旅の扉

  • 【連載コラム】トラベルライターの旅コラム
  • 2020年6月28日更新
よくばりな旅人
Writer & Editor:永田さち子

長崎・上五島、29の教会が迎える祈りと癒しの島へ2~人々の暮らしに寄り添う教会を巡る~

『青砂ヶ浦天主堂』は、世界遺産を構成する『頭ヶ島天主堂』を手掛けた鉄川與助の手による初期のレンガ建築。zoom
『青砂ヶ浦天主堂』は、世界遺産を構成する『頭ヶ島天主堂』を手掛けた鉄川與助の手による初期のレンガ建築。
十字架の形をした島・上五島の集落ごとに点在する29の教会は、江戸時代から明治初期まで250年にも及ぶ迫害に耐えた潜伏キリシタンたちの子孫が、信仰の自由を得た証しとして建てたもの。それぞれに歴史があり、教会が立つ集落の人々の暮らしに寄り添いながら、大切に守り続けられています。
上五島へは長崎から日帰りで訪れ、世界文化遺産の『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』として登録されている、頭ヶ島集落と『頭ヶ島天主堂』を見学して帰る旅行者が多いのだとか。けれど五島灘を渡ってこの島を訪れたなら、時間をかけて島内の教会を一つひとつ巡ってみたいものです。

教会建築の父・鉄川與助による『青砂ヶ浦(あおさがうら)天主堂』
上五島の教会を巡るとき、たびたび聞かれるのが鉄川與助(よすけ)という建築家の名前。前回のコラムでも紹介しましたが、“教会建築の父”と呼ばれる與助は地元・上五島の生まれ。頭ヶ島天主堂のほかにも長崎市内や下五島の福江島など長崎の地に残る多くの教会の設計・施工を手掛けています。日本近代建築史にも名前を残すその與助による初期のレンガ造りの教会が、『青砂ヶ浦天主堂』です。

長崎や佐世保からの船が到着する島の玄関口・有川港からも近い青砂ヶ浦天主堂は1878(明治11)年ごろ小さな集会所から始まり、3代目となる現在のレンガ建築は與助の設計・施工により1910(明治43)年に完成しました。指導には当時の神父が外国から原書を取り寄せて当たり、佐世保方面から運んできたレンガを一つひとつ積み重ねる作業に従事したのは、外海(そとめ)と呼ばれる現在の長崎市北西部から移住してきたキリシタンの子孫たち。半農半漁の苦しい生活に耐えながら、3年の月日をかけて完成させたそうです。
教会が立つのは、奈摩湾という入り江を見下ろす高台。建築に携わった信者たちは少しずつレンガが積み重なり教会の形ができあがっていくのを沖の漁船から眺め、それを励みに完成までの日々を過ごしていたのかもしれません。

奈摩湾を挟んで対岸には同じく與助が手掛けた『冷水(ひやみず)教会』が立っています。完成したのは青砂ヶ浦天主堂に先立つこと3年前で、28歳になった與助が棟梁として初めて設計・施工を担当しました。重厚なレンガ造りの青砂ヶ浦天主堂に対し、素朴な木造建築で可愛らしいステンドグラスが施されていて、二つの教会を見比べてみるのもおもしろいと思います。

父と息子で完成させた『大曽(おおそ)教会』
青砂ヶ浦天主堂に続き、與助が設計・施工を手掛けたのが1916(大正5)年に完成した『大曽教会』です。八角形ドーム型の鐘楼や、色が異なるレンガを使った壁面に特徴があり、柱頭の彫刻は與助の父・与四郎が担当。父子による共同作品になりました。
2種類のレンガを使った壁面に特徴がある『大曽教会』。重厚な趣がある一方で、教会堂入り口に掲げられたモチーフが可愛らしい。zoom
2種類のレンガを使った壁面に特徴がある『大曽教会』。重厚な趣がある一方で、教会堂入り口に掲げられたモチーフが可愛らしい。
この教会は島の西側の湾に面した高台にあるため、日没の時間に合わせて訪れるのがおすすめ。夕日に照らされたレンガ造りの天主堂と、両手を広げた白いキリスト像がオレンジ色に輝く姿とともに、サンセットの景色を眺めることができます。

水面に映る姿が美しい『中ノ浦教会』
小さな入り江に面して立ち、海面に映り込む姿が美しいことから“水鏡の教会”とも呼ばれているのが、『中ノ浦教会』です。1925(大正14)年に建てられ、1966(昭和41)年に木造の教会では珍しく高い鐘塔が増築されました。
白い建物が水面に映り込みシンメトリーとなる姿が美しい『中ノ浦教会』。zoom
白い建物が水面に映り込みシンメトリーとなる姿が美しい『中ノ浦教会』。
教会が海面に映り込む姿が見られるのは、風がなく波が穏やかな日の午前中で潮が満ちている間だけ。引き潮になると入り江の水がなくなってその姿を映すことはできず、また風が強くても水面が波立って愛らしい姿が見えません。敷地内には小さな花壇があり、いつ訪れてもきれいに手入れされていることから、集落の人たちに大切に守られていることがよく分かります。

