旅の扉

  • 【連載コラム】カナダ大西部 いろいろアルバータの秋
  • 2019年7月8日更新
TVディレクター:横須賀孝弘

カナダ大西部 いろいろアルバータの秋 (3) ガスの街・先住民の聖地

メディシンハットのメインストリートzoom
メディシンハットのメインストリート
ガスで繁栄!メディシンハット

アルバータ州南部を巡るツアー、3日目の9月28日は、メディシンハットを訪ねました。州立恐竜自然公園から南へ車で1時間半ほどの距離にある、人口およそ6万の町です。

町のメインストリートには、カナダ最古の映画館をはじめ、歴史を感じさせるレンガや石造りの建物が並んでいました。落ち着いた、心安らぐ町並みです。

街路の風景にアクセントを与えているのが、歩道を縁取るガス灯です。燃料は天然ガスですが、3年ほど前までは昼も夜も点けっ放しだったそうな。その方が、灯を消すために人を雇うよりも安上がりだったからです。
それほど、天然ガスが豊富な地域だということで、メディシンハットは「ガス・シティー」なんて呼ばれています。

町の中を南サスカチュワン川が流れています。1883年、カナダ太平洋鉄道を通すため、この川に鉄道橋を架けることになり、工事関係者が寝泊まりするためのテント村ができました。そのテント村が発展して、いまのメディシンハットの町になったんです。

発展の原動力となったのは、天然ガスでした。鉄道会社が、水を得ようと、調査のために井戸を掘ったところ、何と、水の代わりにガスが噴き出したそうです。これがきっかけとなって、後に、北アメリカ最大級のガス田が見つかりました。

前の日に訪ねたアトラス鉱山など、ドラムヘラーの炭鉱が衰退する原因となった天然ガスによって、メディシンハットが栄えたのですから、何とも皮肉な話ですね。
メダルタ社の製陶窯。枠内は、窯の中に展示された、同社の陶磁器zoom
メダルタ社の製陶窯。枠内は、窯の中に展示された、同社の陶磁器
西部カナダに興った大産業

実は、今回のツアーを催したプレーリー・スプリンター(Prairie Sprinter)社は、メディシンハットが本拠地。ガイドが地元の名所に案内してくれました。メダルタ社という製陶会社の工場跡地です。4基の窯のほか、作業場や使われていた機械、膨大な量の陶磁器コレクションなどが展示され、国定史跡に指定されています。

ここに製陶業が興ったいきさつが、実に面白い。
まずは豊富な陶石。南サスカチュワン川が営々と運び、川辺に積んできた、膨大な量の粘土が、固まって岩となり、陶磁器の材料に使われました。

陶磁器を作るには、成形した後、窯に入れ、400℃の高温で一週間ほど焼きつづけなければなりません。その燃料に、メディシンハットの豊富な天然ガスはぴったりでした。

そして、メディシンハットの原点だった鉄道も、製陶事業になくてはならない役目を果たしました。完成した大量の陶磁器を、東部の市場へと運び出したのです。

陶石、天然ガス、鉄道という、3つの偶然が重なって生まれた、メディシンハットの製陶業。1921年、メダルタ社が東部に向けて列車に積んだ陶磁器は、西部カナダから出荷された初の非農業製品となりました。こうして、メディシンハットは、カナダ西部の製陶業の中心地となっていきました。

ところが、第二次大戦後、プラスチックの容器が普及したこともあって、メディシンハットの製陶業は斜陽化し、ついには廃業に追い込まれてしまいます。

展示施設の一角には、工場で働いていた人たちの集合写真が、大きなパネルに引き延ばして、掲げられていました。大勢の男性に交じって、女性たちの姿もありました。

さまざまな条件が揃って発達した、製陶産業。それを支えた人々の営み。そして、一つの地場産業の繁栄と衰退。
メダルタ製陶工場跡を訪ね、大平原の片隅で繰り広げられた歴史の現場に触れてみると、一冊の面白い本を味わった後にも似て、心が少し豊かになったように感じました。
サーミス・ティーピーzoom
サーミス・ティーピー
出た!巨大ティーピー

ツアー4日目の朝。メディシンハットを出る前に、びっくりモニュメントに立ち寄りました。世界で最も高いティーピーです。高さ65m、底面の直径48m。町を貫く国道1号線のすぐ脇にあるので、通過する人たちの目にイヤでもとまります。

もともとは、1988年にカルガリーで催された冬季オリンピックのために作られ、大会期間中は会場で聖火を守っていました。オリンピックが終わった後、メディシンハットに住む、先住民に心を寄せる実業家が買い取り、町に寄贈したのです。

このモニュメント、「サーミス・ティーピー(Saamis Teepee)」と呼ばれています。
サーミスとは、地元の先住民ブラックフット族の言葉で「霊力のある被り物」といった意味。西部劇などでおなじみの「インディアンの羽根冠」を指します。

「メディシンハット」という町の名は、「サーミス」の英語訳です。ちなみに、この場合の「メディシン」とは、「薬」ではなく、「(インディアンの)まじない」を指し、先住民の視点からは「霊力のある」という意味になります。
言い伝えによると、その「霊力のある被り物」の起源となった出来事は、現在のメディシンハット付近で起こったのだそうです。

