り合いでもないのに個人宅へお邪魔することはもっと難しい。
そんななか、旅行者でも参加できる料理教室を主宰するビアンカさん宅にお邪魔する機会がありました。「ウィーンの住宅ってどんな感じかな」と物見遊山で、地下鉄で最寄り駅まで行きました。住所をたどって、程なくお目当てのアパートに到着。ドアにリースをかけた部屋の一室の入口で靴とコートを脱ぎ、通路を奥へ。つきあたりに10人掛けのテーブルがあり、その脇にキッチンがありました。さすが料理研究家のキッチンはアイランド型で見るからに機能的です。
ビアンカさんは夫と二人暮らしの多彩な女性です。シェフ、エコノミスト、気候変動の研究などさまざまな顔をもち、また、世界各地を旅行した後、2015年にフードエンターテイメントの会社を立ち上げ、料理教室などを始めました。海外旅行中、どんな経験ができたら楽しいかを経験でご存知だからこそ、外国人向けにも英語で教室を開いているのかもしれません。
「自宅に知らない方々をお呼びして料理教室をしていることを知って、実は友人たちは驚きますが、私は楽しいです」と笑顔で話しながら、生徒にワインをすすめるビアンカさん。ひとしきりオーストリアのワインを楽しんだ後、私たちがビアンカさんを囲み、リラックスした雰囲気の中で料理のプロセスを理解していきました。

不揃いのバニラキプフェルですが、味は美味!zoom
不揃いのバニラキプフェルですが、味は美味!

ウィーンの定番クッキーに挑戦!

ウィーンに住む友人が毎年のように、年明けにお手製のクッキーを郵送してくれます。10センチ×15センチ×10センチくらいの缶に、10種類以上の形と異なる味のクッキーがぎゅうぎゅうに詰まっています。ひとつひとつは小さく、それぞれに粉砂糖がまぶしてあり、サクサク、しっとりした歯ごたえ。缶の中から一つずつ選ぶのも楽しい素敵なプレゼントです。
彼女は11月からクッキーを焼き始めると言いますが、日本の友人にまで送っているとしたら、いったいどれだけの量を作るのでしょう。オーストリアでは、アドベントからクリスマス、大晦日、1月6日の3人の王様の日などファミリーの集まりと社交尽くしの日々が続くようですが、そんなごちそうの合間に、皆さん、このクリスマスクッキーをポリポリつまむようです。
今回、冬にウィーンを訪れて、そのクッキーがとても伝統的なクリスマスクッキーだったことを知りました。
ビアンカさんの料理教室でも、何種類かのクッキーの作り方を教わりました。その中に「バニラキプフェル」と呼ばれる三日月形のクッキーも入っていました。菓子店でもよく見る最も有名なクッキーです。作り方はシンプルで、バター、アーモンド、砂糖、卵黄と小麦粉で作ったドウを小さな三日月形に成形して、オーブンできつね色に焼き、焼きあがったら、熱いうちに粉砂糖とバニラシュガーを入れた容器に入れて良くまぶして出来上がり。
「小さく作るのがポイントです」とビアンカさん。小さいほうがカロリーが少ないからでしょうか? ドウを小さく三日月形に作るのは意外に難しく、一緒に行った知人たちと「私が上手い!」「いや、それは下手!」などと楽しい会話が弾みました。
クリスマスクッキーには各家庭にレシピがあるそうです。ウィーンでは母から娘へ、こんな風に楽しみながら伝統が受け継がれているのかもしれません。

参考情報:
Bianca is(s)t
Dr.Bianca Gusenbauer
contact@biancaisst.com
https://www.cookinvienna.com/cooking-classes

フリージャーナリスト:横井弘海
元テレビ東京アナウンサー。各国駐日大使を番組や雑誌でインタビューする毎に、自分の目で世界を見たいという思いが強くなり、訪問国は現在70カ国超。著書に「大使夫人」(朝日新聞社刊)。国内旅行は「一食一風呂入魂!」。美味しいモノと温泉を追いかけて、旅をしています。
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