長崎の被爆レンガが使われた『旧鯛ノ浦教会』
原爆で崩壊した旧浦上天主堂のレンガの一部が鐘楼の一部に使われているのが、『旧鯛ノ浦教会』です。上五島の布教の中心として1881(明治14)年に最初の教会が設立され、1903(明治36)年に山小屋を思わせる木造瓦葺きに建て替えられました。レンガ造りの鐘楼部分は戦後、増築されたもの。木造部分とレンガ造りが融合する珍しい建築です。
塔の外壁の一部に、長崎の旧浦上天主堂の被爆レンガが埋め込まれた『旧鯛ノ浦教会』。ルルドの泉には、沢の水が引かれています。zoom
塔の外壁の一部に、長崎の旧浦上天主堂の被爆レンガが埋め込まれた『旧鯛ノ浦教会』。ルルドの泉には、沢の水が引かれています。
内部は資料館として公開され、長崎におけるキリシタンの歴史や、禁教令下に使われていた踏み絵のレプリカなどが展示されています。また、児童書が置かれていて、地元の子供たちの図書館としても活用されているのだとか。上五島の子供たちはこうした環境のなか、教会を身近な存在として育っていくのでしょう。慈愛の微笑みをたたえたマリア像が建つルルドの泉の水は近くの沢から引いたもので、聖なる水として持ち帰る人は少なくないそうです。現在教会堂として使われている『鯛ノ浦教会』は、1979(昭和54)年に建てられました。

神秘的な色をたたえる海を望む『桐教会』
上五島の大部分を占める中通島(なかどおりじま)の南端、小高い丘にあるのが『桐教会』。教会堂入り口では五島キリシタンのカトリック復活を導いた3人の信徒を讃える碑が迎えてくれます。
『桐教会』がある高台から望む海の美しさに、見とれてしまうはず。zoom
『桐教会』がある高台から望む海の美しさに、見とれてしまうはず。
ここは江戸時代の寛政年間、外海地方からキリシタンが移住してきたことをきっかけに五島中部で最初の小教区として設立され、現在の教会堂は1958(昭和33)年に建立されました。中通島と若松島を結ぶ若松大橋から眺めると、真っ白な外壁と赤い屋根のコントラストがよく分かります。眼下に広がる水路のようにも見える海の色は、天候と時間帯によって明るいエメラルドグリーンから深みのある瑠璃色へと姿を変え、さまざまな表情で楽しませてくれます。

悲劇の焼損から再建を果たした『江袋教会』
十字架型をした上五島の北側先端近く、細く急な坂道を上りきった高台に“奇跡の教会”の別名を持つ『江袋教会』があります。教会堂が建立されたのは1882(明治15)年。木造の教会としては国内最古の建物とされていましたが2007(平成19)年、漏電が原因と思われる出火により、そのほとんどが焼損してしまいました。
屋根は焼け落ち、祭壇やステンドグラスが燃え上がる炎を前に泣き崩れる人たちが多いなか、一部の信徒が入り口近くにあった神父たちの肖像画を奇跡的に運び出したのだとか。その後、わずかに焼け残った柱や梁はそのまま残し、炭化した表面を削り、新たな木材を加えるなど工夫に工夫を重ねた修復が終わったのは2010(平成22)年のこと。再建期間中、信徒たちはステンドガラスの代わりに色とりどりのセロファンを窓ガラスに貼って過ごしていたといいます。
火災により焼失し再建された『江袋教会』。教会堂へと続く急な階段を"天国への道"と呼び一段一段登る信徒もいるそうです。zoom
火災により焼失し再建された『江袋教会』。教会堂へと続く急な階段を"天国への道"と呼び一段一段登る信徒もいるそうです。
上五島にある29の教会にはそれぞれ、この地に移り住んだキリシタンと教会区の歴史、建立に至ったエピソードや建物の特徴を紹介するパネルが設置されています。それらを読みながら巡ると、禁教令が布かれていた当時、同じ島内とはいえ各集落が独立した小さな国のようであったことが分かります。外海を超えて渡ってくるにはとても困難な地で生活環境も厳しかったからこそ、その信仰心はより深かったのかもしれません。

※頭ヶ島天主堂と周辺集落の紹介は、こちらから。
 ↓↓
『1 世界遺産の教会がある集落』

以下のコラムに続きます。
 
↓↓
 3 白亜のキリスト像が見守る伝説の洞窟
 4 どちらも泊まってみたい! 2軒のマルゲリータ
 5 島の手仕事にふれる
 6 島の美味しいものを食べ尽くす!

【協力】
長崎県/新上五島町
https://shinkamigoto.com/tour/

Writer & Editor:永田さち子
スキー雑誌の編集を経て、フリーに。旅、食、ライフスタイルをテーマとし、記事を執筆。著書に、「自然の仕事がわかる本」(山と溪谷社)、「よくばりハワイ」「デリシャスハワイ」(翔泳社)ほか。最近は、旅先でランニングを楽しむ、“旅ラン”に夢中!
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