旅の扉

  • 【連載コラム】「“鉄分”サプリの旅」
  • 2024年2月4日更新
共同通信社ワシントン支局次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎

イラク侵攻への「参戦拒否」の舞台、連邦議会議事堂 カナダの世界遺産でクルーズ体験【5】

△大規模改修中のカナダ連邦議会議事堂(2023年9月、筆者撮影)zoom
△大規模改修中のカナダ連邦議会議事堂(2023年9月、筆者撮影)

(シリーズ「「カナダの世界遺産でクルーズ体験」【4】」からの続き)
 カナダの首都オタワを流れるオタワ川沿いでひときわ目立つのが、小高い丘に石灰岩で造られた近代ゴシック復興様式で築かれた連邦議会議事堂だ。現在は大規模改修工事中の下院議場で2003年3月に当時のカナダのジャン・クレティエン首相は、イラクへの大規模軍事侵攻を強行したアメリカ(米国)のジョージ・ブッシュ(子)大統領に背を向けて「参戦を拒否する」と宣言した。米国が「言うことを聞かないと嫌がらせをする厄介な大国」(カナダ外交官)なのを百も承知で国民の命を優先したクレティエン氏の「とても難しい決断」は、それから20年超を経た今も輝き続けている―。

カナダのジャン・クレティエン元首相(カナダ首相府提供)zoom
カナダのジャン・クレティエン元首相(カナダ首相府提供)

 【カナダ連邦議会議事堂】かつてイギリス(英国)の植民地だったカナダ連邦は1867年に建国し、議会は上院と下院の二院制となっている。首都オタワに初代の連邦議会議事堂の主な建物が1859年から1866年にかけて建設され、議場などに使われた。1916年2月3日に火災が起き、職員が機転を利かせて鉄製の扉を閉めたため守られた図書館など一部を残して灰燼(かいじん)と化した。近代ゴシック復興様式の現在の議事堂は1922年に完成し、シンボルとなっている「平和の塔」も1927年にできあがった。老朽化のため2019年に始まった大規模改修工事は2031年まで続く予定で、改修費用は計45億~50億カナダドル(約5千億~5500億円)に達すると見込まれている。

△連邦議会の上院が仮設で入居している旧オタワ・ユニオン駅舎(23年9月、筆者撮影)zoom
△連邦議会の上院が仮設で入居している旧オタワ・ユニオン駅舎(23年9月、筆者撮影)

 議事堂本館の改修工事中、上院は旧オタワ・ユニオン駅舎の建物に、下院は議事堂西側の建物にそれぞれ仮設で移転している。代わりに近くのスパークス通り沿いにある建物の1階にある連邦議会について発信する展示施設「連邦議会―没入型体験」では映像と光、音を駆使して議場の雰囲気を疑似体験できるようになっている。無料で見学でき、所要時間は約45分だ。
 会場では議事堂の建物の構造や特色が分かる展示とともに、カナダの歴史に残る名演説や成立した法律を紹介している。私は特に強い印象を受けた名演説が、1993~2003年に首相を務めたクレティエン氏が政治生命を懸けて下院で訴えた言葉だ。

△オタワの展示施設「連邦議会―没入型体験」(23年9月、筆者撮影)zoom
△オタワの展示施設「連邦議会―没入型体験」(23年9月、筆者撮影)

 ▽スタンディング・オベーション
 イラクのサダム・フセイン政権が大量破壊兵器の開発を進めていると主張し、侵攻ありきで動いたブッシュ(子)米国政権に背を向け、クレティエン氏は「軍事行動が国連安全保障理事会の新たな決議なしで実施されるのならば、カナダは参戦を拒否する」と強調した。
 すると、政権与党の自由党の議員だけでなく、新民主党などの野党議員も立ち上がって拍手するスタンディング・オベーションで応じた。クレティエン氏の決断が冷静かつ的確であり、スタンディング・オベーションで応えた大勢の議員の評価が正しかったことは歴史が証明している。
 大統領在任中に2001年9月の米国中枢同時テロが起きたブッシュ(子)氏はイラクのフセイン政権が大量破壊兵器を保有しているとの誤った分析を信じ込み、フセイン氏は大量破壊兵器を使って米国を攻撃すると警戒感を募らせていたとされる。
 米国が強行した2003~11年のイラク戦争とフセイン政権崩壊後の混乱によってイラクでは数十万人が犠牲になったとされる。4千人を超える米兵が命を落とし、2兆ドル(約300数兆円)を超える出費となった米国の「大失敗」は火を見るより明らかだ。

