旅の扉

  • 【連載コラム】こだわり×オタク心
  • 2023年9月23日更新
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コラムニスト:Tomoko Nishio

ボスやブリューゲルの世界!魔物が跋扈するヴェルディの傑作オペラ「イル・トロヴァトーレ」

©Monika Rittershauszoom
©Monika Rittershaus
映画館で世界クラスのバレエやオペラが楽しめる「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2022/23」。シーズンラストを飾る作品はイタリアの巨匠、ヴェルディの中期三大傑作のひとつ「イル・トロヴァトーレ」だ。今作はウェールズ出身の新進気鋭の演出家、アデル・トーマスによる新制作版。物語の舞台となった15世紀、中世スペインとほぼ同時代の画家であるヒエロニムス・ボス、その次の世代のブリューゲルの世界観をベースに綴られた話題作でもある。



【あらすじ】
時代は15世紀のスペイン。ルーナ伯爵の統治領地内で一人のロマ(ジプシー)の女が火あぶりにされた。その娘であるアズチェーナは報復のため伯爵の息子を殺そうとするが、誤って自分の息子を手にかけてしまう。そこでアズチェーナはルーナ伯爵の双子の息子の一人、弟を誘拐し、自分の息子マンリーコとして育てる。成人し吟遊詩人(トロヴァトーレ)となったマンリーコは公爵夫人の女官レオノーラと恋仲だが、ルーナ伯爵となっている双子の兄の方もまた、レオノーラに恋をする。マンリーコが実の弟とは知らないルーナ伯爵は、マンリーコを亡き者にしようと画策し――。
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■暗黒の中世から光あふれるルネサンスへの端境期

欧州の中世は一般的には5~15世紀とされ、ギリシア・古代ローマ時代、そして芸術文化を軸に新たな時代への扉を開いたルネサンスの間に挟まれた時代。世界史的には「暗黒の時代」「野蛮な時代」と称されるように、方々から流入した多様な民族による、戦争や略奪といった暴力を伴う国造りや奪い合いが繰り返される。同時に欧州の統一理念となるキリスト教も土着宗教や風習を吸収しながら浸透し、また、異端審問や魔女裁判などによる「排除」も行われていた。さらに度重なる黒死病(ペスト)がもたらす終末観などが入り混じり、天使や聖者、魔物、悪魔や骸骨などが共存するというのが、中世の精神的なものも含めた世界観だった。そうした世界を描いた画家が15世紀末から16世紀に活躍したヒエロニムス・ボス(1450年頃~1516年)であり、ブリューゲル(父・ 1525年から1530年頃~1569年)であった。

このトーマス演出による「イル・トロヴァトーレ」は、まさにその中世の精神世界の具現化。「15世紀」という時代設定をそのままに、ボスやブリューゲルの世界観をベースとしてキリスト教と魑魅魍魎が跋扈する世界の中で、今なお変わらない人間の愛憎を描き出した傑作である。
「叛逆天使の墜落」ブリューゲル(父)1562年zoom
「叛逆天使の墜落」ブリューゲル(父)1562年
■見るほどにジワジワくる、賛否両論の作品

さらにトーマスは舞台セットを極力排除した。宝塚歌劇を思わせる大階段を中心に据え、魔物の口以外は大掛かりなセットはほとんどなし。そこに主要な登場人物とボスやブリューゲルの絵画に登場するような悪魔や魔物を這わせ、「シンプルだからこそ、感情が浮き彫りになる」ことを狙った。こうした責めのプロダクションは賛否両論を巻き起こし、新聞評価も★2~5と大いに割れた。果たしてこれを日本で上演したら受け入れられるのか、それ以前に日本での上演は可能なのだろうかはわからないが、個人的に言うなら「見るほどにジワジワくる」この作品、今回のシネマは貴重な上映機会であることは間違いない。
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■シンプルだからこそ伝わるドラマ。第5の男「フェルランド」の不気味な存在感にも注目

シンプルだからこそ、歌に乗せた感情や思いは切々と心に響く。母の死を目の当たりにしたアズチェーナ(ジェイミー・バートン)のトラウマや悲劇、仇の息子であると同時に実の息子でもあるマンリーコ(リッカルド・マッシ)への愛情、マンリーコとレオノーラ(レイチェル・ウィリス=ソレンセン)、ルーナ伯爵(リュドヴィク・テジエ)の三角関係などは時代を問わない、普遍の思いだ。「鍛冶屋の合唱(アンヴィル・コーラス)」をはじめ、どこかで耳にした曲が多いこともこの「イル・トロヴァトーレ」の特徴の一つだが、アズチェーナとマンリーコの二重唱「我らの山へ」は、心打たれる名演なのでぜひお聞き逃しなきよう。

