zoom 山形県庄内地方の最大都市・鶴岡市の玄関口であるJR羽越線鶴岡駅に降り立つと、赤いシンボルマークの脇に「食文化創造都市 鶴岡」と大きく記された看板が目に入った。鶴岡市は、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の「創造都市ネットワーク」食文化部門に日本で初めて2014年に認定された文字通りの「美食都市」なのだ。
「この冬で最強最長」と警戒された寒波が襲来していた2026年1月24日、そんな高度な食文化が根付いた鶴岡市の「アル(或る)」有名レストランへ向かった。ただし、「タクシーで直行」というのは許されない。なぜならば―。
zoom ▽食材の宝庫
ユネスコの創造都市ネットワークは、創造性や文化を核とした都市間の国際的な連携・相互交流の促進を通じ、世界のサステイナブル(持続可能)な発展に貢献することを目的として2004年に創設された。国内の食文化部門認定都市は、他に21年に加わった大分県臼杵市だけだ。
鶴岡市がある庄内地方は日本屈指のコメどころとなっており、「つや姫」と「雪若丸」、「はえぬき」というブランド米が栽培されている。山形県内では豊富な種類の野菜が育ち、洋なしの一種「ラ・フランス」の国内生産量に占めるシェアは約8割に達するなど果実栽培も盛んだ。日本海の新鮮な魚介類も手に入る。まさに食材の宝庫だ。
そんな恵まれた環境を追い風にしたユネスコ創造都市ネットワーク認定について、鶴岡市は「市民がこれまで大切に守り育ててきた食文化だけでなく、食の多様性・持続性を高める鶴岡市のこれまでの活動が、国際協力と経済成長への貢献や、持続可能な都市づくりにつながり得ると評価されたと考えている」と説明する。
「食文化創造都市」を掲げる鶴岡市だけに、魅力的な飲食店がひしめいている。それらの中でも代表的なレストランで、来店目的で鶴岡市へ足を運ぶ人も絶えないのがイタリア料理店「アル・ケッチァーノ」だ。エア・カナダの伊藤正彰・日本支社長(山形県大江町出身)は「香港の同僚が(主人公が山形県出身という設定の)NHK連続テレビ小説『おしん』の大ファンで、一行をレンタカーで県内を案内した。『おしん』に登場する最上川を沿って走り、(スタジオジブリのアニメ映画『千と千尋の神隠し』のモデル地とされる)銀山温泉へ行き、アル・ケッチァーノで食事をした。一行はとても喜び、満足していた」と振り返る。
私も1月23日の山形新聞社の庄内県勢懇話会に呼んでいただき、翌日まで延泊した大きな目的はここにある。食通の方々から「良かった」と聞いていたアル・ケッチァーノの訪問だった。
zoom ▽移動手段の理由は
アル・ケッチァーノの店名はイタリア語のような響きだが、庄内地方の方言の庄内弁で「(ここに全部)あるけっちゃのぉ(=あるんだよ)」という意味だ。一方で「歩けっちゃうの」にも聞こえるので、心に決めた。移動手段は「歩き」だ。
ただし、アル・ケッチァーノは鶴岡市の郊外にあり、グーグルマップによると宿泊した「ショウナイホテル スイデンテラス」からの徒歩時間は約1時間20分だ。雪が舞い、除雪が道半ばの道を、雪をかき分けながら進むのはさすがにしんどい。スイデンテラスのチェックアウト時刻の午前10時から、アル・ケッチァーノの予約時刻の午後1時半まで3時間半もある。
そこで、庄内交通の路線バスに乗り、庄内観光物産館に立ち寄って日本酒などの土産を買ってからアル・ケッチァーノへ向かうことにした。ところが、スイデンテラスから庄内観光物産館へ向かうには、山形大学農学部に隣接した農学部前停留所が最寄りだ。停留所まで徒歩で約25分を要した。
そこからトヨタ自動車の「ハイエース」を白色と黄色で塗った「鶴岡市内循環バス」の「Bコース」に乗車。庄内観光物産館からアル・ケッチァーノの近くへ直行するバスはないため、湯野浜温泉発エスモールバスターミナル行きバスで中心部にある鶴岡市役所前停留所で下車。近くの市役所東停留所から循環バスの「Aコース」に乗り換える計画を立てた。
ところが、エスモールバスターミナル行きバスが定刻になっても来ないのだ。
zoom ▽二つの可能性に賭ける
そこで、庄内交通の路線バスの運行位置が分かる「バスロケーションシステム」をスマートフォンで確認した。お目当てのバスは近づいていたが、道路渋滞に巻き込まれて8分遅延していた。
道路渋滞で遅れてしまうのはバスの宿命だが、困ったのは乗り継ぎだ。このままの遅れだと、鶴岡市役所前停留所に着いた時には循環バスが通過済みの時刻になる。
