zoom 東海道新幹線を利用した観光誘致キャンペーンとしてすっかり定着しているのが、JR東海が1993年から展開している「そうだ 京都、行こう。」だ。
2026年8月に東海道新幹線を京都駅で降りると、駅前のバスターミナルで京都市バス206号系統「祇園・北大路バスターミナル行き」の到着を待つ行列に加わった。ここから三十三間堂や清水寺といった古刹に向かうのであれば、「そうだ 京都、行こう。」のキャッチコピー通りの行動パターンと言えよう。
しかしながら、本日の目的地は入り口でドアマンが自動車の扉を開けてくれるので、猛暑の中で路線バスの行列に加わる来訪者は珍しい。老舗が軒を連ねる京都にあって、今回の目的地が誕生したのはわずか半年前のことだ。にもかかわらず、産声を上げたときに名所になることが運命づけられた深遠な歴史と風格をまとっていた。
バスを東山安井停留所で降り、5分ほど歩いた時だった。人通りが多い「花見小路」に面した門柱の看板に目的地の名が記されていた。
zoom ▽玄関に樹齢千年の一枚板
訪れたのは、祇園の花街に2026年3月5日開業した「帝国ホテル 京都」(京都市東山区)だ。旧「弥栄(やさか)会館」を保存・改築した「本棟」と、増築した「北棟」で構成されている。広さが50平方メートル以上ある客室を55室備えている。
旧弥栄会館は1936年に完成し、演劇やコンサートなどの興行に利用されていた。国の登録有形文化財で、改修後も継続登録された。敷地内は祇園甲部歌舞練場があり、春になると芸妓さんや舞妓さんが舞う京都の風物詩「都をどり」の舞台となる。
玄関に掲げられたケヤキの一枚板は、螺鈿(らでん)細工で施した帝国ホテルのシンボルマークが中央に鎮座し、その下に「IMPERIAL HOTEL KYOTO」と記されている。ホテルのスタッフに「この一枚板は、奈良県の白馬寺と水分(みくまり)神社の修験道にあった樹齢およそ千年のケヤキから取られました」と教えられ、恐れ入った。
だが、この一枚板はホテルの「深遠な歴史と風格」を物語る1ページに過ぎない。それをじっくりと説明してくださったのは、玄関の奥にある宿泊者ラウンジで再会した「帝国ホテル京都のことを語らせたら右に出る者はいない」(帝国ホテル関係者)というエキスパートだ。
zoom ▽「無借金で造られた」前身施設
エキスパートとは、京都市出身の帝国ホテルアドバイザーの大脇善夫さんだ。1996年3月に開業した帝国ホテル大阪で総支配人室長として立ち上げに尽力し、帝国ホテル事業開発部長や帝国ホテルエンタープライズ社長などの重職を歴任。私も四半世紀前から存じ上げており、博覧強記ぶりにいつも圧倒されっぱなしだ。
出身地である京都市に帝国ホテルが進出することを検討し始めた15年以上前[山田1.1]から、候補地探しや開業準備に粉骨砕身携わってきた。そんな大脇さんがまず強調したのが、弥栄会館を継承したことの重みだった。
大脇さんは「祇園のお茶屋『京屋』女将のてる子さんがお母様から聞いた話を教えてくださったのですが、弥栄会館を建てるために祇園のお茶屋さん、舞妓さん、芸妓さんがそれぞれお花代から1円貯金して建設費用を工面したため、これだけ立派な建物を無借金で造ることができたそうです」と明かす。
それだけに「自分たちが建てた」と自負されて花街で大切にされてきた弥栄会館だが、“寄る年波”には勝てなかった。
zoom ▽他のホテルは丸ごと建て替えを提案
2014年に耐震性不足が確認されたのだ。そこで17年から一部を改修・耐震補強したものの、サステナブル(持続可能)な形で残す方法としてホテルに再生するアイデアが浮上した。
