旅の扉

  • 【連載コラム】こだわり×オタク心
  • 2023年12月15日更新
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コラムニスト:Tomoko Nishio

英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2023/24、地球の未来に思いを馳せるシーズン開幕作『ラインの黄金』

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ロンドンのコヴェントガーデンに立つ舞台芸術の殿堂、英国ロイヤル・オペラ・ハウス(ROH)。「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2023/24」はROHで上演されるオペラ&バレエを世界中の映画館でライブ中継あるいは配信上映するもので、ファンにとってはありがたく、あるいは興味はあるが今一歩踏み込めないという人などにはチャレンジの機会となっている。

世界的にもすっかり定着した英国ロイヤル・オペラ・ハウスシネマシーズン2023/24は、今シーズンはオペラ&バレエそれぞれ4作品、計8作品の上映が予定されている(https://tohotowa.co.jp/roh/)。その開幕トップを飾るのがオペラ『ラインの黄金』だ。楽劇王と称されたリヒャルト・ワーグナー1854年初演の作品が、現代の芸術家の手により神話世界のモチーフはそのままに、地球の未来へ思いを馳せる大作として命を吹き込まれている。

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■ノイシュヴァンシュタイン城の王ルードヴィッヒ2世も魅了したワーグナーの楽劇

『ラインの黄金』はワーグナーが26年の歳月をかけてつくりあげた大作『ニーベルングの指環』————通称『指環』は全4部作の「序夜」にあたる、いわば導入部分で、その後第一夜『ワルキューレ』、第二夜『ジークフリート』、第三夜『神々の黄昏』と続く。ドイツのバイエルン地方の街、バイロイトで毎夏開かれる「バイロイト音楽祭」の名を耳にしたことがある人もいると思うが、この音楽祭はワーグナー自身がこの『指環』を上演するために創設したものが発端となっている。この音楽祭の会場となるバイロイト祝祭劇場は時のバイエルン王ルードヴィッヒ2世の後援を得て建てられたもの。ルードヴィッヒ2世といえば、バイエルン屈指の観光名所であるノイシュヴァンシュタイン城を建てた人物で、王自身がワーグナーのオペラが紡ぐ世界観に心酔していたことから、城には『タンホイザー』『ローエングリン』などワーグナーのオペラのモチーフが取り入れられている。この「ワーグナー、ルードヴィッヒ2世、ノイシュヴァンシュタイン城」についてはそれだけで紙幅の尽きない話題なのでこの辺りで止めておく。ここでは『ラインの黄金』を含む『ニーベルングの指環』にワーグナーがどれほどの思い入れ、生涯を注いだか、また時の王をも魅了した名作であるかをご理解いただければと思う。
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バイロイト祝祭劇場
■その味わいはSDGsオペラ。82歳の大地の女神、体当たりの演者にも注目

さて、『指環』の台本はドイツの叙事詩『ニーベルンゲンの歌』や北欧神話などを題材として、ワーグナー自身が手がけたものだが、発表当時から19世紀の社会性・現代性が反映されたといわれ、一種の俗っぽさも含んでいるのも面白く、わかりやすいところだ。

