また夏休みがやってきた。
RotterdamからParis北駅へ、そこからメトロ5番でParis Austerlitz駅で乗り換えて、Limoges駅までまた3時間半の小旅行。彼の故郷へ向かう道はもう何度目でしょうか、乗換駅前のおきまりカフェで電車を待っています。久しぶりのカフェ時間。今日のパリはコーヒーにはとても暑くて、レモネードを注文したところです。可愛いビンのやつきた、嬉しいパリ。何か特別なことがないからブログを書いていなかったわけではなく、毎日ちょっと嬉しいことがあるのに言葉にするのをさぼっていただけのこの夏のメモを集めてみました。
麦わら帽子のオーダーメイド
フランスの田舎の人がかぶっていそうな、というイメージの麦わら帽子を作っていただいたのです。手仕事で仕立ててくれるCouture hatのお店Demureは、アムステルダムヨルダン地区の端っこにあり、パリのアトリエのような、と友人の言葉を借りて。職人さんは絵本から出てきたみたいな、小柄でおしゃれな日本人の女性です。オーダーメイドなんて敷居が高いと思っていたけれど、今年の夏の宝物に、とちょっと奮発をして仕立てていただきました。お帽子を取りに行くと、軽そうなプリーツスカートと袖なしのリネンのシャツをきて、なんだかせっせと箒で掃除をしている姿も映画みたい。ちょっと縁をあげたいのですが、という注文を魔法のように叶えてくれて、最後にお店のタグを縫い付けてくれました。日本人だからとかでなく、何ジンでも私はこの人のお店で注文をしたことでしょう。仕上がった綺麗な形の麦わら帽子は、飛ばないように耳の横に、フランスで買ったのという布をつけてもらって、今年の夏の旅行は、初めてこのお帽子とおでかけです。
世界は素敵な思い出を集めてできていると思ったこと-The World Begins With Every Kiss
ちょっと前のこと、出張先のバルセロナ。仕事の合間をみて、アートプロジェクトを見に行きました。小さな思い出を集めて4000個のタイルの写真できた8mx3.8mのキスの壁。もともとカタロニアDAYの300周年を記念して、短期間の展示会用に作成されたものだそうです。スペインだからもっとそれらしい、濃厚で自由で熱いキス、男女なのか同性なのか不明の大きく圧倒的なラブシーンを前にしばらく立ちすくみます。The sound of a kiss is not loud as that of cannon, but it’s echo lasts a great deal longer. 蒸し暑くて東南アジアに住んでいた記憶がよみがえる夜、ようやく見つけたキスの壁の前にあったなんでもないベトナム料理屋さんでPhoとMojitoをオーダーする独身女子OL バルセロナ。全然観光名所ではないのですが、壁という象徴的なアイテムとプロジェクトの主旨が、どの時代にも当てはまることと思いを巡らせるのでした。
コロナの後は戦争のこと
アートな壁を見ているときは、よく見ると世界は素敵な瞬間を集めたものと思ったけれど、上から世界をみると、実際はなぜかラブシーンではなく逆に残酷な構図が見えるものです。この数年続く不安定なことたち。4月はよやくコロナの規制がなくなり、2年ぶりに日本へ帰省しました。ところが、今度はウクライナをめぐる戦争により、上空を飛べないからと、通常より長いフライトになり直行便のはずが韓国で一旦降りることに。プーチンを追い詰める予定の、いつから名前がついたか西欧(そしてアメリカもこれに含まれるように)は、ウクライナがどうしてほしいか知っているのに、責任感のないというか決断力のないデモクラシーによりじんわり弱ってきていると感じています。ガス代や物価は目に見えて上がっていて、陸続きの危機はうっすら空気で感じ取れます。2024年までにロシアは国際宇宙ステーションから撤退することを決めました、というニュースにSF的ですが、実際に起こる近未来の宇宙を巻き込む戦争それでも、会いたい人がいて、見たい風景やおいしいものを求めて旅をしたい人たちが楽しそうに横を通り過ぎるパリの駅。ひとりひとりの幸せに還元されるはず数値が、どうもグローバルな決定に反映されないような不思議な発展した世界です。日本から帰ってくるときに、『世界から猫が消えたなら』という本を買いました。神様が世界を7日間で創造した聖書の件にかけて、人間がその後数えきれない不必要なものを2000年以上かけて作ってきたこと。ひとりの命を1日ひきのばすことと引き換えに、何かひとつ世の中から消していく契約があるとして、最後の日に何が人生の価値を決めるのかと考える作品です。猫の寝息がフーガフーガと聞こえる、という生きているものへの描写がうちの猫の柔らかさと匂いを思わせて、世界のたいていの争いから幸せとの距離は、そんなに遠くないのにな、と思うのでした。
旅の始まり
ある朝、イタリアCremonaという街の朝市を通り過ぎた日のこと。CremonaはStradivariusの生まれ故郷として、バイオリンメーカーには有名な街です。聖堂の入り口に布のドレープがかかっていて朝の光と風に揺れていました。中ではミサが始まっています。聖堂の外では地元の人が新聞を読んでいました。朝市といってもたくさんの人混みがあるわけでなく、静かな一日の始まり。トマトやパンが並べられる中、ちょっとした挨拶やがたがたという石畳を走る音。毎日5分でもこうやって静かに時間とか空気を感じるようにしよう、と思った最近のこと。現実は忙しすぎる帰り道、スーパーの袋をいっぱい下げて自転車に乗っていた帰り道、わざわざ車のスピードを落として私のそばを通り過ぎ窓を開けた女性が、オランダ語で何か話しかけてきました。よろめいてイライラ顔であるだろう私に、Take it easy, と英語で言い直してくれたおばさん。ふと、そうかそうか別にたいした苦労でないのにな、と穏やかな気持ちになりました。こうして、日々はなんでもないことでできていますが、夏休み初日の今日、フランスのおうちの朝食は、家族全員分のカフェオレボールが食卓に用意されて、私の分も置いてあります。午後は、ガーデンとは別に、ポタジェと呼ぶ野菜園でひとつ1キロくらいある大きなトマトとさやいんげん豆を収穫して夜ご飯の準備。お帽子もようやく太陽を浴びて、久しぶりのブログ更新で、ログインできないからとまた久々の、日本にいる編集長とのメールもうれしい2022年夏休みです。
"If she dies, they can close this whole show of a world -- they can cart it off,unscrew the stars, roll up the sky and put it on a truck, they can turn off this sunlight I love so much. Do you know why I love it so much? Because I love her when the sun shines on her. They can take everything away, these carpets, columns, houses, sand, wind, frogs, ripe watermelons, hail, seven in the evening, May, June, July, basil, bees, the sea, courgettes --" もし彼女が死んだら、この舞台は終わってしまうんだ。ねじをゆるめて星を外した空の絨毯をくるっと巻き取ってトラックにしまって行ってしまう。僕が大好きな太陽の光も消灯だ。なぜ僕が太陽を愛しているかわかるかい?太陽が彼女を照らすから好きなんだ。でも、彼女が死んだら、その喜びはすべて終わりだよ。素敵な絨毯も、文章も、砂も風も、カエルだって、熟したスイカ、雹、夜7時も、5月も6月も7月も、バジルも、蜂も、海も、ズッキーニも!なにもかも終わってしまう。
『人生は奇跡の詩』(Roberto Benigni、2005)
Amsterdamの素敵な帽子屋さんDemure https://www.demureamsterdam.com/
The World Begins With Every Kiss Mural https://es.wikipedia.org/wiki/El_mundo_nace_en_cada_beso
『世界から猫が消えたなら』(川村元気 マガジンハウス)