またこの「イル・トロヴァトーレ」はソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バリトンの、優れた4人の歌手が必要と言われているが、さらにルーナ伯爵の部下であり、狂言回しの役どころを演じるフェルランド(バス/ロベルト・タリアヴィーニ)も不気味な存在感を放ち目が離せない。
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ちなみにボス、ブリューゲルはともにハプスブルク朝スペイン王国が統治した、フランドル出身の画家。とくにブリューゲルはフランドルで行われたスペインの圧政に苦しむ人々の生活を記録したとも言われており、この舞台に登場する魔物や悪魔はそうした思いから生まれたかと思うと、物語が二重にも三重にも深まって感じられるのである。彼らの絵画は現在プラド美術館(スペイン)やウィーン美術史美術館(オーストリア)、ベルギー王立美術館(ベルギー)やヒエロニムス・ボス・アートセンター(オランダ)などが所蔵しているので、ぜひ現地を訪れた際は、この舞台を通して語られる「中世」にも思いを馳せながら鑑賞してみてはいかがだろう。
「快楽の園」ヒエロニムス・ボス 1503年-1504年(他説あり・部分)zoom
「快楽の園」ヒエロニムス・ボス 1503年-1504年(他説あり・部分)
英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2022/23
《イル・トロヴァトーレ》全4幕 


【音楽】ジュゼッペ・ヴェルディ
【台本】サルヴァトーレ・カンマラーノ(台本補筆:レオーネ・エマヌエーレ・バルダーレ)
【原作】アントニオ・ガルシア・グティエレスの戯曲『エル・トロバドール』)
【指揮】アントニオ・パッパーノ
【演出】アデル・トーマス
【美術・衣裳】アンマリー・ウッズ
【照明】フランク・エヴィン
【振付】エマ・ウッズ
【ファイト・ディレクター(殺陣師)】ジョナサン・ホービー
【ドラマツルク】ベアーテ・ブライデンバッハ
【出演】
レオノーラ:レイチェル・ウィリス=ソレンセン
マンリーコ:リッカルド・マッシ
ルーナ伯爵:リュドヴィク・テジエ
アズチェーナ:ジェイミー・バートン
フェルランド:ロベルト・タリアヴィーニ
イネス:ガブリエーレ・クプシーテ
ルイス:マイケル・ギブソン
ロマの老人:ジョン・モリッシー
使者:アンドリュー・オコナー


ロイヤル・オペラ合唱団(合唱指揮:ウィリアム・スポールディング)
ロイヤル・オペラハウス管弦楽団(コンサートマスター:シャロン・ロフマン)


【上映時間】3時間13分
【上映劇場】
北海道 札幌シネマフロンティア 2023/9/22(金)~2023/9/28(木)
宮城 フォーラム仙台 2023/9/22(金)~2023/9/28(木)
東京 TOHOシネマズ 日本橋 2023/9/22(金)~2023/9/28(木)
東京 イオンシネマ シアタス調布 2023/9/22(金)~2023/9/28(木)
千葉 TOHOシネマズ 流山おおたかの森 2023/9/22(金)~2023/9/28(木)
神奈川 TOHOシネマズ ららぽーと横浜 2023/9/22(金)~2023/9/28(木)
愛知 ミッドランドスクエア シネマ 2023/9/22(金)~2023/9/28(木)
京都 イオンシネマ 京都桂川 2023/9/22(金)~2023/9/28(木)
大阪 大阪ステーションシティシネマ 2023/9/22(金)~2023/9/28(木)
兵庫 TOHOシネマズ 西宮OS 2023/9/22(金)~2023/9/28(木)
福岡 中洲大洋映画劇場 2023/9/22(金)~2023/9/28(木)
※上映時間は劇場へ直接問い合わせのこと。


公式サイト
https://tohotowa.co.jp/roh/movie/?n=il_trovatore2022
コラムニスト:Tomoko Nishio
旅行業界・旅&芸術文化ライター、動物好き。旅行業界誌記者・編集者を経てフリーの旅行ライターに。南仏中世と「三銃士」オタク。歴史とアートに軸を置きつつ、絵画、バレエ、音楽、物語、映画、漫画のロケ地・聖地巡り、海外旅行や小さなお散歩まで、様々な視点で旅を発信。「旅」は生活のなかにもあり。

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