あらすじはこうだ。
〈ラインの黄金〉を守るライン河の乙女たちのもとにニーベルング族の小人アルベリヒが現れるが、乙女たちに拒絶され、アルベリヒは腹いせにラインの黄金を奪う。実はこの黄金は「愛を諦めた男のみがラインの黄金から作った指環で世界を支配できる」という、いわくつきのものであった。
一方、ヴォータンは巨人族を体よく使いヴァルハラ城を建設させるが、その報酬が払えずにいる。怒った巨人は豊穣の女神フライアを連れ去ってしまうため、神々は急速に老い、力を失う。そこでヴォータンは火の神ローゲの入れ知恵で地底に住むアルベリヒをだまして指環を奪うが、「呪いの指輪を手放せ」という大地と知恵の神エルダの助言を受け入れ指環を手放し、完成した城に入場していく————。
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この物語を、オーストラリアの演出家バリー・コスキーは資源が搾取される地球を舞台とし、人間の欲の物語に読み替えた。枯れたトネリコが放置される舞台を終始、「46億年を歩いている(コスキー)」という、大地と知恵の女神エルダがさまよう。齢80歳超の役者が演じる老エルダの姿は、資源という資源を吸い取られ、枯渇し続ける大地の象徴のようだ。ヴォータンと、事の発端であるニーベルング族のアルベリヒはともにスキンヘッドの双生児のようないでたちで、城を建てた巨人族の兄弟は、土建系チンピラを思わせる。古典でありながら現代作、現代でいうならSDGsオペラ?といった世界が展開されているのだ。そもそもこの『ラインの黄金』が発表された1854年は、産業革命など社会の近代化や欧州各地で起こった市民革命、民族の自立が叫ばれた時代で、ワーグナー自身もドレスデン五月蜂起(1849年)に加わった結果、スイスへの亡命を余儀なくされていることも思うと、作品の持つ現代性も頷ける話。そして「作品の持つ力」「永遠性」に改めて感服するのである。
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また、伝統を重んじる英国ではあるが、芸術においては時にとても革新的。「攻め」の演出に徹したこの本作品に、歌手たる「演者」らが文字通り体当たりで挑んでいる点にもぜひ注目していただきたい。ヴォーダン役のモルトマンとアルベリヒ役のパーヴェスの存在感は物語のゆるぎない土台を感じさせ、ローゲ役パニッカーの軽快さとしたたかさは、続く4作目まで燃え続ける炎を思わせる。先に述べた老エルダ、そしてクライマックスで彼女の「声」を歌う歌手のエルダにはスクリーンを通して大きな拍手を送りたくなる思いだ。
ROHではこの『ラインの黄金』を皮切りに、4年をかけて『指環』4部作を毎年上演していくという。4部作全編もさることながら、この最初の1作だけでも、現代の英国芸術、あるいはバイロイト、バイエルンに伝わるワーグナーのDNAを感じるには十分な力がある作品だ。ぜひこの機会にご覧いただきたい。
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英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2023/24
ラインの黄金(全一幕)


■上映:2023年12月15日(金)~21日(木)
 TOHOシネマズ日本橋 ほか1週間限定公開


■音楽・台本:リヒャルト・ワーグナー
■指揮:アントニオ・パッパーノ
■演出:バリー・コスキー
■美術:ルーフス・デイドヴィスス
■衣装:ヴィクトリア・ベーア
■照明:アレッサンドロ・カルレッティ
■演奏:ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団


■キャスト
ヴォータン:クリストファー・モルトマン
アルベリヒ:クリストファー・パーヴェス
ローゲ:ショーン・パニッカー
フリッカ:マリーナ・プルデンスカヤ
フライア:キアンドラ・ハワース
エルダ(声):ウィープケ・レームクール
ドンナー:コスタス・スモリギナス
フロー:ロドリック・ディクソン
ミーメ:ブレントン・ライアン
ファーゾルト:インスン・シム
ファーフナー:ソロマン・ハワード
ヴォークリンデ:カタリナ・コンラディ
ヴェルグンデ:ニアフ・オサリバン
フロスヒルデ:マーヴィック・モンレアル
エルダ(俳優):ローズ・ノックス=ピーブルス


公式サイト
https://tohotowa.co.jp/roh/movie/?n=das_rheingold2023
コラムニスト:Tomoko Nishio
旅行業界・旅&芸術文化ライター、動物好き。旅行業界誌記者・編集者を経てフリーの旅行ライターに。南仏中世と「三銃士」オタク。歴史とアートに軸を置きつつ、絵画、バレエ、音楽、物語、映画、漫画のロケ地・聖地巡り、海外旅行や小さなお散歩まで、様々な視点で旅を発信。「旅」は生活のなかにもあり。

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