(「連載『隠れた鉄道天国カナダ』第8回」からの続きです)
カナダ第2の都市ケベック州モントリオールと、大西洋に面したノバスコシア州の港町のハリファックスを結ぶVIA鉄道の寝台列車「オーシャン」に無人駅のアマースト(ノバスコシア州)から乗り込み、2人用の個室寝台「スリーパー・プラス・クラス」へ案内された。VIA鉄道の愛好家団体「VIAクラブ日本支部」の会員である私にとってオーシャンの乗車は3回目だったが、初めての経験が待ち受けていた。
▽シャワー室はどこに?
初めての経験は、家族旅行で利用した2回は予算削減のために“自粛”したシャワーが付いた部屋だ。個室は夜になると座席の背もたれ部分を引き出して下の段のベッドとなり、2人で利用する場合は上段に格納しているベッドも引き出して2段寝台として利用する仕組みだ。
室内には併設したトイレと洗面台の部屋に入る扉があるが、シャワー室の入り口は見当たらない。トイレと洗面台だけでも相当のスペースを取りそうだが、奥にシャワー室の入り口があるのだろうか?シャワー室の場所を確認しようと、トイレの扉を開けた。
▽米国には居住空間にトイレの寝台車両も
視界に飛び込んできたのは洗面台とトイレで、シャワー室は存在しなかった。ただ、片隅にあるマイクのような形状をした筒状のホースがあり、これがシャワーだ。周囲をなるべく濡らさないように便器のふたを閉め、洗面台との空間でシャワーを浴びる仕組みだ。タオルとシャンプーなどを備えており、髪を乾かすためのヘアドライヤーもある。限られた車内空間を有効活用するために考え出したのが、このような合理的な設計だったのだろう。
ふと思い出したのが、アメリカ(米国)で乗った全米鉄道旅客公社(アムトラック)の寝台列車の個室だ。客室の入り口に洗面台があり、その下にあるふたを開けると出現したのが何とトイレの便器!ベッドと同じ空間に便器を設置する米国流の美的感覚を私は受け入れられず、必要な際は別の車両にあるトイレへ足を運んでいた。
それに比べると昼はソファーで、夜はベッドに一変する居住空間と、トイレおよびシャワーがある空間を扉で隔てたVIA鉄道の客車の設計は清潔感がある。合理的であっても、私にとっては快適に過ごせる移動空間だ。
▽展望車から一望する「分け入つても青い森」
夕食まで車窓を満喫するために向かったのが、列車の最後部に連結された「パークカー」と呼ばれる1954年の製造から64年が経過するステンレス製の“老舗”展望車だ。日本初のオールステンレス電車となった62年登場の東京急行電鉄「7000系」に技術を供与した米国の金属加工メーカー、バッドが手掛けた。
東急は、7000系の車体を流用した改造車両「7700系」を多摩川線と池上線で運用してきたが、今年11月24日に引退セレモニーを実施して終止符を打つ。東京で残っていた旧型電車の代表格の一つが消えるのは残念だが、一部の編成は岐阜県と三重県を走る養老鉄道に引き継がれて「第二の人生」で引き続き活躍するので楽しみだ。
「オーシャン」の展望車で特にお薦めなのは、2階部分にある360度を窓で囲んだドーム部分からの眺望だ。個室寝台の利用客ならば年中無料で入ることができ、備え付けのコーヒーと紅茶、クッキーを自由に味わうことができる。そんな「走る喫茶室」でクロスシートに腰掛け、延々と続く雄大な森林を眺めていると種田山頭火の俳句「分け入つても分け入つても青い山」、いや「分け入つても分け入つても青い森」という言葉が口をついて出てくる。
▽まるで高級レストラン
夕食を予約していた午後6時半になって食堂車に向かい、東部オンタリオ州に住む夫婦とテーブルを同席させてもらった。机はテーブルクロスで美しく装飾され、壁には沿線で採れる食材や生産農家の写真も飾られている。私を担当してくれたウェイトレスは、ハリファックス在住の訓練生のアンジェラ・カーステッドさんだ。笑顔が素敵な女性で、「私は韓国に住んだことがあり、東京や京都にも行ったことがあるわ」というアジア通の一面も持つ。
前菜は野菜かスープを選ぶことができ、私が選んだフィッシュチャウダーのスープは魚介類と野菜がふんだんに入っている。メーンの料理は地元産のリンゴのソースを添えた豚のテンダーロインで、どちらも一流レストランに入ったかと錯覚するような美味だった。
「オーシャン」の料理が素晴らしいのは知っていたが、気がかりだったのはデザートだ。前回乗った際、夕食後にデザートに出てきた「シュガーパイ」という菓子は極度に甘かったからだ。ところが、この日出てきたミルフィーユは上品な味付けだった。
カーステッドさんを含めたスタッフのフレンドリーな接客と、乗客への気配りもあり、食事のコース全体を通じて「パーフェクト!」だった。唯一心残りだったのは、隣のテーブルの女性が「あっ、ヘラジカ(英語で「moose」)が見えるわ!」と教えてくれたものの、見逃したことだ。
同席した夫婦は私と同じくプリンスエドワード島を訪れた帰り道で、寝台列車に乗ったのは初めてという。「プリンスエドワード島の新鮮な魚や貝が素晴らしかった!」と感嘆するのを聞き、生ガキを40個以上味わい、ムール貝やロブスターといった魚介類の美味を満喫してきた私も膝を打った。
▽遅れを期待してしまう贅沢な時間
個室に戻ると、座席をベッドにしつらえてもらってあった。進行方向に対して直角に配置しているため長さは十分あり、快適に過ごせる。VIA鉄道は、貨物列車を運行するカナディアン・ナショナル鉄道(CN)の旅客部門を引き継いで1978年に発足した経緯を持つ。CNなどの線路を借りているため貨物列車のダイヤの影響を受けやすく、途中で貨物列車との行き違いのために「オーシャン」は遅れて運行していた。
翌日に重要な用事のない気楽な旅行者の私は、「このまま遅れて運転すれば、豪華な寝台列車体験をもっと長く楽しめる」と期待に胸を膨らませて就寝した。
しかし、翌日朝に目覚めると午前6時すぎで、古都ケベックシティ近郊のサンフォア駅にダイヤ通りに着こうとしていた。どうやら目をつぶっている間に、列車は回復運転を果たしていたようだ。食堂車で朝食のスクランブルエッグとトーストを味わい、再び展望車へ足を運んで余韻に浸っているとモントリオールの繁華街にある高層ビル群が見えてきた。
モントリオール大都市圏交通局(exo)の近郊列車とすれ違い、終了へのカウントダウンが近づいてきたことを実感して個室に戻った。個室で荷物をまとめると、列車はモントリオール中央駅に滑り込んだ。時刻は午前10時3分、一時は延着によって贅沢な時間がもう少し続くことへの淡い期待感を裏切る、しかしながら見事な「定時到着」だった。
(「連載『隠れた鉄道天国カナダ』最終回、第10回」に続く)
(連載コラム(「“鉄分”サプリの旅」)の次の旅をどうぞお楽しみに!)