ティーピーは、アルバータ州南部など、大平原の先住民独特の住まいです。
サーミス・ティーピーが、カルガリー・オリンピックのモニュメントに採用され、さらに、メディシンハットの名所にもなりえたのは、ティーピーが、この地方のユニークなシンボルとして、世界の人々にアピールする力を備えていればこそ。

やはりティーピーのパワーは大したものです。
多数の岩刻画が彫りつけられた岩山zoom
多数の岩刻画が彫りつけられた岩山
先住民のパワースポット

次なる目的地は、メディシンハットを後にして南へ2時間、アルバータ州の最南部にある、ライティング・オン・ストーン州立公園でした。アメリカとの国境までわずか8kmです。

ライティング・オン・ストーン、「石に書く」という地名は、先住民が岩山に彫りつけた無数の絵(岩刻画)にちなむもの。
絵の数は1000点以上にのぼります。大平原広しといえども、これほど多くの岩刻画が集中する所は、他にないと言います。
ここは、一体どうして、そのような特別の場所に選ばれたんでしょうか? 

「実は、この辺りは、数多の精霊が住む、霊験あらたかな『パワフル・プレース』だからなんです」―――と、私たちを案内してくれた公園のレンジャー、レベッカ・トーリーさんは話してくれました。今風に言えば、「パワースポット」でしょうか。

岩刻画には、そうした超自然的な存在との交流を記したり、あるいは、超自然的な力の助けを祈願したりするために彫りつけたものが多いのだそうです。

この一帯では、霊的存在と深くかかわる宗教儀礼、ビジョンクエスト(霊夢探求)もよく行われたとのこと。
ビジョン・クエストは、若者が人里離れた場所に独りで籠り、食を絶って、ひたすら精霊の助力を求めるという、一人前になるための苦行で、やがて彼を憐れんだ精霊が、多くは動物の姿で現われ、若者の守護霊になる、と信じられてきました。
レベッカさんによると、今も先住民がビジョン・クエストのためにここを訪れるそうです。
大きな盾を構えた戦士の絵zoom
大きな盾を構えた戦士の絵
最強!ブラックフット族

ここの岩刻画の大半は、ブラックフット族の人たちが彫ったと考えられています。レベッカさんが、主な絵を案内してくれました。

上の写真に描かれているのは、戦士です。体が隠れるほど大きな盾を構えています。戦いに先立ち、超自然的な力の加護を求めるため、ここに彫りつけたのだろうとのこと。なお、こうした盾は、バイソン(バッファロー)の革を干して作りました。

ブラックフット族は、勇猛なことで知られ、アルバータ州からアメリカのモンタナ州北部にかけての大平原北西部一帯で最強の部族でした。
そこは、生活の糧であるバイソンも多く住む、豊かな地域でした。それだけに、周辺の部族がしばしば侵入し、戦が絶えませんでした。

1730年頃、この地域に大きな転機が訪れました。鉄砲と馬が普及し始めたのです。
革の盾では、矢や槍は防げても、鉄砲の弾には敵いません。また、大きな盾は、馬上で扱うのに不便です。そんなわけで、大きな盾は、ほどなく廃れてしまいました。
従って、大きな盾が描かれた岩刻画は、1730年頃より前のものと考えられています。
騎馬図zoom
騎馬図
豪胆無比!大平原の戦士

馬に跨った戦士の絵もありました。
これは、当然ながら、ブラックフット族らが馬を手に入れた1730年頃より後に彫られたことになります。

インディアンと言えば、大昔から馬に乗っていたように思われがちですが、実は、馬は、スペイン人などがアメリカ大陸に持ち込んだ家畜だったんです。

馬を得たことで、ブラックフット族の暮らしは革命的に変わりました。
馬を使えばバイソンをずっと効率的に狩ることができます。集落の移動も楽になりました。
そのため、馬は彼らにとって大切な財産となりました。
こうした事情は、大平原に住む近隣の部族についても同じでした。

この絵は、精霊の加護によって、他部族からの「馬泥棒」がうまくいったことを感謝するために描いたものだそうです。
「馬泥棒」と言うと聞こえが悪いですが、敵対する部族の集落に忍び込み、大切に守っている良馬を盗み出すのは、この上もなく危険なワザです。成し遂げるには、的確な判断力と、高い身体能力、そして何よりも、大胆不敵な度胸が欠かせません。それだけに、首尾よく馬を奪うことができれば、人々の賞賛の的となりました。

中学生の時に出会った「カナダ・インディアン」(新保満・著)という本で、そんなカナダ大平原のインディアンの歴史を知り、私はすっかり魅了されてしまいました。

「馬泥棒」という大冒険を成し遂げた戦士その人が彫りつけた岩刻画。目の当たりにして、本を読んで想像するだけだった世界が、この地で現実に繰り広げられていたんだと、肌で感じることができました。

Canada Theatre(カナダシアター)
www.canada.jp/


カナダ観光局

いろいろアルバータの秋 (4) バイソンを追って を読む→
TVディレクター:横須賀孝弘
NHKエンタープライズに勤務。TVディレクターとして「ダーウィンが来た!」「ワイルドライフ」などNHKの自然番組を制作。職務のかたわら、北米先住民の歴史・文化を調べている。
著書「ハウ・コラ~インディアンに学ぶ」「北米インディアン生活術」「インディアンの日々」ほか。訳書「北米インディアン悲詩~エドワードカーティス写真集」「大平原の戦士と女たち」。ここ5年ほどは、カナダ先住民の歴史や、毛皮交易史にハマっている。
risvel facebook