△オタワの展示施設「連邦議会―没入型体験」(23年9月、筆者撮影)zoom
△オタワの展示施設「連邦議会―没入型体験」(23年9月、筆者撮影)

 ▽靴を投げられたブッシュ元米大統領
 しかも血眼になって探しても大量破壊兵器は見つからず、ブッシュ氏がイラクを侵攻した大義名分は完全に崩れ落ちた。2009年1月に通算8年の大統領職から降りるのを控えていたブッシュ氏は08年12月にイラクの首都バグダッドを電撃訪問し、記者会見に出席したところ、当時の放送局記者が「別れのキスを受け取れ、この野郎!」と罵声を浴びせながら履いていた左右の靴をブッシュ氏に向かって投げつけた。
 この一見すると過激な行為は、多くのイラク国民の反米感情を鮮明に伝えていた。知り合いの米国民は「イラク戦争は、ブッシュ氏が自身に献金と票をもたらした軍需産業を潤わせるために起こした謀略だったのではないか」と疑いの目を向けているほどだ。

△オタワ側沿岸から見たカナダ連邦議会議事堂(23年9月、筆者撮影)zoom
△オタワ側沿岸から見たカナダ連邦議会議事堂(23年9月、筆者撮影)

 ▽笑みが物語る確信
 これに対し、正しかったことを歴史が証明したのがクレティエン氏の政治判断だ。クレティエン氏は2023年10月にカナダの放送局、CTVのインタビューでイラク戦争への参戦拒否が「とても難しい決断だった」と振り返り、最大の貿易相手国である米国との取引に支障が出ることを恐れた企業から「極めて強い懸念を聞いていた」とも打ち明けた。
 「謙虚な人柄」(カナダ政府関係者)とされるクレティエン氏は、自身の先見の明を決して自慢することはなかった。だが、その後に見せた笑みは心の内にある確信を物語っていた。自身の決断がカナダおよび国民にとって最善だったことと、もしも逆の選択をしていれば敬意を持って耳を傾けてもらえる日が訪れていなかったことを。
(シリーズ「「カナダの世界遺産でクルーズ体験」【6】」に続く)
(連載コラム「“鉄分”サプリの旅」の次の旅をどうぞお楽しみに!)

共同通信社ワシントン支局次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎
1973年4月東京都杉並区生まれ。国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒。1997年4月社団法人(現一般社団法人)共同通信社に記者職で入社。松山支局、大阪支社経済部、本社(東京)の編集局経済部、3年余りのニューヨーク特派員、経済部次長などを経て、2020年12月から現職。アメリカを中心とする国際経済ニュースのほか、運輸・観光分野などを取材、執筆している。

 日本一の鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。東海道・山陽新幹線の100系と300系の引退、500系の東海道区間からの営業運転終了、JR東日本の中央線特急「富士回遊」運行開始とE351系退役、横須賀・総武線快速のE235系導入、JR九州のYC1系営業運転開始、九州新幹線長崎ルートのN700Sと列車名「かもめ」の採用、しなの鉄道(長野県)の初の新型車両導入など最初に報じた記事も多い。

共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS」などに掲載の鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/culture/leisure/tetsudou)の執筆陣。連載に本コラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)のほか、47NEWSの「鉄道なにコレ!?」がある。

共著書に『平成をあるく』(柘植書房新社)、『働く!「これで生きる」50人』(共同通信社)など。カナダ・VIA鉄道の愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。FMラジオ局「NACK5」(埼玉県)やSBC信越放送(長野県)、クロスエフエム(福岡県)などのラジオ番組に多く出演してきた。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の元理事。
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