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ディルマの2代目を担う、息子ディルハン
スリランカで紅茶栽培が発展したのは、19世紀のこと。気候風土が茶葉の栽培に適したというだけでなく、高地から低地まで起伏に富んだスリランカの地形により、バリエーションに富んだ茶葉、世界でも有数の紅茶生産国になりました。
しかし、その当時、収穫された茶葉は、ほとんどが船便で遠くヨーロッパまで運ばれ、すっかり時間がたってから、インドや中国の茶葉とブレンドされ、ヨーロッパのメーカーの名を冠したパッケージで販売されていたのです。
後にディルマの創業者となるメリル・J・フェルナンドが生まれたのは、そんな流れが常識だった1930年のこと。早くから紅茶の魅力にとりつかれたメリルは、20歳のときにロンドンに渡り、スリランカで初めてのティーマイスターの資格を得ました。スリランカに戻った後は、イギリス資本の紅茶会社の社員として、スリランカの茶葉の輸出業に従事。彼の活躍は、セイロンティーの名を世に広めることに大きく貢献しました。しかし、メリルは、若かりしころ抱いた夢を忘れていませんでした。
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ディルハンの兄、マリクも紅茶文化を広めるべく活躍中
メリルがやりたかったこと、それは、自分たちで育てた茶葉のみを使った、新鮮な紅茶を人々の手に届けることだったのです。
メリルはスリランカで初めて、ティーバッグの製造機を導入し、自社の農園で摘み取られたばかりの新鮮な茶葉を用いた、オリジナルブランドを立ち上げました。メリルは2人の息子のディルハンと、マリクがいましたが、3人目の息子のように大切に育てたいという思いから、その二人の名前をとって、ブランドの名前を「Dilmah ディルマ」と名付けました。しかし道のりは平易ではありません。それまで茶葉を買い付けてきたヨーロッパ大手の企業から様々な反発に遭ったといいます。
最初にディルマの製品が受け入れられたのはオーストラリアでした。1988年のことです。それから、26年。現在ディルマは、世界90ヵ国で愛飲されるメーカーへと発展しましたのです。
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