あたふたしていると、車体を赤一色で塗ったいすゞ自動車の中型バス「エルガミオ」が姿を見せた。とりあえず乗り込み、二つの可能性に賭けた。一つは鶴岡市役所前までの道のりで遅れを取り戻す“回復運転”と、もう一つは乗り換える循環バスも遅れているという可能性だ。
しかし、バスが通る大山街道は結構混んでいた。遅れは回復することがなく、バスロケーションシステムを見ると、循環バスは市役所東を通過済みだった。次のバスは1時間後で、それを待っていたら予約時刻に間に合わなくなる。
さいは投げられた。「歩けっちゃうの」と自分に呪文をかけ、スマホでグーグルマップをにらみながら3キロ弱の雪道を歩くことにしたのだ。
商業地を抜けて住宅地を通った後、田畑が埋もれているであろう雪原を貫く県道を進むと国道112号との交差点が視界に入った。その脇に「アル・ケッチァーノ」と縦書きした看板があった。
看板を一瞥すると、カーナビの音声をまねて「目的地に到着しました。お疲れ様でした」と独りごちた。
zoom ▽「コスパ高!」の中身とは
予約していたのはアル・ケッチァーノの5500円のスタンダードコースで、感想は「コスパ高!」の一言に尽きる。コストパフォーマンスが半端なく高いのだ。
最初に出てきたカルパッチョは一見するとキャビアが載っているように見えたが、店員によると「トンブリです」ということだった。トンブリとは、ホウキ草の成熟果実を加工したものだという。
歩き疲れて早速とんちんかんなことを言ってしまったかと恥じたが、「『畑のキャビア』とも呼ばれていて、見た目が似ていますよね」とフォローしていただいた。
パスタは八つの中から選ぶことができ、迷うことなく白羽の矢を立てたのが「白子のフェデリーニ」(300円追加)。鶴岡市の日本料理店でいただいた白子が美味だったためで、スパゲティとの組み合わせも絶品だった。上に載せられた山形県米沢市産の雪菜(ユキナ)も良い歯ごたえだ。店員は「白子と、スパゲティをゆでるのに使う塩であの味を出しているんですよ」と教えてくれた。
アル・ケッチァーノはオリジナル日本酒を提供しており、鯉川酒造(山形県庄内町)の純米吟醸「水酒蘭」(800円)を選択。口当たりがよく、イタリアンともよく調和する。
続いてはシェフが料理「タラとじゃがいも」を盛り付けてくださった。ジャガイモはほどよい甘みのある滋味で、タラを見事に引き立てる。
クライマックスは「国産黒毛和牛のロースト」で、「この一皿だけでもコース料金の元を取れるのではないか」と驚かされる美味だ。それなのに山形県特産のラ・フランスとシャーベットのデザートも饗されるのだから、コースの評価は百点満点だ。
zoom ▽「最近、奥田シェフは?」の返答は…
さて、アル・ケッチァーノの奥田政行シェフと親交のある方からは「奥田さんは飛び回って忙しいので、店のことは任せているようだ」と聞いていた。気になったので、会計で店員にクレジットカードを渡すのと同じタイミングで「奥田シェフはご多忙のようですが、最近はこちらにいらっしゃいましたか?」と尋ねた。店員は一瞬きょとんとした表情を浮かべると、こう明かした。
「先ほどお料理を盛り付けたのがシェフですよ」
トンブリをキャビアと見間違えたのとは比較にならないほどの、とぼけた質問だった。私は「タラとじゃがいも」を盛り付けてくださったのがアル・ケッチァーノの専属シェフだと勘違いし、隣のテーブルで食材購入の商談している様子を垣間見て「奥田シェフに全幅の信頼を置かれているシェフなのだな」と勘違いしていた。
改めて奥田シェフにごあいさつし、「国産黒毛和牛の料理だけでもコース料金の価値があり、全体では2倍しても不思議はないと思いました」と申し上げた。すると、「うちは牛を一頭買いしているから、この値段で出せているのです。そうでなければ確かに2倍するでしょうね」と言われた。
奥田シェフがいたのは冬の比較的空いているタイミングのためで、やはりあちこちを駆け回る日々だという。私が1週間前に予約を取れたのも「冬だからで、ゴールデンウイーク以降は予約が早いうちに埋まります」(店員)とか。
大雪でJR陸羽西線が終日運休し、路線バスの乗り継ぎではもくろみが外れ、移動では雪道をかき分けながら歩くなど不測の事態にも見舞われた今回の旅行。ただ、厳しい冬ゆえに名物ホテルも、有名レストランも1週間前でも予約ができた。しかも「この冬の最強最長」と警戒された中で豪雪地帯へ赴いたことは、忘れ得ぬ貴重な思い出となった。
ぬかるみに足をすくわれそうになった庄内・雪街道は、「これで良かった」と満足感の行くフィナーレを迎えた。
(庄内・雪街道【完】)
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)
