もうひとつの「命のビザ」展覧会 開催中
- zoom
- オランダ名誉領事ズワルテンダイク氏‐©JDC Alyza Lewin United States Holocaust Memorial Museum
- 「命のビザ」と「キュラソー・ビザ」~ ヤン・ズワルテンダイクと杉原千畝の知られざる日蘭の絆~」展が、読売新聞ビル3階「よみうりギャラリー」で開催されています(~10月31日)。
第2次大戦中、ナチス・ドイツからの迫害を恐れ、中立国のリトアニアへ殺到したポーランド系ユダヤ人を救出するために、日本の外交官、杉原千畝氏(1900~86年)が発給した「命のビザ」の話をご存じの方は多いでしょう。
カウナス市の日本領事館に駐在していた領事代理の杉原氏が、2千人を超えるユダヤ人に、独自の判断で日本を通過することを認めるビザを発給したのです。
ところで、彼らが国を離れるためには「通過ビザ」に加えて、「目的地」を証明するビザも必要でした。
在リトアニア・カウナスのオランダ名誉領事、ヤン・ズワルテンダイク氏(1896~1976年)こそ、今回の展覧会で紹介される、もうひとつの「命のビザ」を発給した人物です。
彼はオランダ総合電機大手フィリップスのリトアニア支社長として、カウナス市に赴任し、名誉領事を務めていました。
当時、カリブ海に浮かぶオランダ領キュラソー島は現地総督の許可だけで入国出来ました。ズワルテンダイク名誉領事は入国許可にはふれず、見せかけの「目的地ビザ」を多数発給したのです。駐日オランダ大使館によると、1940年7月から8月まで、その数は2345枚にのぼります。
2人が発給したビザによって、多くのユダヤ人が海外に脱出できました。当時、南米方面へ向かうには、日本などを経由せざるをえず、杉原氏は、ズワルテンダイク名誉領事が発給した目的地の明記されたビザを受けて、通過ビザを発給したと思われます。当時の身分証明書には、杉原氏とズワルテンダイク氏のビザが併記されています。
zoom
オランダ 【Medal for Acts of Humanity】勲章
今年、ヤン・ズワルテンダイク氏の47回目の命日に当たる 9月14日(木)、オランダのマルク・ルッテ首相は、1940年に数千人ものユダヤ人を迫害と死から救った 功績から、同氏に、人道的 行為を讃える勲章、“Medal for Acts of Humanity”を授与しました。
戦闘以外の勇敢な行為に対して授与されるオランダで 最も古く、最も重要な勲章で、勇気、リーダーシップ、自己犠牲によって顕著な 人道的行為を行った個人に授与されるそうです。
zoom
オランダ キュラソーVisa-パスポート©JDC Alyza Lewin United States Holocaust Memorial Museum
今回の展覧会は、駐日オランダ王国大使館が今年2月、同大使館で開催した展示会、「ズワルテンダイク・オランダ領事と『命のビザ』の知られざる原点」での展示品を中心に、
読売新聞社が所有する膨大なデータベースの中から当時の報道や杉原千畝氏などに関する記事を厳選してパネル展示しています。
2月には、同大使館の招きにより、「命のビザ」によって日本にたどり着いた男性が、同大使館が主催したズワルテンダイク氏の偉業を紹介する展示会に出席し、7ヶ月暮らした神戸にも訪れました。ポーランド出身で、現在はオーストラリアで暮らすマルセル・ウェイランドさん(95)。日本に来るのはなんと82年ぶりでした。
ウェイランドさん家族は、命からがらシベリア鉄道に乗り、旧ソ連のウラジオストクから、1941年3月に船で福井県敦賀港に到着。ユダヤ人コミュニティーがあった神戸に滞在しました。その後、中国を経由して46年にオーストラリアへ渡り、建築関係の仕事に就き、現在はシドニーで孫2人と暮らしているそうです。
当時は14歳。神戸の滞在は、「穏やかで幸福な時間だった」と振り返ったと言います。
zoom
オランダ大使館で語るマルセル・ウェイランドさん
それにしても、過酷な運命に翻弄されながら生きる難民は、今もいなくなったわけではありません。
ロシアによるウクライナ侵略を契機に、難民・避難民問題がまたクローズアップされています。今回の展覧会では、読売新聞写真部員が撮影したウクライナ難民・避難民なども併せて展示しています。
【「命のビザ」と「キュラソー・ビザ」~ ヤン・ズワルテンダイクと杉原千畝の知られざる日蘭の絆~」展】開催概要
会期: 2023年10月3日(火)~10月31日(火)
会場: 読売新聞ビル3階よみうりギャラリー(東京都千代田区大手町)
開館時間: 午前10時~午後7時(土曜日は午後5時まで)
休館日: 日曜祝日
入場料: 無料
主催: 読売新聞東京本社、駐日オランダ王国大使館