進出を希望するホテルの入札が執り行われたが、「国内外の有名ホテルが軒並み参加した中で、弥栄会館を保存・改築するプランを提案したのは帝国ホテルだけでした。他のホテルは全部建て替える案だった」と大脇さんは明かす。関係筋によると、それらには弥栄会館および隣接する祇園甲部歌舞練場を取り壊し、全て新しい建物とする案も含まれていた。
そこには納得できる理由があった。高さが31・5メートルある弥栄会館は老朽化しており、建物をそのまま使うのは難しい。しかも弥栄会館が立地する「祇園町南側地区」は木造茶屋様式の町家などが並んだ歴史的景観保全修景地区に指定されており、新築する場合には京都市の条例で高さ12メートル以下に制限される。
よって、弥栄会館および隣接する祇園甲部歌舞練場を取り壊せば、ホテルと祇園甲部歌舞練場、歌舞練場に入居する劇場を設けるだけの広さを捻出できると判断したのだ。
zoom ▽タイルを一枚一枚慎重に取り外した理由
これに対し、帝国ホテルは31・5メートルの高さを維持するため、人通りが多い「花見小路」方面から見える建物の南面と西面の外壁、およびくたいの一部を「L字」形に残す保存・改築を提案。建築物として優れた意匠を保存する取り組みが[山田2.1]評価され、特例が認められた。
もともとは5階建て地下1階だった弥栄会館は、7階建て地下2階の「帝国ホテル 京都」の本棟に生まれ変わった。北棟は新築したため、高さは制限の12メートル以下に抑えられた。
総工費は約124億円に上り、工期は4年以上と「通常の新築工事の倍以上かかりました」(大脇さん)という難工事になった。
そんな苦心の跡は、90年前に建てられた弥栄会館の外壁に貼り付けられていたタイルの取り扱いにも現れている。風雨にさらされてもろくなったタイルを傷つけないように一枚一枚慎重に取り外し、できるだけ再利用する「生け捕り」という方法を採用したのだ。
全体の1割程度、約1万6千枚のタイルの「生け捕り」に成功し、保存した南面と西面の外壁の一部に活用。90年前に建てられた時のタイルと、新たに作り直したタイルが共存する温故知新の建物に生まれ変わった。
zoom ▽テラコッタが結びつける縁
「帝国ホテル 京都」本棟の外壁でタイルとともに特徴的なのが、陶製の装飾(テラコッタ)だ。弥栄会館の5階の外壁に取り付けられていたテラコッタの大部分を再利用し、状態の悪いものは3Dスキャンで型を取って忠実に復元した。
大脇さんは「弥栄会館の記録を見返して判明したのが、帝国ホテルをつなぐ縁でした」と解説する。弥栄会館のテラコッタを造ったのは愛知県常滑市の伊奈製陶(現・LIXIL)だった。
一方、アメリカ人建築家の故フランク・ロイド・ライト氏が手がけた東京・日比谷の帝国ホテル2代目本館(ライト館)で使われていたレンガとテラコッタも同じ常滑市で製造されており「ライト館のレンガとテラコッタの製造に関わった職人の多くが、弥栄会館のテラコッタも手掛けていました」(大脇さん)。
場所と時空の隔たりを超越するかのように「帝国ホテル 京都」の1階には、帝国ホテル2代目本館のテラコッタレリーフを置き換えた鋳物を装飾した柱があった。
宿泊者ラウンジの国産のケヤキで作られたソファーに腰かけ、大脇さんの興味深いに耳を傾けるのと平行して、スタッフがタブレット型端末を操作してチェックインの手続きも進めてくれた。通常のホテルならばフロントカウンターに足を運ぶが、「帝国ホテル 京都」ではソファーでお茶と和菓子を味わっているうちに準備が整っていく。
松と竹をデザインしたふすま絵をバックにしたフロントカウンターのような一角はあるものの、スタッフが「あちらはコンシェルジュデスクです」と説明してくれた。
そのとき、「帝国ホテル 京都」を語るのに欠かせないもう1人のキーパーソンが登場した―。
(シリーズ「こだわりの宿へ新幹線で!」【下】に続く。連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)