旅の扉

  • 【連載コラム】こだわり×オタク心
  • 2022年8月19日更新
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コラムニスト:Tomoko Nishio

フランスの芸術の殿堂が再び幕を開けるまでのドキュメンタリー映画『新章パリ・オペラ座 特別なシーズンの始まり』

パンデミック下のダンサー達の舞台裏「新章パリ・オペラ座」zoom
パンデミック下のダンサー達の舞台裏「新章パリ・オペラ座」

パリ・オペラ座ガルニエ宮は、パリを訪れたらおそらく一度は必ず目にするであろう、ランドマークの一つである。19世紀半ばに建てられた建物は、芸術の国・フランスの象徴にして美の殿堂であり、建物自体が歴史的建造物。劇場内部にはシャガールの天井画があり、「オペラ座の怪人」にインスピレーションを与えた大きなシャンデリアが輝く。鏡の間を連想させる豪奢なホワイエ、総大理石の大階段やリュリやグノーなど、フランス芸術に多大な功績を残した芸術家の彫刻が並び、舞台衣装などが展示され、黒いスーツを着た誇りを滲ませるスタッフたちが来客者を出迎えてくれる。

このガルニエ宮、さらに1989年に新たにつくられたバスティーユ劇場を本拠地とするのが、世界三大バレエ団のひとつである、パリ・オペラ座バレエ団。自身もバレエを愛し踊ったあの太陽王・ルイ14世の命により創設されたパリ・オペラ座バレエ学校共々、350余年という長い歴史を誇る。

この伝統的バレエ団で踊る150人のダンサー達は、身体で異世界を表現し、世に生み出す美の体現者であり、存在そのものが芸術品。舞台の輝かしい姿はもちろん、街を歩く姿もオーラを放ち、瞬間ため息が漏れるほどにまばゆい。幼少時から長い歴史の中で構築されたメソッドを徹底的に身体に叩き込み、年月を経て選ばれたわずかの者たちが、個性と自由を何より愛するフランスらしくそれぞれの個性を放ちつつ「パリ・オペラ座」の舞台を創り上げる。鑑賞の敷居が高いといわれるバレエであるが、しかし「パリ・オペラ座でバレエを見たい」という観光客もまた、ひっきりなしにオペラ座を訪れていた。

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オレリー・デュポン芸術監督とダンサー達

しかし先だってのパンデミックによりパリ・オペラ座も2020年3月16日に閉鎖し、ダンサー達は踊る機会を失う。しかもこんなパンデミックなど誰も予想していない。パリ・オペラ座のダンサー達は2019年12月から約2カ月にわたり、フランス政府の年金政策に対し異例のストライキを行い舞台上演がキャンセルとなっていたため、劇場が再開となった2021年6月までのほぼ約1年半、彼等は本番の舞台に立つことができずにいたのである。

この映画『新章パリ・オペラ座 特別なシーズンの始まり』は、このパンデミックによる劇場閉鎖からレッスン再開を経て、ようやく劇場が再開するまでを追ったドキュメンタリーだ。

ユーゴ・マルシャンzoom
ユーゴ・マルシャン

ダンサー達にとって日々のレッスンは呼吸をすることと等しいほどに重要なものだ。「1日休めば自分が気づき、2日休めば教師が気づく。3日休めば観客が気づく」と言われるほどに、すぐ身体もテクニックも衰えていくのである。とくにプロのダンサーともなると、公演のリハーサルが始まると1日6~10時間踊り身体と、表現を磨き上げる。元に戻すのは容易なことではない。

またバレエダンサーの寿命は短い。パリ・オペラ座には42歳という定年がある。「ダンサーのキャリアは時間との闘いだ。今がキャリアのピークと感じているので、今こそ思う存分に踊り、成長していきたいのに、できない」と語るエトワール(最高位ダンサー)のユーゴ・マルシャンの言葉が、重い。

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アマンディーヌ・アルビッソン

踊れる喜び、ブランクによる恐る恐るといった手探り感とともに再開するガルニエ宮でのレッスン。しかし順風満帆とはいかない。おさまらない感染拡大で劇場は再び閉鎖となり、不安、焦り、イラつき、落胆と絶望感、折れてしまいそうな心と、それを励まし指導する教師たちが、淡々と映し出される。そこで描かれるのはただ踊りたい、自分自身でありたいと切望する若者たちの「素」の姿だ

そして無観客ライブ配信公演時の、誰もいない客席に向かってお辞儀をする虚しさたるや。日本でもパンデミック中、様々な劇場が無観客ライブ配信を行ったが、拍手も届かず、お辞儀をするダンサーと画面の間に広がる空の客席がただただ広がる虚無感は、我々観客にとってもやるせなさが募り、感動というよりも悲しさで泣いた。観客のいる中継やDVD映像でこのような思いは決してしない。舞台芸術は舞台上の演者と客席の観客双方があってこそ成り立つという思いも新ためて思い起こさせてくれるのである。

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エトワールに任命されたポール・マルクとパク・セウン

ドキュメンタリーではポール・マルク、パク・セウンという2人の新たなエトワールの誕生も描かれる。未曽有のパンデミックによる影響は未だ様々なところに影響をもたらし、海外旅行も完全復活には至っていないが、パリ・オペラ座は歩みを止めないという、メッセージだ。

パンデミックにより自宅待機となり、突如現実から切り離された思いは、数年前、多かれ少なかれ誰もが感じたことだろう。この映画を通してパンデミックの時に自分が何を感じたか、これからの時代に自分は何をしていきたいと思ったのか、再度思い出すきっかけになるかもしれない。
そしてぜひ、Tシャツで踊る芸術品たるダンサー達の、素の想いにふれ、自由に旅ができるようになったときにはぜひ、パリ・オペラ座の舞台を劇場で体験していただきたい。

マチュー・ガニオzoom
マチュー・ガニオ

■DATA
公開日:2022年8月19日(金)
劇場:Bunkamura ル・シネマ他全国順次公開
出演:パリ・オペラ座バレエ
アマンディーヌ・アルビッソン、レオノール・ボラック、ヴァランティーヌ・コラサント、ドロテ・ジルベール、リュドミラ・パリエロ、パク・セウン、マチュー・ガニオ、マチアス・エイマン、ジェルマン・ルーヴェ、ユーゴ・マルシャン、ポール・マルク
アレクサンダー・ネーフ(パリ・オペラ座総裁)、オレリー・デュポン(バレエ団芸術監督)
監督:プリシラ・ピザート
2021年/フランス/カラー/ビスタ/ステレオ/73分/原題:Une saison (tres) particuliere/字幕翻訳:古田由紀子
(C)Ex Nihilo–Opera national de Paris–Fondation Rudolf Noureev–2021

提供:dbi.inc. EX NIHILO
配給:ギャガ

公式HP:gaga.ne.jp/parisopera_unusual

コラムニスト:Tomoko Nishio
旅行業界・旅&芸術文化ライター、動物好き。旅行業界誌記者・編集者を経てフリーの旅行ライターに。南仏中世と「三銃士」オタク。歴史とアートに軸を置きつつ、絵画、バレエ、音楽、物語、映画、漫画のロケ地・聖地巡り、海外旅行や小さなお散歩まで、様々な視点で旅を発信。「旅」は生活のなかにもあり。

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